日本人作家がパリで注目された春

なぜか大江先生と招待されちゃったオレ

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ノーベル賞作家・大江健三郎氏をはじめとするキラ星のごとき作家たちと一緒に、パリ国際ブックフェアを体験した漫画家、じゃんぽ~る西。日本ではあり得ないような一大イベントを天性の観察眼で描き下ろしたイラスト・ルポで紹介。

じゃんぽ~る西(西村拓) J.P. Nishi (Nishimura Taku)
2002年、ヤングマガジンアッパーズ誌に『スペースパイレーツ』でデビュー。2005年にワーキングホリデー・ビザで1年間パリに滞在。そのときの体験を描いたエッセイ漫画を2006年から3年間、女性向けの月刊漫画誌『office YOU』(創美社)に連載。2011年『パリ愛してるぜ〜』(飛鳥新社刊)出版。2012年同書の仏訳版『A nous deux, Paris !』(Editions Philippe Picquier 刊)出版。現在はフランスのITニュースサイト「clubic.com(クルビックドットコム)」のコラム「ライブジャポン」にて週刊4コママンガを連載中。 新刊『かかってこいパリ』(飛鳥新社刊)も好評発売中。ブログ:つつじヶ丘通信

じゃんぽ~る西インタビュー

ブックフェアのイベントに出席するじゃんぽ~る西

——西さんはパリに何度も行っていますが、今回は日本からの「招待作家」ということで、印象が違ったんじゃないですか?

「シャルル・ドゴール空港に着いたら、招待作家の一行を迎える車がチャーターしてあって、パリのホテルまで直行でした。いつもは空港からパリの北駅までRER(郊外電車)で行って、そこからメトロで移動でしたから、今までの自分とは違う目線でパリに入った感じがしましたね」

さりげなく助手席に大江先生

——招待作家の皆さんは同じホテルに泊まったんですね。大江健三郎さんも?

「そうです。初日の朝、遅刻して会場に向かう車の第一便に乗り遅れたんですけど、ロビーには大江先生がひとりでポツンと座っておられた。ノーベル賞作家なのに誰もアテンドの人がいなくてびっくりしたんですけど、ご本人はまったく気になさっていないようで。

同じ車で会場に向かうことになり、僕は妻を同伴していたので、普通なら2人で後部座席に座るところですが、大江先生がいるのでそうはいかない。妻に『僕が助手席に座るから、先生と後ろに乗って!』などとやっていたら、先生は『いいですよ』とご自分でササッと助手席に乗り込んでしまった。特別扱いされるのを嫌うお人柄なのだと感じましたね。

日本大使館のレセプションのときもそうでした。お偉方のスピーチが1時間くらい続いて、僕ら招待作家は立ちっぱなし。聴衆の面前でステージに一列に並ばされてるもんだから休めないんですよ。ずっと直立不動。作家の中には高齢の方もいましたからさすがにきつい。

しばらくすると、見かねた大使館員が気を利かせて椅子を2つだけ運んできた。その1つを大江先生に勧めたのですが、きっぱり固辞されていた。自分だけ座るわけにはいかないということでしょう。大したもんです。僕が代わりに座りたかったですよ(笑)。周りの人たちとも英語やフランス語でニコニコと気さくに話していて、こう言ったら失礼かもしれないけど、勝手に親しみを感じましたね」

フランス語で日本のマンガ家は「mangaka」

——大江さんは、仏哲学者のジャン=ポール・サルトルに大きな影響を受けているので、西さんのペンネームに興味をもったんじゃないですか?

「いや、さすがに先生にはこんなふざけた名前は名乗れないので、本名(西村拓)で自己紹介しました」

——日本やフランスで話題になった大江さんの講演や対談には行きましたか?

「大江先生のイベントは、鎌田慧さんとの対談を聴きにいきました。反原発のメッセージに大勢の聴衆がウワーッと湧いて拍手喝采していた。日本以上に原発に依存している国なのに、こんなに反対の人がたくさんいるのはどういうことだ? と不思議な気持ちがしましたね。

ブックフェアの間はとにかく自分のイベントが詰まっていて、スケジュールをこなすので精いっぱい。ほかの作家の方々のイベントにも行きたかったんですが、時間が空いたときに見られたのは、大江先生の対談以外は、萩尾望都先生と島田雅彦先生の対談だけ。これは面白かった。作家の話はやっぱりすごく面白いなあと。ほかにも面白そうなプログラムがたくさんあったのに、全然行けなくて残念でした」

バンド・デシネのアシスタントを目指したものの…

——西さんが招待作家に選ばれたのは、フランスとの関わりが深いこともあると思うのですが、最初はどうしてフランスに行こうと思ったのですか?

「90年代初めに講談社の漫画雑誌でバンド・デシネ(BD)(※1)が連載されていました。フランスにこんな漫画があるんだと興味をもって、20歳のときに観光でフランスに行きました。

サイン会で似顔絵を描くじゃんぽ~る西

それが原体験としてあって、その後、もう漫画家の仕事をしているときでしたが、2005年にワーキングホリデーで1年間滞在しました。BDのアシスタントをやろうと思って。

出発前に、当時日本で活動していたフランス人漫画家のフレデリック・ボワレさんに相談しに行ったんです。そうしたら『BDのアシスタントという職業はない』と言われて。ガッカリして、行くのやめようかなと思ったんですが、ボワレさんに『キミは行くべきだ。日本の漫画家でフランスに行く人は少ないから、ぜひ行ってください』と言われて。

それでフランスに行きましたが、結局、普通に1年バイトして帰ってきた。ただ、パリでは毎日何かしら出来事があるんで、それを日記代わりに4コマ漫画を描いてはいたんです。帰国後、雑誌にストーリーものの企画を持ち込んだのですが、これが全然ダメで。ついでに4コマ漫画のほうを見せたら、これならイケるってことで、そっちが仕事になった。

それからはフランスと全く関係ないものも含めて、ただもう闇雲に漫画を描いてきました。その中でパリを題材にしたエッセイ漫画が今回のパリ国際ブックフェア招待という形になって、直接フランスの方々の反応を知る事ができたのはとても感慨深いです。本当にいい経験でした。これからもジャンルを問わず面白いものをどんどん描いていきたいです」

マンガ=じゃんぽ~る西
撮影=樋野 ハト

(※1) ^ バンド・デシネ(bande dessinée)はフランス語で広義の漫画を表す言葉だが、同時にフランスやベルギーで発展した漫画の一ジャンルを指し、アメリカの「コミック」、日本 の「マンガ」と区別するときにもこう呼ぶ。その場合特に、頭文字をとって「BD(ベデ)」と呼ばれることが多い。フルカラーの大判アルバムが主流。

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