沖縄を考える

徹底討論(Part 2)・「沖縄問題」の本質とは何か—「独立論」の根元にあるもの

政治・外交 経済・ビジネス 社会

沖縄の基地問題の混迷する中で、沖縄の「独立論」、あるいは「自己決定権」を求める動きが強まっている。3人の国際政治学者がその主張の歴史的背景と心情の源泉を解説する。

宮城 大蔵(司会) MIYAGI Taizō

上智大学総合グローバル学部教授。1968年東京生まれ。立教大学法学部卒業後、NHKで記者を勤めたのち、一橋大学大学院に入学。政策研究大学院大学助教授などを経て、現職。著書に『「海洋国家」日本の戦後史』(ちくま新書、2008年)、『戦後アジア秩序の模索と日本―「海のアジア」の戦後史 1957-1966』(創文社、2004年)など。

遠藤 誠治 ENDŌ Seiji

成蹊大学法学部教授。1962年滋賀県生まれ。1988年東京大学大学院法学政治学研究科政治学専攻修士課程修了(法学修士)。1993年成蹊大学助教授を経て2001年より現職。1995年、2010年オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジ客員研究員、1996年ウェルスリー大学客員研究員。編著書に『グローバリゼーションとは何か』(かわさき市民アカデミー出版部、2003年)、『普天間基地問題から何が見えてきたか』(共編/岩波書店、2010年)、『シリーズ日本の安全保障』(共編/岩波書店、2014年)等。

平良 好利 TAIRA Yoshitoshi

獨協大学地域総合研究所・特任助手。法政大学兼任講師。1972年沖縄県生まれ。1995年沖縄国際大学法学部卒業。2001年東京国際大学大学院国際関係学研究科修士課程修了。2008年法政大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。主な著書は『戦後沖縄と米軍基地―「受容」と「拒絶」のはざまで 1945‐1972年』(法政大学出版局、2012年)。

「琉球独立論」はエスニック問題

宮城 普天間飛行場移設問題が混迷する中、昨今、聞かれるようになった沖縄の「独立論」というものをどのように捉えればいいのか、伺いたい。

遠藤 この独立論も幾つかあって、(「琉球民族独立総合研究学会」の)松島泰勝氏が言っているのはエスニックな独立論。現在、「琉球独立」と言っている人たちの多くは、血統で考えようという考え方で、私自身には違和感が強い。

ただ、沖縄の主権国家としての独立という主張までいかないまでも、現在、議論の対象になっているのは、「自己決定権」だ。沖縄の諸問題について本土の政府や人々があまりにも鈍感に過ぎ、日本全体で考えるべき問題であるのにその責任を負わない。その場合において、どういう解決策があるのかといろいろ模索をしてくる中で出てきたのが、自己決定権という考え方だ。琉球人は、日本人の多数派とは異なる、少数民族ないしは先住民としての地位を国際的に承認されている。国際的には「先住民」には自分たちの運命を自分たちで決める自己決定の権限がある、とされているし、カナダやオーストラリアなどでも、先住民の自己決定権は制度化されている。

そうだとすると、沖縄の人たちが国際的に「先住民」として承認されているのであれば、グローバル・スタンダードにのっとって、自分たちには自己決定の権限があり、中央政府は沖縄の人たちの自己決定を尊重しなければいけないという論理になっている。もともとは、この論理を使って本土を動かしたいということだったと思う。

しかし、広く世界を見てみると、世界の各地で、主権国家自体が多様な形の揺らぎを示している。日本では、イギリスという国の在り方の問題としてスコットランドの独立問題にはそれなりの関心が集まった。しかし、沖縄では、イングランドに対する自己決定権の主張を展開するものとして、スコットランド独立の国民投票に大きな関心が集まった。スコットランドでは、国民党が中心となって、自己決定の論理を推し進め、独立まで達成しようとしている。それならば、自分たちも「自己決定」の論理を採用していこうということだ。もちろん、一足飛びに独立まですぐに達成できるとは考えないが、日本国の中で高度な自治権を確立し、高度な自治権を媒介として基地問題を解決しようと運動を進めてきた人たちがいる。

エスニックな独立論が一定程度若者の中に支持を広げているが、おそらくまだまだ多数派ではない。そして、現在大きくなってきた「自己決定権」の論理は、エスニシティとしての琉球人を基礎にしているというよりは、地方自治の論理を推し進めることで、基地問題をはじめとする多様な問題に対する代替案を実現していこうとする際の基礎理論となっているように思われる。

沖縄が本当に訴えかけていること

平良 私は沖縄出身者だから、逆になぜ本土の人たちが独立論にかなり敏感なのか、ということを考える。1つは、興味本位。翁長雄志(おなが・たけし)知事が5月20日に日本記者クラブで行った記者会見でも、会員の誰かが独立論について質問したら、そうやって独立論について平然と聞くこと自体が、沖縄の問題を日本全体の問題としてではなく、他人事のように見ている証拠ではないか、と翁長氏は指摘している。もう1つは、本土の方々が本能的に国家統合の危機、あるいはその揺らぎを感じ、それで独立論に過剰なまでの関心を示しているのではないか。

宮城 私には独立論は、「独立」とまで言わざるを得ない心情を分かってくれという痛切な思いというように見える。本土から見て分かりづらいのは、沖縄の中で独立論がどう受け止められているのかという点ではないか。

平良 独立論には至らないが、独立論に通底する感情は、沖縄県民の中に潜在的に広がっていると思う。沖縄の私の身近な人たちを見ても、そう感じる。そこで私が懸念するのは、このまま政府が辺野古移設こそが「唯一の解決策」と言ってこれを強行に推し進めていくと、沖縄と政府の対立は本当に抜き差しならないものとなり、最悪の事態が発生しかねないということだ。そうなると、沖縄はもっともっとラディカルになり、話し合いの共通基盤さえなくなってしまう恐れもある。沖縄と本土が対立して喜ぶのはどこか、これを真剣に考えなければいけない。

あと、翁長知事は沖縄内部をまとめるために沖縄人のアイデンティティーを強調しているが、「沖縄の問題は日本全体の問題」であるとして本土で訴えていくためには、やはり国民全体に届く言葉が必要になる。つまり、ある種のナショナリズムに訴える必要がある。だから、翁長知事がアイデンティティーのみを強めすぎると、沖縄自身が内向きになり、本土との溝はより深くなる。かといって、ナショナリズムだけを強調しすぎると、今度は沖縄内部の結束が弱くなってしまう恐れもある。その絶妙なバランスをどう取りながら、問題を提起していくのかが問われている。しかし、一地方の県知事にそこまでの政治的手腕を求めること自体が、いまの政治の問題性を浮き彫りにしている。

差別されているという心情が源泉

遠藤 沖縄の政治の背景にある心情や感覚に、本土はもう少し敏感になっておかないといけないと思う。独立論ではないけれども、独立したい心情みたいなものが高まっている感じだ。

本当に狭い意味での独立論、今すぐにでも日本から抜け出るという人たちは、まだまだ少ないと思う。しかし、本土復帰が正しかったのかというクエスチョンマークが確実に前より大きくなっている。復帰の前にやっていた議論をもう1回見直すということも、以前よりは明らかに強くなっている。

沖縄が「本土復帰」を語っていたときには、「日本国憲法」の平和主義と人権への復帰こそが課題だった。しかし、復帰後40年たっても、「銃剣とブルドーザー」で作られた米軍基地が居座り続け、平和も人権も実現していない。そして、本土では、日本国憲法の根本精神を変えようという運動すらある。つまり、苦労して復帰した先の日本が憲法を捨てて、平和ではない方向に進もうとしている。そうだとしたら、日本国に復帰したこと自体が間違いだったということになるではないか、ということになる。こうして帰った先は平和じゃない、人権もない、帰った先を間違っていたのではないかというような感覚が出てきていることを、本土は知っておいた方が良いと思う。

もう1つは、日本国民として日本国の中できちんとやっていれば、日本国憲法体制の下で自分たちが守ってもらえると思ったのに、その対等な人権を保証してもらえないという感覚かな。それがたぶん差別という言葉になっているのだと思う。

従来は、感覚として差別されていると思っていても、それを自分たちから口にすることは、はばかられた。しかしもう今では、差別されていると言わざるを得ない感覚があると言う。沖縄は、同じ日本国民を構成する一部として、復帰後相当長いこと辛抱しつつ、対等扱いをしてもらいたい、対等扱いをされるべきだというスタンスでやってきた。ところが、同じ日本国民なら、民意を明確にすれば、政府の無理は通らないというのがスタンダードであるのに、沖縄だけは、民意をいくら明確にしても、政府の無理がまかり通ってしまうと気づき始めた。

懸念される沖縄差別のエスカレート

遠藤 例えば、原発の誘致に関して住民投票をやって否決すれば、原発は来ない。では、自分たちが、「基地はもう要らない」と、全市町村議会で決議し、名護市長選挙でも、沖縄県知事選挙でも、衆議院議員選挙でも民意を明確に示しているのに、沖縄の基地はなくならない。自分たちも、他の県民たちと同じように、基地は要らないと言っているのだからなくしてくれよと。同じ論理の上に、同じ扱いを受ける権利があるべきだと言っているのに、沖縄に関してだけは扱いが違う。もはや、「これは差別なんだ」と言わざるを得なくなったというのが、ここ数年の変化だ。

私自身は悲観論者なので、さらに悲観論的なこともついつい考えてしまう。例えば、既にその兆候はあるが、ネット右翼のような人たちが、嫌韓、嫌中と同じような感じで、基地の移設を受け付けない沖縄に、日本の国家的利益を振りかざして、沖縄の人たちに対する罵詈雑言を投げつけ始めるというような事態が起こるのではないか。そうなると、ますますまともな議論が成り立たなくなる。非常に危惧している。

民主主義国家として沖縄の負担は平等か

平良 だから、この状況をどう乗り越えていくかを考えないといけない。

いま、政府あるいは本土のほうは、中国の脅威などを挙げて安全保障のレベルから議論を展開している。一方、沖縄では自己決定権、あるいは構造的差別、あるいは独立論といった形で議論を展開している。これでは双方かみ合わない。

それを超えて一緒に考える。そういう議論の枠組みをつくるためには、先ほど話したように、主権国家として日本はどうなのか、という観点から組み立てていく。もう1つは、先ほど詳しく話せなかったが、民主主義国家として日本はこの問題をどう考えるのか、という観点から組み立てていくことが大事ではないか。つまり、日本の国土面積のわずか0.6%しかない沖縄に、在日米軍基地(専用施設)の73.8%(2万2700ha)が集中しているというこの現実を、民主主義国家としてどう考えるのか、ということだ。

そもそも考えてみると、民主主義国家においては国民自らが主権者であるので、その国家を守るためには主権者である国民自身が国を守る意志をもち、かつその負担(責任)を等しく分かち合うことが必要だ。そう考えると、基地の提供という形で安全保障上の負担を一地域が過重に背負っていることを、私たち国民ひとりひとりがどう考えるのか、ということだと思う。

宮城 一方で、沖縄には基地負担の代わりに公共投資など、手厚い財政的な手当が注がれているではないかという批判もある。「独立」と言いながら本土からの財政的な支援で経済を回しているのではないかと。このような批判をどのように考えるか。

平良 この議論の枠組みそのものを検討してみる必要がある。この議論は、基地反対派は「沖縄の心」を重視し、基地容認派は「カネ」を重視するという枠組みが前提となっている。しかも、この両者は同舟で共犯であり、一方が基地反対を叫び、それを背景に容認派がカネをとる、というふうに見る。確かに、建設業者などがカネを目当てにしているのは正しいが、しかし沖縄の保守=容認派=カネではない。先ほど述べたように、保守は経済振興+基地縮小の両方をもっている。しかもそれにプラスして「誇り」もある。

復帰から今日までの間に政府は沖縄振興のために15兆円の予算を投じたが、これはそもそも27年間の米国統治下にあって開いた本土との格差を埋め、沖縄の経済発展を願ってつくられたものだ。当時の沖縄開発庁の官僚にインタビューをしても、関連文献をみてもそうである。この沖縄振興策の中では、インフラ整備などの公共事業費の9割を国が補助するという仕組みになっており、これが沖縄の自治体の財政規律を崩壊させ、しかもどんどん自治体が公共事業を発注するものだから、建設業界が儲けて肥大化するようになる。

歴史の怖いところはここで、優遇措置が取られている間にそれが構造化されていき、財政依存は強固なものになっていく。一度、構造化すると持続するので、それを変えていくのはなかなか困難となる。その構造化されて弱いところに、政府が北部振興予算や島田懇予算をつぎこみ、さらに依存の構造が強化されていく。これは沖縄にとっても、また税負担をしている国民全体にとっても、大きな問題だと思う。

しかし、もっと根本のところで考えなければいけないのは、96年の日米合意で「県内移設」という枠が決まったということだ。この枠が決まったからこそ、北部振興予算や島田懇予算の投下というものがある。やはり「本土移転」あるいは「国外移転」がそもそもなぜできないのかを、検討する必要がある。

敗戦の影が消えた本土政界と影をひきずる沖縄

遠藤 沖縄の保守の複雑さというか、沖縄の保守の保守たるゆえんを、本土の保守は、今はもう分かっていない。何が原因なのか。

平良 世代論にだけ還元したくないが、やはり1つには、戦争・占領体験者かどうかということがあると思う。これは沖縄戦だけでなく、太平洋戦争を経験した世代かどうか、あるいは米軍占領を受けた世代かどうかということだ。これらの人たちには共通に語れる、理解しえる基盤があったと思う。例えば、後藤田正晴氏にしても、橋本龍太郎氏にしても、野中広務氏にしても、沖縄が27年間も本土から切り離されたこと、また現にこうして広大な米軍基地がそのまま残っていることに対して、ある種の申し訳なさのようなものがあったと思う。

もっと言えば、これらの政治家たちの胸中には、県民に対する申し訳なさだけでなく、沖縄の地で亡くなった18万人以上もの日本国民が眠るこの島に、戦勝国である米国の基地がそのまま残っていることへの申し訳なさというか、うしろめたさのようなものもあったのではないかと想像する。

戦争や占領を経験した世代がいなくなってくる中、そうした共通基盤も徐々になくなっていき、2000年代の小泉(純一郎)内閣あたりからは、保守の政治家も非常にドライになっていったのではないか。

宮城 戦後政治史の文脈で言うと、自民党の「保守本流」を自認した政治家たちは、サンフランシスコ講和条約で独立を回復したのが吉田茂の功績であると考えている。しかしその際、沖縄は講和条約第3条で切り離されてアメリカの占領下に留め置かれた。佐藤栄作にとって沖縄返還は、政治の師匠である吉田茂がやり残した仕事だった。そこでも残ってしまった基地の問題は、佐藤栄作を師とする橋本龍太郎にとって、師匠のやり残した問題だった。小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」という主張は、橋本龍太郎などが属する竹下派の支配をぶっ壊すということで、小泉以降の自民党の沖縄に対する姿勢はずいぶんと変わってしまった。

(2015年6月19日の鼎談に基づき構成)
タイトル写真=2015年5月日本人外国人特派員協会で会見する沖縄県の翁長雄志知事/時事

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