特集 「トランプの米国」と日本
東アジア情勢の壁に跳ね返されたトランプ流

手嶋 龍一【Profile】

[2017.02.12] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | Русский |

トランプ米大統領は日米首脳会談を機に、歴代政権の対東アジア・安保・外交政策に回帰しようとしている。「安保と通商のリンケージ」をひとまず断念し、日本には尖閣諸島への安保適用を約束。中国には「一つの中国」政策を尊重する意向を伝えた。日米安保の最前線に身を置いて取材してきた外交ジャーナリストが、首脳会談の核心を独自の視点で分析する。

尖閣への日米安保適用

言の葉の微妙な言い回しが、東アジアの海を辛うじて波穏やかに保ってきた――。ホワイトハウス、続いてフロリダ州パームビーチのゴルフ・リゾートに場所を移して行われた安倍・トランプ会談。これら一連の協議は、中国大陸から台湾、尖閣諸島、そして日本列島へと連なる東アジアの安全保障が、ガラス細工のように精巧な外交によって支えられてきた現実を改めてわれわれに教えてくれた。さしものトランプ旋風も、米中衝突の可能性をはらんだ地域では鳴りを潜めざるを得なかったようだ。

2月10日、ホワイトハウスで初めての日米首脳会談を終えた安倍晋三首相とドナルド・トランプ大統領。2人は共同記者会見に臨み、米国による日本防衛の義務を定めた日米安保条約第5条を尖閣諸島にも適用することを確認した。トランプ氏は大統領選のさなか、在日米軍の撤退を示唆し、駐留経費のさらなる負担増を日本側に求める姿勢を示した。そして、尖閣諸島の防衛についても「いまは自分の意見を言いたくない」と日本側を困惑させていた。

それだけに、会談後に発表された日米共同声明が「尖閣諸島に日米安保条約5条を適用する」と明記したことで、日本側は安堵した。尖閣諸島の領有権を主張し、周辺の海域でプレゼンスを増している中国が、武力行使に訴えるような事態となれば、在日米軍は軍事介入をためらわないと中国側をけん制したのである。

東アジアにおける国際政治の鍵は尖閣諸島にある。2010年代に入ると、日中両国の対立は尖閣諸島の領有権を巡って激しさを増していった。日本、中国、米国の三者は、「触れなば鮮血がほとばしる」と評される危うさを秘めながら、今日に至っている。オバマ米大統領は、就任間もない習近平国家主席と会談し、「領土問題について、米国はどちらの立場にも与しない」と述べ、中国側を喜ばせた。2013年のことだ。結局、オバマ大統領は日本を国賓として訪れるにあたり、渋々、尖閣諸島への安保適用を認めた。だが、無人の島の防衛で米国が血を流し、中国と衝突したくないという本音が見え隠れしていた。

こうした中で、今回の日米首脳会談に向けた地ならしに奔走した日本政府の関係者は次のように述べている。

「中東からの入国制限などで国際社会から強い批判を浴びているトランプ大統領に、安倍総理があまりに接近しすぎることに懸念の声が出ていることは承知している。だが、東アジアの安全保障環境を考えれば、トランプ政権に何としても落としてもらわなければならない手形があった。尖閣への安保適用がその最たるものだった」

虎穴に入らずんば虎児を得ず。両首脳の固い絆なしには、尖閣防衛という約束は取り付けられなかったと言いたいのだろう。

「一つの中国」政策を容認

だが、日米首脳会談を機に中国の海洋覇権を封じ込めておきたい安倍政権にとって、予期せぬ事態が持ち上がっていた。首脳会談に先手を打つように、トランプ大統領と習近平主席は、初めての米中電話会談を実現させたのである。この会談でトランプ大統領は、中華人民共和国と台湾が「一つの中国」に属するという政策を受け入れる意向を初めて習主席に伝えた。中国けん制を意味する「尖閣諸島への安保適用」。中国との歩み寄りを示唆する「一つの中国政策の容認」。相異なるベクトルを持つ大統領の意思表明は、一対のニュースとして世界を駆け巡った。

米中の劇的接近から45年余り、「一つの中国」政策は東アジアの安全保障の礎となってきた。就任を控えたトランプ氏は、その意義を知ってか知らずか、膨大な貿易赤字を改めさせようと、危険な「トランプ・カード」を切ってしまった。保守的な論調で知られるFOXテレビのインタビューに応じて次のように語った。

「われわれはなぜ『一つの中国』にこだわらなければいけないのか」

劇的な米中接近を可能にした「一つの中国」政策を振り返っておこう。自国の北にソ連という核強国の脅威を抱えていた中国。一方、ベトナム戦争の泥沼から抜け出したいと考えていた米国。そんな両国は関係改善を渇望していたのだが、そのためには米中の喉元に突き刺さった「台湾」というトゲを抜かねばならなかった。1971年に北京で行われた極秘交渉の難所はこの一点にあった。20世紀の外交界の2人の巨人、周恩来とヘンリー・キッシンジャーが叡智の限りを尽くして切り結んだ。

2人の知恵者が、交わらないはずの平行線を交わったと表現し、ニクソン訪中を実現させた。翌72年、上海で発表されたコミュニケの「台湾条項」には次のように記されている。

「米国政府は、台湾海峡を挟む両岸の中国人が中国は一つと主張している事実を知り置いている。同時に我々は台湾海峡の平和解決を希求している」

東アジア情勢を扱った文書でこれほど洗練され、精巧に仕上がった作品を筆者は他に知らない。台湾海峡を挟む中華人民共和国と台湾の国民党政権は、それぞれに「ワン・チャイナ」を主張している事実をニクソン政権は知り置いている。だが、どちらの主張に与している訳でないと釘を刺した。

さらに台湾海峡問題の「平和解決」を望むと表現し、中国の人民解放軍が台湾海峡を渡って武力解放に乗り出すことを暗に牽制した。同時に台湾に対しては、米国の武力による支援を前提とする独立派が軽率な行動をとらないよう警告した。文書の行間に微妙なニュアンスを潜ませることで、東アジアの平穏を何とか保とうとしたのである。日米同盟はいまや台湾有事に備えた盟約なのだが、トランプ政権の愚かなディールによって戦争の危機に遭遇するのは日本に他ならない。

安保と通商政策の危険なリンケージ

マティス国防長官らの説得もあったのだろう。日米首脳会談とそれに先立つ米中電話会談を通じて、トランプ大統領は尖閣防衛、そして「一つの中国」政策に回帰することをようやく了承した。東アジア地域の新たな紛争を招きかねない芽は、ひとまずは摘み取られたと言っていい。

「米国第一主義」を掲げて登場したドナルド・トランプという政治リーダーは、膨大な対米貿易赤字を解消させるため、日中両国にこれまでの安全保障政策を見直す「トランプ・カード」をいったんは切ってみせた。武力衝突を封じてきた歴代政権の安全保障政策に安易に手をつけ、通商政策で譲歩を迫る姿勢を見せていた。こうしたディールに踏み込むことの危険に、この指導者は自覚を欠いていたのだろう。

こうした中、安倍晋三首相は他の主要国の首脳と較べても、トランプ大統領と群を抜いて深い信頼関係を築きあげた。それならば、その政治的な資産を存分に使って、安全保障政策をテコに通商政策の果実を追い求める手法をやめさせるよう静かに説得してはどうだろう。そして、今回の日米合意がうたい上げたように、アジア太平洋地域に自由、公正で開かれた貿易圏をつくり出すためにリーダーシップを発揮すべきだろう。それこそが波穏やかな東アジアにとって最良の礎になるはずだ。

バナー写真:日米首脳会談終了後、共同記者会見を行う安倍晋三首相(左)とトランプ米大統領=10日、ワシントン(時事)

  • [2017.02.12]

外交ジャーナリスト・作家。ニッポンドットコム理事長。慶応大学経済学部卒業。1974年NHK入局。ボン支局長、ワシントン支局長などを務め、2005年に独立。著書に『たそがれゆく日米同盟―ニッポンFSXを撃て』(新潮文庫、2006年=1991年の著作の改訂版)、小説『ウルトラ・ダラー』(新潮文庫、2007年)、『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師 インテリジェンス畸人伝』(マガジンハウス、2016年)など。

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