特集 沖縄を考える
徹底討論(Part 3)・「沖縄問題」の本質とは何か—東アジア安全保障環境の中の沖縄
[2015.07.30] 他の言語で読む : ENGLISH |

沖縄の基地問題の考察には、日米安保体制の現状と中国の動静に関する視点が欠かせない。3人の国際政治学者が現状を分析し、東アジア地域の安全保障も視野に入れ今後の日本政治の在り方を考える。

宮城 大蔵(司会)

宮城 大蔵(司会)MIYAGI Taizō上智大学総合グローバル学部教授。1968年東京生まれ。立教大学法学部卒業後、NHKで記者を勤めたのち、一橋大学大学院に入学。政策研究大学院大学助教授などを経て、現職。著書に『「海洋国家」日本の戦後史』(ちくま新書、2008年)、『戦後アジア秩序の模索と日本―「海のアジア」の戦後史 1957-1966』(創文社、2004年)など。

遠藤 誠治

遠藤 誠治ENDŌ Seiji成蹊大学法学部教授。1962年滋賀県生まれ。1988年東京大学大学院法学政治学研究科政治学専攻修士課程修了(法学修士)。1993年成蹊大学助教授を経て2001年より現職。1995年、2010年オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジ客員研究員、1996年ウェルスリー大学客員研究員。編著書に『グローバリゼーションとは何か』(かわさき市民アカデミー出版部、2003年)、『普天間基地問題から何が見えてきたか』(共編/岩波書店、2010年)、『シリーズ日本の安全保障』(共編/岩波書店、2014年)等。

平良 好利

平良 好利TAIRA Yoshitoshi獨協大学地域総合研究所・特任助手。法政大学兼任講師。1972年沖縄県生まれ。1995年沖縄国際大学法学部卒業。2001年東京国際大学大学院国際関係学研究科修士課程修了。2008年法政大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。主な著書は『戦後沖縄と米軍基地―「受容」と「拒絶」のはざまで 1945‐1972年』(法政大学出版局、2012年)。

占領下でできた「日米安保」という上下関係

宮城 沖縄の基地をめぐる現状と「独立論」「自己決定権」に関して、お二人の見解をいただいたが、あらためて東アジア地域の安全保障を視野に沖縄問題の今後の展望を伺いたい。

平良 これまでの自民党の安全保障政策は、とくに池田(勇人)政権以後は、憲法9条を前提にして、日米安保条約によって日本の安全を図っていくというものだった。この9条と安保条約のセットによる安全保障政策からは、私はなかなか沖縄の基地問題解決の方途は見いだせないように思う。

例えば、普天間移設の問題を考える上で一番重要なことは、なぜ日本は「国外移転」を米側に言えないのか、だと思う。石破茂氏が『国防軍とは何か』という本の中で、端的にこう言っている。つまり、日本国憲法第9条による制約のために、日本は軍隊を提供できず、代わりに基地を提供することで米国に守ってもらっている。この非対称的な関係の中で米側が「この基地がなければ(日本は)守れないよ」と言えば、日本はこれ以上「無理強い」できない。「基地がじゃまになってきたからどけてくれ」というのは「なかなか言いにくい」、と言っている。まさに石破氏は、日米安保条約のもつ非対称性の問題を俎上に乗せて、普天間基地の「国外移転」が言い出せない理由を説明している。

もっと言うと、この日米安保条約を生み出したものは、占領時代に構築された「日米安保体制」という名の政治的実態だと思う。これは私の修士課程の指導教授の概念だが、6年8ヵ月の占領時代に構築された政治的にも軍事的にも、あるいは心理的にも上下、優劣の関係に構造化された「日米安保体制」という存在が、日本側がなかなか「国外移転」を言い出せない根本のところにあるのではないか。

先ほどの本で石破氏が言っているのは、かつて重光葵外務大臣などがめざしたように、日本国憲法を改正し、集団的自衛権の行使を認め、「人と人との協力」という形で日米が対等の関係になれば、つまり日本が守られるだけの存在ではなく、米国を守れるような存在にもなれば、日本に駐留する米軍も撤退させることができる、ということだ。石破氏の言葉を借りて言えば、そういう関係になれれば日本も、「グアムまでは守るから、沖縄の米軍はグアムまで下がってくれ」と「お願い」ではなく堂々と「要求」できるのだという。

この構想がいいのか悪いのかは別にして、論理的に考えれば、この石破氏のような構想が、沖縄の基地問題を解決する有力な案の1つだといえる。安倍首相の真意は分からないが、彼が尊敬する祖父の岸信介氏も、重光氏と同じような発想だった。

リベラル派には安全保障・基地返還の解がない

平良 しかし問題は、護憲派というか、リベラル派のほうに解がないということだ。憲法9条に基づく平和主義は、実は日米安保条約とセットになっている。そうすると、単に集団的自衛権に反対だということになると、結局、護憲で、憲法9条を守り、日米安保条約はそのまま維持されるということになる。これでは基地縮小のための解決策が、私の中ではどうしても見えてこない。

だから、護憲派ないしリベラル派が考えなければいけないのは、憲法9条の精神を守ってなおかつ日本の安全を確保するための真に具体的な方途を見いだして、それにプラスして沖縄の基地も減らしていく、という構想をどう見いだすかだ。その具体的な構想を見いださないと、石破氏などの構想に、知的に勝てないと思う。だから本源的な意味での知的な挑戦は、ここにあると思う。

日米安保を十分咀嚼できていない護憲派

遠藤 私も、護憲派は、日米安全保障体制の意味を十分に咀嚼(そしゃく)できていないと思う。朝鮮戦争、ベトナム戦争などアメリカが戦った戦争が東アジアでもあり、冷戦の中で、独裁政権をアメリカが支援する状況が継続したこともあり、護憲派から見るとアメリカが帝国主義的な拡張勢力ないしは攻撃的勢力だと見えてきたと思う。しかし、イラク戦争やアフガン戦争のような経験を経て成立したオバマ政権は、ずっと慎重に行動している。

私自身は、現在のような相互不信が募りがちな不安定な国際環境の中では、日米が安定的な政治協力を継続していくことはとても大事だと考えている。日本がアメリカの意向に沿った形で集団的自衛権を行使することは、東アジアの国際関係において必ずしも良いとは考えないが、冷戦期の代表的な軍事同盟であったNATOが冷戦終結後も政治協力の枠組みとして残ったように、日米安全保障も緊密な政治協力の枠組みとして機能し続ける必要があると思っている。

では、日米安保の軍事的な機能はどうするのか。いきなり軍事協力は全くなしで、政治的な協力のみを行うというオプションは取り得ないと思う。しかし、日米安保に軍事的意味合いがあるとしても、なお、軍事的な側面を軽減しつつ、東アジア全体での緊張緩和を進めようとした一つの考え方が「東アジア共同体」だったと思う。現在の安全保障は、安倍政権が言うのとは異なる意味で、一国では達成できないのであり、東アジアでも地域的な政治協力の枠組みを抜きにしては考えられない。

  • [2015.07.30]
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