3.11——日本人の心がひとつにつながる日
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日本人にとって特別な日付となった3月11日。長い間8月15日の終戦記念日がそうだったように、日本人が心をひとつに祈る日として……。
巨大地震と巨大津波が東日本を襲った「あの日」から1年後の2012年3月11日、一般の人々がこの日をどんなふうに過ごしたか、ソーシャルネットワーク・ムービーとして記録したい——。フジテレビのプロデューサー・早川敬之氏の発案が、米映画監督リドリー・スコット氏の製作総指揮により実現した。募集に応じて世界12カ国から動画サイト「YouTube」に投稿された約8000本、300時間におよぶ映像を、フィリップ・マーティン、成田岳(がく)両監督が中心となって編集したのが『JAPAN IN A DAY [ジャパン イン ア デイ]』だ。
「あの日」から1年後、人々は何を思い、どう過ごしたか
さまざまな人々が、さまざまな場所や状況で、さまざまな思いで撮った映像の断片を前に、ふたりの監督は、どのように作業を進めていったのだろう。
成田 「2012年3月11日に撮影した映像を送ってくれた方々が、何を面白がって、どういうことを大切に思っているのか。そういうメッセージを読み取ることに一番、気を遣いました。それを僕らなりに発見して、どうしたらその思いをより強く表現できるのか、どうしたら一本の映画にまとめ上げていけるのか。繰り返し議論しながら作業していきました」
マーティン 「今回の私たちの仕事は、映像に出てくる人々のさまざまな声を届けることでした。だから彼らと観客の間に立ちふさがってはいけないと肝に銘じる必要があった。それに加えて、原発とか、放射能とか、微妙なテーマがある中で、バランスをとる必要があることを特に意識しました。一方では、たとえ映像作家として賛成できないことであっても、人々には言いたいことを言ってもらう。その一方で、きちんと真実とのバランスをとるという姿勢です。
私たちは集まった映像を見ながら、ストーリーを探していったのです。常にこう問いかけていました。ストーリーは何だ? 何を言おうとしているのか? このショットの次にこのショットをつないだら、こんな意味になるのではないか? ストーリーが変わってしまうのではないか? それはよいことだろうか? 正しいか? 真実か? 正直か?」
マーティン 「私たちは知っていました。大地震が発生してちょうど1年後の午後2時46分、あの瞬間、あの黙祷の1分間に、多くの異なるストーリーがひとつに重なるだろうと。だから、その一点に向かうまでのシーンで、それぞれの生活や思いを観客に理解してもらっておく必要があったわけです。一方で観客にも、この瞬間によみがえってくる、さまざまな記憶、悲しい思い出がある。とてもパワフルな瞬間です。初めにこの映画が何なのかを考えた時、非常におぼろげな形でしかなかったけれど、その一点に向かって、観客を小さな旅へと連れて行こうとしているのだ、ということはわかっていました」
成田 「そうですね。そういった大枠に対しての考えは、製作の早い段階からふたりで合致していました。個々のストーリーについては、すぐに『これだ』というものがあったわけではなく、全体の流れの中で徐々に凝縮して形作られていった気がします。小さな個々のストーリーが少しずつ結びついてスライドのようになって、大きな流れの中にうまくはまっていけばいいなと考えて作業していきました。混じり合ったものを蒸留していくような作業だったのかなと思います」
あのとき何が起きたか、そして未来はどうなっていくのか
マーティン 「私たちが作ったストーリーの流れについてひとつ例を挙げましょう。2時46分が過ぎた後、すべてをハッピーに見せて終わらせることもできた。でもそうしたくはなかった。終盤に、この日に娘の1歳の誕生日を迎えた父親が出てくる。ちょうど1年前、彼は娘が生まれた直後に、津波の中へ人々の救助に向かわなくてはならなかった。そして助けられなかった少女のことが今でも頭を離れない。その罪悪感をカメラに向かって涙ながらに告白するのです。私たちは、こうした告白にも耳を傾けなくてはならない。彼がカメラに向かって告白することで苦しみから解放されていく、そのプロセスに心を打たれました。それも、娘の1歳の誕生日という本来なら喜ばしい日の出来事なのです。言うなれば、過去の悲劇と未来の間に葛藤が生じている。この映画の中の多くのストーリーにこの葛藤が表れています。多くの日本人が、過去に何が起きたか、そして同時に、未来がどうなっていくのかを理解しようとして、格闘しているのだと思います」
映像を通じて、日本人の心や日常生活に触れることになったマーティン監督。外交官の父を持ち、幼い頃はサイゴン、香港、マレーシア、シンガポールなどで育ったため、アジアについては多少の知識があったという。日本についてはどんな印象があったのだろう。
マーティン 「私がティーンエイジャーのとき、英国のポップヒーローたち、デビッド・ボウイ、マーク・ボラン、ブライアン・イーノなどは、みんな日本に夢中でした。私もその影響を受けてね。YMOのファンになり、坂本龍一が好きでした。当時の若者にとって日本についての知識があることは“クール”だったのです。それで結構知っているふりもした(笑)。
この映画の話が来たとき、日本を発見し、日本人の考え方を知るには、またとないチャンスだと思いました。日本人の誰もが重要と考える出来事があってから、ちょうど1年後の24時間をひとつの映像作品に仕上げる。長い間、その生活と文化を学びたい、理解したいと憧れてきた国を旅する方法として、これ以上のことはない。
映画の中に、ひな人形をしまう女性の映像が出てきますね。綿で丁寧にくるみながら、1年後にまた会おうねと箱に戻していく。このとき彼女はとても満ち足りている。私はここに、日本人の日常にふと表れる、細やかさ、美しさ、安らかさ、優しさを見てとりました」
震災を体験した日本人は、世界に対して何ができるか
成田 「僕が日本人として、映像を通じてあらためて発見できてうれしかったのは、日本人の強さです。一生懸命頑張って生きようとしている。この作品には、死に対する考え方より、生きることに対する考え方が多く出ている気がします。自分たちが本当に大事にしてきたものをあらためて見直せば、日本人がこれから世界に対してできることがたくさん見えてくると思います。よく昔から言われているような協調性だったりとか、功利を意識せずにみんなのために働くことだとか…」
マーティン 「日本に起きたことは、頭では理解できない、大自然の偶発的な出来事です。このような恐るべき事態に向き合っていける日本人の能力には、外国人として驚嘆するほかない。自分たちの感情と向き合い、生きていくための新しいやり方を見つけていく。謙虚に、勇敢に、気高く、物事を前に進め、問題を解決していく、こうした日本人の姿勢は、世界に多くの示唆を与えてくれるでしょう。それともうひとつ。あんなふうに犬にフロックコートを着せるなんて、英国人には考えもつかなかったでしょう!(笑)」(インタビュー収録 2012年10月21日)
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム多言語部) 撮影=ニッポンドットコム編集部