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鬼太郎のまち境港市で水木しげるをしのぶ
[2016.05.05] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

2015年11月に死去した水木しげるは、多くの妖怪を生み出した漫画家として知られている。出身地の鳥取県境港市は、彼の妖怪ブロンズ像や作品にちなんだアトラクションを通じて多くの観光客を呼び込んでいる。

境港市で水木しげるをしのぶ会を開催

1943年、第2次世界大戦中のラバウル(パプアニューギニア)で、マラリアにかかったため野戦病院に入院していた水木しげるは、連合軍の爆撃に遭った。そこで負傷した彼は、左腕を失うことになった。大戦中、多くの人々が死線をさまよう中で水木は生き残り、その後70年以上も生き続け、2015年11月30日、93歳でこの世を去った。

水木しげる(本名:武良茂(むらしげる))は、日本漫画界の第一人者の一人として頂点を極め、特に、大ヒットした漫画シリーズ『ゲゲゲの鬼太郎』を始め、多くの妖怪を扱った作品で知られている。『ゲゲゲの鬼太郎』は数回にわたってアニメ化され、最新のものは2007年から2009年にかけて放映された。戦争も水木の重要なテーマだった。彼の自伝的作品『総員玉砕せよ!』(英語版:Onward Towards Our Noble Deaths)は、自らの軍隊での体験を描いている。

鳥取県境港市の鬼太郎のブロンズ像(左)と2010年当時の水木しげる(右)

2016年3月8日、水木の出身地である鳥取県境港市で彼をしのぶ会が開催された。亡くなってから100日後、94歳の誕生日に合わせて開かれたものだ。会には水木の妻、武良布枝らの親族と、水木の作品を通じて妖怪に興味をもつようになったホラー作家、京極夏彦が参加した。参加者は、活動写真弁士による映像の上映や鬼太郎音頭の披露などを通じて、水木の人生と作品をしのんだ。

老女から聞いた妖怪の話

水木しげるは、「のんのんばあ」と呼ばれていた景山ふさという老女から、少年時代に妖怪の話を聞いた。ふさは水木家のお手伝いで子どもの世話もしていたが、彼らは彼女の怖い話や不思議な話に夢中になった。水木は2015年8月末の取材でこう語っている。「彼女が預かった子どもたちにお化けや妖怪の話を語ったのは、とても貧しかったからです。子どもたちに与える食べ物もお金もなかったから、代わりに話をしてくれたのです」。

景山ふさは水木がまだ小学生の頃に亡くなったが、彼にとっては少年時代の最も強烈で貴重な教師の一人になった。水木は子どもの頃にふさから受けた影響について、1977年に『のんのんばあとオレ』(米題:NonNonBa)という自伝的エッセイを書き、高い評価を受けた。さらに、彼女の妖怪の教えは、『ゲゲゲの鬼太郎』の誕生につながり、彼に大成功をもたらすことになった。

妖怪の誕生

終戦後、水木は日本に復員したが、生活は苦しかった。何年もの間、漫画の仕事はどうにか生きていけるだけの収入にしかならなかった。潮目が変わったのは1960年、新作『墓場鬼太郎』を発表してからである。この作品では、タイトルに初めて妖怪少年・鬼太郎が登場する。また、最初はミイラとして登場するがすぐに死んでしまい、目玉として復活する父親の目玉おやじ(2002年の講談社バイリンガル・コミックス版ではDaddy Eyeball)と、もう一人の重要なキャラクター、ねずみ男も登場する。

2016年3月8日、米子鬼太郎空港のリニューアル式で夫、水木しげるの写真を抱く武良布枝

『墓場鬼太郎』は1967年に『ゲゲゲの鬼太郎』として再開され、大ヒットした。子どもになじみやすいようにタイトルを変え、恐怖の度合いもトーンダウンしていたが、それでも型破りな魅力にあふれていた。この頃までに鬼太郎は、長い髪で左の眼球がないという、誰にでもわかる特徴を備えたキャラクターになっていた。1968年にテレビアニメ版が始まると、水木しげるは一躍有名人になった。

2010年、NHKが水木しげるの妻、布枝を主人公にした連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』を放映した。ドラマは布枝の自伝を原案としており、貧困から成功に至るまでの2人の結婚生活を描いていた。2016年3月のしのぶ会で布枝は夫の遺影を掲げ、水木が新しい作品に向かうとき、いかに物事の裏を読み、エネルギッシュに汗だくになりながら取り組んでいたかを語った。

その日の午前中、武良布枝と親族は水木の自宅近くにある空港のリニューアル式にも出席していた。2010年以来、非公式に「米子鬼太郎空港」として知られるようになったこの施設には、ステンドグラス「妖怪たちの森」や鬼太郎などの妖怪たちを乗せた「くじら飛行船」のオブジェなど、鬼太郎シリーズをテーマにした装飾品が新設された。

通りに居並ぶブロンズ像

電車で15分の境港市は、市全体が、この地が生んだ最も有名な作家と彼が描いた妖怪たちに、全身全霊を捧げているようだ。そうした畏敬の念を象徴しているのが、巨匠のキャラクター153体のブロンズ像を並べた水木しげるロードだ。

(左上から時計回りに)べとべとさん、砂かけ婆(ばばあ)、夜行(やぎょう)さん、肩に目玉おやじを乗せた水木しげる

ここには鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男などの『ゲゲゲの鬼太郎』のスターたちと並んで、多くの仲間の妖怪たちが勢ぞろいしている。また、超自然的なテーマを扱った他の水木作品のキャラクターたちも展示されている。例えば、『河童の三平』から小学生の三平と河童、『悪魔くん』から悪魔くん(本名:山田真吾)とメフィストなどだ。

水木しげるロードは当初、23体の銅像を設置してオープンしたが、ここが観光地として定着するまでには少し時間がかかった。2007年、新作映画とアニメシリーズの放映に後押しされ、年間観光客数が初めて100万人を突破した。2010年にNHKで『ゲゲゲの女房』が放送されると、水木への関心は新たなステージへと進み、年間観光客数は370万人に達した。それ以降はやや減少し、2015年は200万人前後となった。

目玉おやじの風船を持つ観光客

3月のひんやりとした午後、水木しげるロードは混雑には程遠かった。集客という意味では、境港市の立地条件はマイナスかもしれない。もし、境港が東京から1~2時間の場所にあったとしたら、年中観光客でごった返していたはずである。それでも、オフシーズンに訪れた人たちは明らかに楽しんでおり、多くの菓子店や土産物店も繁盛していた。

ロード沿いにある水木しげる記念館は、水木の作品や妖怪の世界を展示・紹介しており、楽しい写真を撮るための場所も多い。主眼は妖怪だが、戦争をテーマにした展示もある。説明文は日本語だけだが、英語や他の言語で聞ける無料の音声ガイドが用意されている。水木しげるロードから離れた境港駅周辺にもいくつかブロンズ像やイラスト展示がある。

境港駅の外にある像は、キャラクターに囲まれて執筆する水木しげる

鳥取の「まんが王国」

水木しげるは、鳥取県が生んだ唯一の漫画家というわけではない。『名探偵コナン』の作者、青山剛昌は現在北栄町となっている旧大栄町出身で、町は彼を記念して「コナン通り」を設けた。もう一人、同県倉吉市を舞台にした『遥かな町へ』で有名になった谷口ジローも、鳥取市の生まれである。

このような背景から、鳥取県は「まんが王国」を自認するようになった。多くの漫画家を輩出した地としての知名度を最大限生かし、鳥取県への世界の関心を集めようと、毎年国際マンガコンテストを開催している。2015年のコンテストではロシア、韓国、台湾、中国からエントリーがあり、受賞作は主に日本の作品群だったが、米国人の作品が最優秀賞に次ぐ優秀賞に選ばれた。

海外からの訪日客は増える一方だが、多くは京都や東京といった有名観光地に集中する傾向にある。しかしマンガは、鳥取県と境港市にとって一定の外国人旅行者を引き寄せる魅力の一つになるかもしれない。最近の水木しげる作品の英訳版や国際メディアでの特集、米誌『ニューヨーカー』での水木作品の紹介などにより、彼の世界的な認知度は高まっている。新たなファンは、水木の魂が生き続ける聖地・境港への巡礼の旅に出掛けたいと思うだろう。

(敬称略)

(原文英語、2016年4月4日公開。文・リチャード・メドハースト、ニッポンドットコム編集部、写真:鳥取県境港市の水木しげる記念館の前に並んだ彼の人気キャラクターたち©水木プロ)

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