尖閣は「凍結」し、早期に日中首脳会談を ――丹羽宇一郎・前駐中国大使

政治・外交 経済・ビジネス

民間初の駐中国大使として赴任し、2012年12月に帰国した丹羽宇一郎前伊藤忠商事会長が、中国経済の現状や尖閣諸島をめぐり悪化した日中関係の打開策を語った。丹羽氏は、両国政府は尖閣問題をひとまず「凍結」し、早急に首脳会談の実現に取り組むようと提案した。

丹羽 宇一郎 NIWA Uichiro

早稲田大学特命教授。前駐中華人民共和国特命全権大使、前伊藤忠商事会長。1939年生まれ。62年名古屋大法卒、伊藤忠商事入社。主に食品部門に携わり、98年代表取締役社長。多額な負債を抱えた業績を2001年3月期決算では過去最高の黒字を計上するまでに回復させた。04年会長。06年以降、政府の経済財政諮問会議民間メンバー、地方分権改革推進委員会委員長などを歴任。10年6月初の民間出身駐中国大使に就任。12年12月退官。主な著書に『新・ニッポン開国論』(日経BP社)、『負けてたまるか!若者のための仕事論』(朝日新書)、『北京烈日―中国で考えた国家ビジョン2050』(文芸春秋)など。

中国経済は高度成長期から安定成長期に

——高成長を続けてきた中国経済は、ここへきて成長テンポが鈍化してきました。バブル的な景気動向の一方で、汚職、公害、都市部と農村部の所得格差など、習近平政権が克服すべき課題も多いようです。中国経済の現状と今後の見通しをどう分析していますか。

「日本経済の戦後の発展の推移をみると、中国経済の動きも理解しやすいと思います。日本は1955年~73年までの高度経済成長期には年平均9~10%成長でした。その後の73~90年は中期安定成長期で、それ以前の半分程度の成長率ですが、経済規模は3倍になっています。この間、為替相場は1ドル=360円から120円まで円高が進んだ。まさに国力が3倍になったわけです」

「中国も同様に、改革開放経済をスタートしてから20年間も二ケタ成長を続けてくれば、GDPの母数(規模)も大きくなっているので、成長率が下がるのは当然です。これからは第2次の資本主義経済の勃興期を迎え、中期経済成長の安定期に入ると思います。成長率がいままでの半分くらいに落ちても、中国経済は経済規模があれだけ大きくなっているので7%成長でもまだ高いですよ。中国経済はいよいよ安定した成長期に入ろうとしている」

バブルの崩壊はない

——将来的な見通しについては、あまり心配されていないということですか。

「つまり中国の経済成長の推移は、戦後の日本経済がたどってきたのと同じ道をたどろうとしているわけです。中国国内で労働者のストライキが増える。賃金は10~20%上昇し、内需が増え、輸出は相対的に減る。これからの20年間、中国経済はそういう時代を迎えるでしょう」

「中国は都市化率を今より高めるでしょう。そうすると毎年のように1400万人程度の人口が都市に流入すると、予測されています。その人たちのマンションや道路、ガス・水道、下水などのインフラ整備も必要です。バブルになるどころではない。とてつもない需要が今後とも発生するので、それだけで経済は伸びていきます」

世界最大の消費市場を日本も活用しなければならない

——では、日本企業が対中ビジネスに臨む心構えは?

「日系企業は現在、2万2000社が中国に進出し、日系人は12~13万人も中国で暮らしています。日系企業で働く中国人は1000万人です。10年以内には中国は世界第一の経済大国になると見込まれている。つまり世界最大の消費市場ができるわけです。先進国の消費市場規模はだいたいGDPの60~70%程度ですが、中国の消費市場規模はまだ40%台です。ということは、中国の消費市場は今後まだ25~30%も伸びる余地がある。この巨大な市場を日中共同の市場ととらえるべきです」

「今の日中関係の中では、中国経済が日本を追い抜くのはけしからんと捉えたり、中国経済の失速を喜んだりする人がいるかもしれませんが、10年以内に世界最大の経済大国になる国をそんな目で見てはいけない。そのような小さな器量では、日本経済そのものが衰退していきます。むしろ、成長する中国市場を利用・活用していく必要があります」

TPP、中国も将来は参加

——日本は2013年7月からTPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉に参加しました。日中にとってどのような影響がありますか?

「TPPは本来、中国と日本が入らなくては意味がないと思います。10年後にはアメリカを抜いて世界最大の経済大国になる中国を抜きにして、広域経済協定を結んでもどうでしょうか。中国は、自分たちの今のレベルではTPPに入らなくてもいい。いずれ世界最大の経済大国になる中国を抜きにして各国がTPPを締結しても意味がない――とみている側面もあるのではないでしょうか」

「日本にとってTPPが大事なのは、農業など遅れている産業がTPPに入って刺激を受け、競争力をつける。これを中国が入ってくる前にやる必要があるという点です。農業や保険分野などこれまで国内中心でやってきた業種は、海外からの冷たい風が吹き込んでそれに耐える競争力を身につける必要があります。そのうえで、どうしても太刀打ちできなければ、国内政策で保護すべきです。国の宝である農業をつぶしてまでTPPをやるとなれば、それでは本末転倒になってしまう」

日中で投資・知財保護協定の早期締結を

——日中韓FTA(自由貿易協定)の交渉はどうですか。

「日中韓のFTAはともかく、日中間で紛争があり協定締結交渉が遅れている間に、他国がどんどん先に協定を結んでしまう。韓国と中国はすでに協定交渉を始めているのですから、日本と中国はFTAとまでいかなくても、一刻も早く投資保護と知的財産権保護の二つの協定を結ぶ必要があります。私が日中間で“経済の交流を図れ”と言うのは、この二つの経済協定を早く結ぶべきだということなんです」

「尖閣問題で日中間がごたごたしている間に、中国市場は米国やドイツ、韓国に先を越されてしまう。日本経団連も経済界もこうした協定締結の必要性をもっと政府にぶつけるべきです。日中の経済関係を改善させることが、アベノミクスの最大のテーマとも言え、国益にもかなうはずです」

尖閣問題を「凍結」し、日中で3つの交流図れ

——尖閣問題でぎくしゃくした日中関係がさらに続けば、アジアのみならず世界経済にとってもマイナスです。両国はこれをどう打開したらよいのでしょうか? 

「大局的な視点に立って考えれば、答えは極めて明快です。日中はこれまでの何千年という歴史を踏まえ、また今後の21世紀中を視野に入れて考えれば、答えは一つしかない。それはできるだけ早く、日中首脳会談を実現することです。尖閣問題の解決を急ぐということではなく、凍結(freeze)すべきだと考えています。解凍の季節がいつ来るかはわかりませんが、その時期が来るまで凍結する。その間に日中間でやることは3つあります。1つ目は経済の交流、2つ目は青少年の交流、3つ目は地方と地方の交流です。この3つはできるだけ早くやるべきです。それに向かって、どのように努力するかを日本でも議論すべきです」

日中の関係改善に向けた議論を

——日本政府の公式見解は「歴史的経緯、国際法に照らし合わせてもわが国固有の領土であり、領土問題は存在しない」ということで一貫していますが…。

「私個人は“領土問題はないが、係争はある”という認識です。政府は、1996年に池田行彦外相(当時)が尖閣諸島を『わが国固有の領土』と表明して以来、この立場を繰り返し述べています。また、1972年の田中角栄首相と周恩来首相(いずれも当時)会談で、尖閣諸島の“棚上げ論”が出たとも言われるが、公式記録はなく、現在も“棚上げ論”の有無が議論されている。しかし、この議論をさらに続けても決着はつきそうもなく、非生産的です」

「政府は40年以上、尖閣の棚上げ論はないと言ってきたし、17年間もわが国固有の領土と主張してきました。それをここにきて、棚上げ論があったとも言えないし、『わが国固有の領土』との公式見解を覆すこともありえない。そんなことを口にすれば、世界からも信頼を失う。中国側もその点は分かっているはずです。他方、中国側も今さら日本の主張を認めるわけがないし、これまであるあると言ってきた棚上げ論を引っ込めることも考えにくい」

「つまり、両国政府は尖閣問題について、これまでの主張を変えることはできない。従って、これ以上議論しても決着はつかないのです。それより両国はどうやったら仲良くやっていけるかを議論する必要がある。そのために、尖閣問題は凍結したらどうかと申し上げています。そして氷が溶けだす時期が来たら、解凍の話をしたらいいのです」 

日中首脳会談のチャンスは年内に3回ある

——現実的な大人の解決策ですね。

「安倍総理は中国側に『ドアはオープンにしています』と発言しています。これは、40年前の田中・周恩来会談(1972年)の第一回政治声明を機に、それ以前の国交断絶状態が国交正常化したのですから、ドアは開いているわけです。ただ、お互いの言い分やメンツがあって、尖閣問題に決着をつけようとするから、ドアをオープンにしているという以外に言いようがないのです」

「習近平体制は今後10年間は続くのでしょうから、日中は今後どう仲良くしていくかを首脳同士が大局的な視点に立って話し合うことが重要です。首脳会談の開催地は、お互い相手国でやるのはメンツもあって難しいでしょうから、自然な形で顔を合わせることができる第三国での開催が現実的です。例えば、日中韓首脳会談の際に韓国で会うのも一案。その際に“尖閣問題はしばらく凍結しましょう”ということで合意し、対外発表すればいいのです。日中のトップ同士が話し合ってやっていこうとしているな、という雰囲気が両国民に伝われば、国民感情も変わってくると思います」

——首脳会談のチャンスは?

「9月にサンクトペテルブルクG20(主要20カ国・地域)首脳会議、10月にインドネシアでAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議、それに年内にもう一回日中韓首脳会議の可能性がありますから、年内に都合3回の首脳会談のチャンスがある。そこでは、安倍首相も習近平主席も細かい話はやめて、10分か15分の立ち話でもいいから、『領土問題は当面、凍結しましょう』ということを確認し合い、経済交流や青少年交流などを進めましょうと提案すればいいのです。習近平主席も李克強首相も青少年交流の問題に取り組んできた方だから、その重要性は分かっています」

気がかりなのは日中よりもむしろ日韓関係

「尖閣問題では中国の公船が領海侵入したなどのニュースが続いていますが、大局的に見ると日中関係はこれ以上悪くならないと思いますし、悪くしてはいけません。両国政府の指導者たちもそう認識しているのではないでしょうか」

「その点では、日中よりむしろ日韓のほうが最近では、関係修復のきっかけがないような気がします。日韓関係をめぐる国民感情のほうが日中よりも根が深いかもしれないので、心配しています。日中関係の局面が変われば、それが日韓関係にも影響を与え、日韓間でも竹島問題や慰安婦問題は一時凍結して、同様に関係修復の話し合いの機運が芽生えればいいのですが…」

(インタビュー・8月1日東京都内で)

取材=原田 和義(一般財団法人ニッポンドットコム・シニアエディター)
写真=山田 愼二

日中関係 中国 TPP