「冒険の共有を世界へ!」登山家・栗城史多
エベレスト単独・無酸素登頂とライブ中継への挑戦
[2012.05.03] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

8000m峰単独・無酸素登頂の様子を、インターネットでライブ中継する新世代登山家の栗城史多氏(30歳)。彼が目指すものは登山を通じての“冒険の共有”。そこから、夢を諦めない大切さを世界中へ発信し続ける!

栗城 史多

栗城 史多KURIKI Nobukazu登山家。1982年、北海道生まれ。大学在学中に登山を始め、2004年にマッキンリー(標高6194m)の単独登頂に成功。その後、2005年にアコンカグア(標高6959m)とエルブルース(標高5642m)とキリマンジャロ(標高5895m)、2006年にカルステンツ・ピラミッド(標高4884m)と六大陸最高峰を単独登頂。2007年にチョ・オユー(標高8201m)、2008年にマナスル(標高8163m)、2009年にダウラギリ(標高8167m)と8000m峰の無酸素での単独登頂に成功。山からのインターネット生中継と単独無酸素登山にこだわり、エベレスト制覇を目指している。公式HP=http://kurikiyama.jp/

高くて険しい都会の見えない山

「山から普通の生活に戻ってからも高い山だらけ。ヒマラヤの山より、“都会の見えない山”の方が高くて険しい。僕は、そう感じることが多いんです」

そう語るのは、登山家の栗城史多(くりきのぶかず)氏。身長162センチで体重は約60キロ。そんな小柄で普通の青年が、エベレストの単独・無酸素登頂と山頂からのネット生中継に挑んでいる。しかも栗城氏は、酸素ボンベを使わない単独無酸素という困難な登山方法と、登山活動のライブ発信にこだわっている山岳界のニュータイプだ。

「僕は、ヒマラヤ登山の模様をネット生中継しています。そのため、機材調達や運搬代、莫大な衛星回線費が掛かります。その資金集めは、ヒマラヤよりも険しい“都会の見えない山”なんです(笑)。毎日のように講演活動をして、講演がない日は自分自身でスポンサー探しをする。とても、多忙な日々を送っています。でも、絶対にへこたれません。例えば、僕の活動に共感してくれたけれど資金は出せないという企業があります。そんな場合は、社長さんの友達を紹介してもらって、次にその人を訪ねてみる。社長の友達は、お金持ちの場合が多いですから(笑)。そこまで、必死に資金を集めて登山活動を行なっているんです」

栗城氏は20代前半から、Tシャツにジーパン、登山リュック姿で企業を訪問して、自分の夢を語ってスポンサーを集めてきた。そして、応援する企業や著名人は年々増えている。

しかし、2009年から3年連続で、春よりも難しいと言われる秋のエベレスト単独無酸素登頂に挑んだが、サミットを目前にして下山を余儀なくされた。

でも、彼は決して諦めない。

「限界は自分が創り上げた幻想だ――」

その言葉とともに、秋季エベレスト単独無酸素登頂に向けて、今日も彼はヒマラヤと都会の山を登り続けている。

夢へ、一歩を踏み出す勇気を伝えたい!

「今の日本では、100円さえあればコンビニで24時間おにぎりが買えるし、餓死することなんてほぼありえない。でも、僕が見てきたネパールなどの海外の国では、そんな恵まれた状況にないし、この豊かさは当たり前ではない。だから、そこに安住してはいけないと思う。もちろん豊かであることは悪いことではないです。でも、今の日本の若い子たちは、その豊かさを失うことを恐れて、安定ばかりを求めている。豊かさをチャンスに変えて、もっと夢にチャレンジしないと」

栗城氏は優しい表情ながら、熱の入った口調で語る。講演活動で日本中を回っている中で、最近強く感じていることだという。

「僕の登山活動の目的は、ビデオ撮影やネット配信を使っての“冒険の共有”。応援してくれる人と一緒に山を登る。みんなが都会生活の中で、見えない山を必死に登っている最中だったり、その前で躊躇していたりする。エベレストに立ち向かう僕の姿を見てもらうことによって、夢に向かって『一歩を踏み出す勇気』を伝えられたらと願っているんです」

栗城氏は、登山の状況をUSTREAMやtwitter、Facebookを使ってライブ配信、Youtubeにも映像をアップしている。単独登山を行う彼の映像は自画撮り映像が中心で、作り込まれたドキュメンタリーとは一味違ったリアルさがあるため、日本のみならず海外からも多くのアクセスを集める。

「初めて登山をネット配信したのは、2007年のチョ・オユー。その時は動画配信サイト『第2日本テレビ』の企画だったのですが、タイトルは『ニートのアルピニスト、はじめてのヒマラヤ』(笑)。挑戦中は、日本中のニートや引きこもりの方からメールが来て、『お前には絶対無理だ』『死んじゃえ!』というネガティブな内容も多かった。それが、無事頂上にたどり着いたら、彼らのコメントが『ありがとう!』に変わっていたんです。それまでは自分だけの登山だったのが、人にも感動してもらえて喜びが何倍にもなりました。それ以来、“冒険の共有”が僕のテーマになったんです」

限界は自分が創り出している

番組のタイトルからも分かる通り、栗城氏自身も子供の頃から登山に親しむような活発なタイプではなかった。

「登山を始めたきっかけは、大学時代にフラれた彼女が登山をしてたから(笑)。僕は大学に入る前に北海道から東京に出て、すぐに挫折してフリーターになり、何もせずにニートみたいに家に引き篭っていた時期がありました。そんな時に彼女に言われたのが、『結婚するなら、車を持っていて大卒の公務員がいい』。それで、北海道に戻って大学に入って、バイトして車を買い、公務員になるために猛勉強を始めた。それなのにフラれてしまって(笑)。まだ未練があった僕は、彼女が登山好きだったことから、『どんな風景を見ていたんだろう』と思って登山部に入部したんです」

山に登り始めたのは、彼女への未練から。そんな動機だったが、それは栗城氏にとって大きな転機となった。

「登山部には厳しい先輩がいて、活動はとてもハードで何度も辞めたいと思いました。そんな中、札幌市の中山峠(標高835m)から小樽市の銭函まで、1週間掛けて年越しの雪山縦走を行ったんです。限界だと思って、何度も諦めそうになりました。でも、それを乗り越えた先にはいままで見たことがないような景色が広がっていた。その時、気付いたんです。限界は自分が創り出しているもので、そこを一歩踏み越えると新しい世界に出会えるということに」

周りに見捨てられても挑んだマッキンリー

その後、栗城氏は北米大陸最高峰のマッキンリーの単独登山を決意する。しかし、そこからも見えない山が立ちふさがる。周りから、「まだ登山経験が少ない大学生が、そんな無謀なことをするのは許さない」と強く止められたのだ。マッキンリーに行けば、部活を辞めさせられて、周りの登山コミュニティーから無視される。教科書のない登山の世界では、実地における経験豊富な先輩たちからの助言で登山技術を学んでいく。登山仲間がいなくなることは、とても大きな問題なのだ。

「マッキンリーに行って、本当に良かったと思います。あの成功がなければ、現在の自分はありませんから。僕を引きとめようとした人たちも、本当に心配してくれていたんだと思います。ただ、当時僕を止めた人たちの中で、マッキンリーの単独登山に挑んだ人なんか誰もいなかったわけです。だから僕は『やってみなければわからないじゃん』と、挑戦に踏み切ったわけです」

その経験を踏まえて、栗城氏は若者にメッセージを送る。

「夢は自分で挑戦するものです。今、日本は安定志向だから、学校などでも挑戦することを諦めさせるような教育をする傾向にあります。でも、助言してくれる人たちは、あなたと違う人間だし、あなたの目指すものでもない。しかも、同じような経験をしていない場合が多い。だから、夢があるなら失敗を恐れずに、自分で一歩踏み出して欲しい。一度も挑戦しないで後悔するより、失敗したほうがましなんです。僕もエベレストには3回跳ね返されています(笑)。エベレストの単独無酸素登頂を成功させたのは、1980年のラインホルト・メスナーさんただ一人です。僕が挑戦している南西壁では誰も成功していない。だから、そんなに簡単にはいかないとわかっています。でも、僕自身がギブアップしなければ、何度失敗しても夢への挑戦は続くんです。そして、成功するかあきらめられるまで挑戦し続けて、初めて失敗が報われるんです」

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