軍隊手帳、三種町の遺族に 元米兵の家族が返還

社会

返還された軍隊手帳と写真
返還された軍隊手帳と写真

鵜川村(現三種町)出身で太平洋戦争に出征してフィリピンで戦死した男性が所持していた軍隊手帳が2日、同町に暮らす遺族に手渡された。軍隊手帳の持ち主は岡部時雄さんで、軍人としての身分証明書、履歴書などを兼ねる。米国オハイオ州で米兵だった男性の家族が保管していたが、米国や日本の関係団体を通じて返還された。時雄さんの弟、昭治さん(86)=同町川尻字熊屋敷=は軍隊手帳を受け取り、「私たち家族にとっては兄さん本人が帰宅してきたような思い。皆さんの協力に感謝したい」と語った。

時雄さんは大正10年2月19日生まれで旧制能代中学校から明治大学専門部に進学した後、昭和17年10月に陸軍に入った。暗号解読の任務に当たり、秋田市や弘前市で過ごした後、19年夏に満州(現中国東北部)を経てフィリピンのマニラに入った。当時、フィリピンは激戦の地で、時雄さんは情報収集のために現地入りしたが、20年1月11日にリンガエン湾で銃弾を受けて戦死した。23歳だった。

時雄さんの軍隊手帳は、米国オハイオ州で米兵だった男性の息子が保管していた。米オレゴン州を拠点に日本兵の遺品を遺族に届けている団体「OBONソサエティ」の協力を得て時雄さんが亡くなってから76年が経って遺族の元に届けられることになった。男性は海軍に所属し、戦車揚陸艦の乗員としてフィリピンやニューギニアなどに入ったという。軍隊手帳の入手目的は不明だが、戦利品として持ち帰ったとみられる。

男性の息子はOBONソサエティに対し、「長い年月が経過してしまい、誠に申し訳なく思いますが、ご遺品の返還が皆さまにとって心に安らぎをもたらされますよう心よりお祈り申し上げます」と伝えたという。

2日は町役場で遺留品返還式が行われ、県遺族連合会と町から昭治さんに軍隊手帳と、時雄さんが写っているとみられる軍人の集合写真が手渡された。軍隊手帳は縦約12・5㌢、横約9㌢。陸軍に入ってからの所属先などが手書きで記されているほか、米軍関係者に見られたことを物語るように英文も確認できる。県遺族連合会によると、時雄さんは軍隊手帳を左胸のポケットに入れていたとみられ、貫通した銃弾の跡や血痕も残っている。

昭治さんは「兄さんとは年齢差もあり、一緒に長い時間を過ごすことができなかった。戦死したことについては、幼いながらも両親の会話を聞いて感じ取った。身内が戦地で亡くなったからこそ、戦争の怖さを実感する。戦争のない平和な時代を願いたい」と話した。

県遺族連合会によると、OBONソサエティを通じて平成21年以降、本県関係者では17件の遺留品の返還があった。日章旗が14件と最も多く、軍隊手帳は今回の岡部さんのものが初めてだった。

(北羽新報社/全国12新聞社加盟 全国郷土紙連合、元記事はこちら

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