個人の気持ちと宇宙を結ぶ視線—新海誠監督の世界

文化 Cinema

『君の名は。』が大ヒットを記録中、国内外の注目を集める新海誠監督に、アニメ制作に込める思いを聞いた。

新海 誠 SHINKAI Makoto

1973年生まれ、長野県出身。 2002年、個人で制作した短編作品『ほしのこえ』でデビュー。初長編作品『雲のむこう、約束の場所』(04年)が第59回毎日映画コンクール「アニメーション映画賞」受賞。以後、国内外で多数受賞。中編『秒速5センチメートル』(07年)、アジアパ シフィック映画祭最優秀アニメ賞、イタリアのフューチャーフィルム映画祭「ランチア・プラチナグランプリ」、『星を追う子ども』(11年)、第8回中国国際動漫節「金猴賞」優秀賞。12年には内閣官房国家戦略室より「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」として感謝状を受賞。翌年公開の『言の葉の庭』でドイツのシュトゥットガルト国際アニメーション映画祭長編アニメーション部門のグランプリ。世界92カ国・地域に配給される『君の名は。』(16年)は、スペインのシッチェス・カタロニア国際映画祭アニメ部門最優秀賞。

今夏に公開されて以来、新海誠監督の『君の名は。』は12月4日(日)までで動員数1535万人、興行収入199億5千万円と、記録を伸ばし続けている。宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』に続き、邦画の歴代興行ランキング第2位を記録した。

海外でも、台湾、香港、タイで公開後の週末興行ランキング1位を記録。12月には中国、米国でも公開予定で、第89回アカデミー賞長編アニメーション部門の選考対象作品となった。

『君の名は。』は新海流「とりかえばや」物語。東京に住む男子高校生・瀧と山間の田舎町に住む女子高校生・三葉は、自分たちの体が入れ替わっていることを知る (C)2016「君の名は。」製作委員会

——「次世代の宮崎駿」として早くから海外でも注目を集めていらっしゃいます。

僕のデビューは2002年、下北沢のミニシアター、トリウッドで公開した『ほしのこえ』です。25分の個人制作作品ですが、海外でもDVDが発売されました。また最初に海外に呼ばれたのは、米国サンディエゴのコミコンだったと思います。それ以降、1作出すごとに、数カ国でのイベントに招待されるようになりました。海外では10年ぐらい前から“New Miyazaki” とか、次世代の作家と呼ばれたりしていますが、それは、海外では、日本のアニメーション映画は宮崎さんとそれ以外という見え方をしているからでしょう。

もう一つは、彼らが知っている宮崎作品と僕の作品とではテイストが違うこともあります。僕は、日本のローカルな世界を描いてきました。背景に出てくる絵は、日本の信号機、自動販売機、埼京線とかの電車や、東京の普通のビルだったりする。スタジオジブリ作品の世界観、映像とは手触りが違ったために、「次世代の監督」と認識してもらったのだと思います。

今でも僕は、海外ではマニアック、ニッチなものが好きな人たちが愛してくれるカルトな存在だと思います。『君の名は。』のヒットでたとえ観客の数は増えても、その本質は変わらないのでは。質の違う観客に届くと僕には思えません。

——「ローカル」なものを作ろうと常に意識しているのでしょうか。

自分と足元でつながっている場所でないと、実感を込めて描けない。僕の日常の舞台である東京を、東京圏に住む3000万の人が知っている東京とは少し違った見せ方ができる、それが自分の武器だという感覚があります。『君の名は。』での(ヒロインの)三葉(みつは)が育った山間の町は架空のものですが、その風景を描く時には、自分が育った長野県小海町の風景の実感を込めることができます。

僕が生まれ育った場所は、標高1000メートル以上ある町で、周りに八ヶ岳など高い山があって風が強く、空の表情が豊かです。野辺山電波天文台が近く、星もきれいです。田舎で他に眺めるものもないので、毎日のように1,2時間空を眺めては、水彩で空の絵を描いていました。ですから、自分の映画の空の原風景は信州です。

新海監督の原風景は、長野小海町の風景だ

——少年時代、影響を受けたアニメにはどんな作品がありますか。

田舎だったので、テレビは子供の頃にはNHK総合と教育、民放1局の3局しか受信できませんでした。『世界名作劇場』(編集部注:フジテレビ系列で60年代終わりから放映された30分のアニメ番組、宮崎監督、高畑勲監督が関わった作品もある)やNHKで放映された『ニルスの不思議な旅』、宮崎監督の『未来少年コナン』などを見ていたし、庵野秀明監督の『不思議の海のナディア』は高校生の頃すごく好きで、影響を受けています。

大きな影響を受けた映画が『天空の城ラピュタ』。中1か中2の時、初めて、2時間以上かけて電車で上田まで行って、自分でお金を払って見た映画がラピュタでした。世の中にこんなに面白いものがあるんだと夢中になりました。

——大学は東京の中央大学文学部で、就職したのはゲーム会社ですが、いつの時点でアニメ監督を志したのでしょうか。

大学はモラトリアム的な気分で文学部に行きました。大学生活を送る中で自分が将来やりたいことが見えてくるかと探し続けたけれど、何も見つからず、焦りもありました。手探りのように就職試験を何社か受け、最終的にはゲーム会社の日本ファルコムに就職しました。子どもの頃から絵を描くとか、物語を考えることは好きでした。ゲームもモノをつくる仕事なので面白そうだなと思いました。

ゲーム会社に勤めながら、自分自身で物語、そして映像をつくることにどんどん興味を引かれていった。5年で会社を辞めて、『ほしのこえ』を個人制作して、すごく楽しかったし、ある程度お客さんに見てもらえて、これで生きていけるかもと…。

ただ、次に長編『雲のむこう、約束の場所』、中編『秒速5センチメートル』をつくった時点でも、これが自分に最も向いているという確信が持てなかった。その頃、国際交流基金から中東でデジタルアニメーション制作のワークショップ出演のお話をいただき、受けることにしました。どうせ中東に行くなら、少し海外に住んでみようと思い、ワークショップを終えて、ロンドンの語学学校へ入学したんです。半年ぐらいのつもりが、結局1年半滞在しました。

——初めての海外生活が転機となったのでしょうか。

ロンドンでの1年半の滞在中に自分の作品を見てくれた多くの人と出会った

滞在中、僕の作品を知っている多くの人と出会いました。語学学校の中に何人もいたし、カフェで声を掛けられたこともあった。ある日床屋に行ったら、床屋の人が、あなたを知っている、僕のアニメのDVDを買ったと言うんです。皆、いかに僕の作品が好きかを伝えてくれました。今までも映画祭でのファンとの交流イベントなどはありましたが、日常生活を送る中で、自分の作品を見てくれる人が身近にいると実感したのは初めてでした。

でも、当時は35歳、ロンドン市民でもなく、仕事もなく、結婚もしていない、何者でもない自分も意識しました。すごく自由であると同時に足元に何もない不安もあって、何かをつかまざるを得ない心境の中で、物語を書きたいという気持ちの輪郭がはっきりしてきました。それで滞在中に次回作の脚本を書き始め、書き上がってから帰国しました。それが『星を追う子ども』です。ここからアニメ監督としてやっていこうとはっきり決めた気がします。

——エンターテイメント性を重視した『君の名は。』は、これまでと違う制作環境でしたか。

デビュー作『ほしのこえ』は個人制作ですが、それ以降は自分のスタジオで、何人ものスタッフと一緒に仕事をしました。ただ、『君の名は。』は今まで以上に多くの、しかもそれぞれスター性がある人たちが参加しました。例えば、RADWIMPSのような人気アーティストとコラボレーションに近い形で仕事をしたのは初めての経験でした。

アニメーター陣も豪華でした。日本のアニメマニアならクレジットを見て驚くと思います。キャラクターデザインの田中将賀(まさよし)さんには、TVアニメを中心に活躍し、確固たるファン層があります。作画監督の安藤雅司さんは、ジブリで『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』の作画監督を担当したアニメ業界での大先輩。他にも、Production I.Gやシャフトなど「出自」の違う人たちが参加してくれました。

——監督の作品は『君の名は。』まで一貫して、人と人の切ない思い、距離感を描くと同時に、宇宙的な広がりも感じさせます。

個人と個人の関係性、気持ちの関係性は、僕自身の思春期の一番大きなテーマでした。なぜ人を好きになるのか、なぜ自分が好きな相手が自分を好きになってくれないのか、そんな当たり前のことが、思春期の自分にとって大きな謎、宇宙の謎のようなものでした。

東京で彗星の飛来を見つめる瀧 (C)2016「君の名は。」製作委員会

祭りの夜、三葉の眼前で彗星が分裂する (C)2016「君の名は。」製作委員会

大人になり結婚、子どもがいる今でも、ふとした瞬間に、思春期の頃と同じような不思議さを感じます。個人と個人の気持ちの距離感、ギャップは、この先もテーマの一部として描き続けると思います。

また思春期の頃に、自分が生まれてきた意味、自分にしかできない役割は何かと考えました。自分自身の人生が無ではなく、たとえ大きな時間の流れの中では一瞬であっても、巨大な運命にコネクトしていると感じたかった。僕は特定の宗教を信じてはいませんが、神様を信じる感覚に近いのかもしれない。そのこともあって、個人の気持ちという小さなスケールと星、宇宙といった、大きなスケールを結び付けるような話を書きたいという思いがあります。

——小説も書いていらっしゃいますが、今後小説に力を入れるお気持ちはありますか。

今のところは、あくまでも映画を原作とした「ノベライゼーション」で、小説家としての自分に価値があると思ったことはありません。アニメをつくっているからこそ小説も読んでもらえるのだと思う。小説を読むのも書くのも好きで、アニメや映画を見るより小説を読んでいる時間の方が長い。ですから、いつか小説のための小説を書ければという望みはあります。同時に、観客が真に欲している作品をつくらなければという気持ちの方が強い。今、僕が本当に必要とされているのは、やはりアニメーションなのかなという気がしています。

取材・構成:ニッポンドットコム編集部 板倉 君枝、加藤 恵実、大谷 清英(撮影)

アニメ 映画 新海誠 君の名は