渡辺謙「ゴジラの咆哮が世界を震わす」
[2014.07.09] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

日米の映画界で活躍する渡辺謙さん。新鋭イギリス人監督を大抜擢したハリウッド映画『GODZILLA ゴジラ』への出演を決めた思いと、日本が60年前に生み出した怪獣ゴジラが継承する意味について、自らの考えを熱く語ってくれた。

渡辺 謙

渡辺 謙WATANABE Ken1959年新潟県魚沼市生まれ。1979年に演劇集団・円に入団。舞台で頭角を現す一方で、伊丹十三監督の『タンポポ』(1985年)などの映画でも強い印象を残す。1987年NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』で人気を確立。2003年12月にはトム・クルーズと競演する『ラストサムライ』が公開され、ハリウッド映画進出を果たす。この作品で2004年第76回アカデミー賞・助演男優賞にノミネートされ注目を集める。以来、『SAYURI』(2005 年)、『硫黄島からの手紙』(2006年)、『インセプション』(2010年)など、ハリウッドの話題作に出演。邦画では若年性アルツハイマー病を扱った『明日の記憶』(2006年)、日本航空をモデルにした山崎豊子原作小説の映画化『沈まぬ太陽』(2009)などで主演。2013年はクリント・イーストウッド監督作品を日本版にリメイクした『許されざる者』(李相日監督)で主演を務めた。また、東日本大震災の被災地支援の活動にも積極的に取り組んでいる。2014年3月宮城県気仙沼に集会所型カフェ「K-port」を立ち上げた。

2014年5月に米国で公開されて以来、世界62カ国で大ヒットを記録している『GODZILLA  ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督)。日本公開は7月25日で、63カ国目として「大トリ」を飾る。渡辺謙さんは、芹沢猪四郎博士という科学者を演じている。その役柄は核への恐怖を背景とした1954年の日本映画『ゴジラ』(本多猪四郎監督)の芹沢博士(演じたのは平田昭彦)へのオマージュでもある。

ゴジラの有無を言わさぬ「バイブレーション」こそ「神の啓示」 

1959年生まれの渡辺さんは、「ゴジラ世代」でありながら、『GODZILLA  ゴジラ』への出演を決めるまで、ゴジラとは何なのか考えたこともなかったという。

「今回は科学者を演じるうえで、どのような目線でゴジラを見ればいいのか、考える時間がありました。彼(ゴジラ)はひと言も語らない。何を考えているかもわからない。彼が動くと町は壊れ、がれきの山を作る。その存在は『理屈』じゃない。初めて全身をスクリーンに現した時、咆哮(ほうこう)する。それが有無を言わせぬバイブレーションを引き起こす。犬が威嚇して吠えたりするのと違う、何か叫び声のような非常に切ない音に聞こえました。人間がコントロールできないもの、もっと言えばそれは自然災害(の象徴)とか、あるいは神の啓示のようなものに思えた。何か叱られているような感覚でした」

「人間社会は複雑で、国と国との問題、人と人との関係もどんどん複雑になって、答えが見えない。その状況で、ゴジラから放たれるバイブレーションは(自分たちの在り方を)自問自答させる。バイブレーションだから簡単に国境も超えられるんです」

あえてゴジラの魅力、本質をひと言で表現するなら何かを聞いてみた。

「『恐れ』、『畏怖』。例えて言うなら、『不動明王』のような気がします。アジア的な宗教観かもしれませんが、破壊や恐れの先に、静けさや安寧や平穏があるということを体現している存在だと僕には思えます」

新鋭イギリス人監督の「バランス感覚」

初めてギャレス・エドワーズ監督に会った時、1975年生まれの若きイギリス人監督が、1954年の本多監督作品が内包するメタファー(暗喩)に敬意を払い、その60年の歴史に造詣が深かったことに感銘を受けたという。

「(1954年当時)原爆の傷が癒えない戦後の冷戦下、原水爆開発が加速度を増していったとき、日本の映画人達が、警鐘を鳴らす意味で『ゴジラ』を作った。さらに私達は3年前の原発事故で放射能の脅威を強烈なリアリティーをもって感じました。60年たった今でもその恐怖は変わっていない。オリジナルのゴジラがそのバイブレーションで提示する問いは、今でも辛辣(しんらつ)です。本当に僕たちはこのまま続けていいのかと、自問自答させてくれる」

「エドワーズ監督に最初にお会いした時、広島、長崎(への原爆投下)、3・11以降の日本のありように対し、非常に理解が深かった。どうしてゴジラは生まれたのかについても理解が深いし、イギリス人である彼の立ち位置が、芹沢博士の少し先にいる感覚がありました。例えば、核兵器なんかで倒せるような相手ではないという認識です。ゴジラにしても(敵怪獣の)ムートー(MUTO)にしても、生物学的に何一つ悪いことはしていないが、人類にとっては大きな脅威で、それは自然災害とかと何ら変わりないかもしれない。そういった監督の観念的立ち位置がこの映画のとてもいいバランスに結びついていた気がします」

“核”が内包するジレンマに向き合う

1954年版『ゴジラ』の芹沢博士は、自らが発明した「オキシジェン・デストロイヤー」の兵器転用を拒みながらも、最後はゴジラに対して自ら装置を作動させ、ゴジラと共に東京湾に消える。今回の『GODZILLA  ゴジラ』で渡辺さんが演じた芹沢も、科学者ならではのジレンマを抱えている。

「芹沢博士は複雑な背景を背負っています。芹沢の父親は被爆者で、だからこそ彼は原子力、放射能を人類の生活に有効利用できないかと考えていた。そしてムートーを発見し、その生態を利用して放射能を除去できないか研究していた。でも結局人類破滅の危機を招くような巨大怪獣に育て上げてしまった」

 「実は、科学者とはずっとそういうリスクを抱えて研究しているわけです。例えばがん細胞を撲滅する薬を発見する、抗エイズウイルス薬を開発しているとか、人を救うために始めたことが人類を破滅させる薬やウイルスを発見してしまうこともあり得ます。その剣が峰に生きていることをジレンマとして抱えている。恐らく放射能も同じでしょう。誰も地球を破壊するために原発を造っているわけじゃない。一方で、まかり間違うと破滅的な結果を招いてしまう」

「芹沢博士という役に向き合ったとき、彼もきっとそのジレンマを抱えているのだろうと思いました。結局は最終的に自分たちが力の及ばない『自然』に運命を委ねるしかないとひれ伏してしまう。そして最終的にはある意味で核を放棄することになる。今我々が抱えている大事な分岐点を、この科学者の役柄、映画自体が内包しているという気がしてならないんです」

歌舞伎にも似たゴジラの咆哮

渡辺さんは2011年の東日本大震災後に何度も被災地を訪れ、現在もいろいろな支援活動を展開しているが、その体験が今回の芹沢としての演技に影響を与えている。

「震災後1カ月してから、本当に跡形もなくなった町をいくつも目にしました。周り中がれきの山の(『GODZILLA  ゴジラ』の)ラストシーンでは、3年前に見た光景がフラッシュバックしました。でも、そのラストシーンに感じたのは絶望ではなかった。もしかしたらまた人間たちは立ち上がって、再建していくエネルギーを持っているかもしれない。そんな小さな希望みたいなものを、演じながら感じることができたんです」

「日本の観客の中には、街が破壊されていく場面をつらいと感じる方もいらっしゃるでしょう。でも、ラストシーンで再生への希望や、僕たちが見つめ直さなければならない問題を少しでも感じてもらえたら嬉しいです」

もっとも、『GODZILLA  ゴジラ』はあくまでもエンターテインメント。教条主義的に深いテーマを押し付けるような作品ではない。エドワーズ監督は渡辺さんにこう語ったそうだ。「観客はポップコーンとコーラを持って映画館に入る。でも、どこか途中でポップコーンを食べる手が止まり、何かが心に引っ掛かる。そんな映画にしたいんだ」と。

「僕もそう思っていました。子どものころゴジラ映画を見て、その当時の製作者が込めた思いをくみ取ったりはしなかった。ただ喝采を胸に映画館を出ましたよ。それが10年後ぐらいに、そういえば、あんなこと言っていたよな、と思い出した。今回も切ないバイブレーションであるにもかかわらず、観客はゴジラの最初の咆哮を聞くと喝采するでしょう。それはどこか歌舞伎にも似ているかもしれない。(観客を)さんざんじらして見栄を切った時に、『待ってました、成駒屋!』と声がかかるみたいな、ある種エモーションをかき立てるバイブレーションでもある。そのへんのエンターテインメント性はとてもよく練られていて、ゴジラのアクション場面を含め、とてもいい興行を見ている気がします」

日本映画に対する忸怩(じくじ)たる思い

世界に冠たるゴジラは日本発の「文化」。しかし、アニメを別にすれば、世界への発信力を持つ日本映画は極めて少なくなっている。その状況をどう見ているのだろうか。

「インサイダーとして言うのは忸怩たるものがあります。例えば『ラストサムライ』や『硫黄島からの手紙』のような作品と比較すると、日本映画は、今我々が向かうべき大きな壁みたいなものに真正面からぶつかっていない気がします。日常の隣にあるような無難な世界を描くことに終始している」

「僕が日本映画の中でやりたいのは、例えば『沈まぬ太陽』とか『明日の記憶』のような、ある種普遍的なテーマや、人間の抱えている葛藤を描いた作品です。『許されざる者』にしても、善と悪はどこにあるのか、大きな深いテーマを扱っていました。でも、日本映画はなかなかその方向に行かない。例えば、ゴジラにしても、今向かうべき素材が我々の手の中にあったはずなのに、海外に先を越されてしまうところが、ちょっと悔しいし、何とかしなくてはと思います」

若者は広い世界で大いに「恥をかく」べし

「日本発ハリウッドスター」として、渡辺さんの英語での演技は堂に入ったものだ。世界を舞台に英語で勝負して成功している日本人スターは数人しかいない。英語で演じることに関しては、どんな意識を持っているのか聞いてみると、日本の若い世代に対する叱咤(しった)激励も飛び出した。

「(英語で演技するのは)恥ずかしいですよ。自分がどこまで言語としてちゃんと操れているのか、いまだに不安な気持ちで演じています。恥をかくことも多い。そうとうチャレンジする気持ちがないと向かってはいけない。でも、基本的に僕らの仕事はとても恥ずかしい仕事です。人前で、愛だの恋だの、生きるの死ぬのと平気で何度も繰り返している。本来恥ずかしい仕事であるのにもかかわらず、あまり恥をかくことをよしとしなくなってしまっている傾向があるように思う」

「それは俳優だけの問題じゃなく、若い人たちが留学などで海外に飛び出していかないのと同じです。若いうちはどんなに恥ずかしい思いをしてもいい。英語が下手くそだろうがなんだろうが、実際に日本の外に出て経験して、ぶつかって得るものがあるはず。恥をかいたり、日常より少し大変なことをすることに億劫(おっくう)になっているような気がする」

「未知なるものや、もっと広い世界に目を向けないようになってしまっている。日本の映画界を含め、すべてにつながる問題ですね」

(2014年6月26日のインタビューを基に構成。インタビュアーは一般財団法人ニッポンドットコム代表理事・原野城治 / 写真=山田愼二)

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