特集 「いざ、日本の祭りへ」(1) 三社祭と浅草ガイド
三社祭を読み解く:お寺、神社、そして祭りの不思議な縁(えにし)
[2012.06.29] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | العربية | Русский |

700年もの伝統を誇る、浅草の初夏を彩る三社祭。今では浅草神社が執り行う祭礼だが、起源は浅草寺とも深く関わっている。寺(仏)と神社(神)にまつわる三社祭の成り立ちをひもといてみると、浅草の土地との不思議な縁(えにし)が見えてくる。

網にかかった観音様をまつる浅草寺

三社祭の起源とは何か。それを知るには、都内最古の寺院・浅草寺(せんそうじ)の創始へとさかのぼる必要がある。時は飛鳥時代、推古天皇36年(628年)3月18日の朝早く。現在の隅田川下流にあたる江戸浦で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくま・はまなり、たけなり)兄弟が、網にかかった観音像を見つけたことに端を発する。兄弟がこれを地元の識者、土師中知(はじの・なかとも)に見てもらったところ、“聖観世音菩薩像”であることが判明。その後、出家した土師が自邸に祀(まつ)ったことから浅草寺の歴史が始まった。

東京湾の入江に位置する小さな漁村だった浅草に、観音様をお参りするべく多くの参拝客が集まり始めたことで、村は次第に活気づいた。

浅草神社の矢野幸士(やの・こうじ)さん。

一方、浅草寺のすぐそばに建つ浅草(あさくさ)神社の成り立ちはどのようなものか。浅草神社の禰宜(ねぎ)・矢野幸士さんが説明する。

「平安時代末期、浅草寺の創始者である土師氏の末裔(まつえい)の枕元に観音様がお立ちになりました。観音様は、『汝らの親は我を海中より拾い上げ、厚く護持し、浅草発展に寄与した功労者である。よってこの三人を浅草寺の傍らに神様としてお祀りしなさい』と告げられた。それで浅草神社が創設されたといわれています」

浅草神社は「三社様」として親しまれているが、三社とは、浅草発展の功労者、檜前兄弟と土師氏の3人のこと。毎年5月に行われる祭りを今でも「三社祭」と呼ぶゆえんがここにある。

浅草神社の社殿前。

 

神輿に乗った神様が街を練り歩く

三社祭に関する最古の記述は、正和元年(1312年)。浅草寺の観音様が現れた(示現)3月18日、浅草神社から三人の神様の御霊を乗せた神輿(みこし)が浅草寺の本堂に入り、観音様と一晩をともに過ごした(示現会)。翌日、ゆかりの隅田川を舟で渡る「舟祭」を経て、神様を乗せた神輿が街中を練り歩いたという。

神霊入れを終えた本社神輿。

「三人の神様が年に一度、浅草寺の本堂で観音様とともに一晩を過ごしていただき、神輿に乗って浅草の街の様子をご覧いただくというのが三社祭の本来の意図です。大勢で担ぐことによって神輿が揺れ、神様の力が地上へと伝播するという意味合いもあります」

江戸時代の末までは浅草寺と浅草神社が合同で行う“神仏混交”の祭礼として執り行われていた。しかし、明治元年(1868年)、富国強兵を掲げる明治政府は、神道を国の宗教として位置付け「神仏分離令」を出し、寺と神社を分離した。このため三社祭も浅草神社が執り行うこととなり、示現会と舟祭が廃止されたが、三人の神様を乗せた本社神輿が街中を練り歩く本社神輿の渡御だけは変わらずに行われてきた。

「今では、このことを知らない街の方も多く、まして外から来られる観光客の方はあまりご存じないかもしれませんが、祭りには必ずその土地ならではの謂(いわ)れや風習があるものです。そのことを理解していただければ、より深く祭りを楽しめるのではないでしょうか」

祭りの歴史や街との関わりをより広く知ってもらうべく、平成12年(2000年)に「示現会」が復活した。長らく中断されていた浅草寺本堂へ神輿を上げる「堂上げ・堂下げ」も行われるようになった。三社祭開始700年にあたる今年(2012年)3月、神輿を乗せた舟が隅田川を渡る「船渡御」も行われた。昭和33年(1958年)に一度だけ復活したものの、その後、日の目を見ることのなかった舟祭としての三社祭が54年ぶりに見事に甦った瞬間だった。

54年ぶりに復活した船渡御(ふなとぎょ)。(写真提供=浅草神社)

 

地域住民がひとつになる装置

浅草神社の祭礼になったとはいえ、浅草寺は庶民の街・浅草のシンボルであり、今でも三社祭に深く関わっている。

浅草寺の網野義康(あみの・ぎこう)さん。

「浅草寺が長らく『浅草の観音様』として親しまれてきたのは、あらゆる階層の人たちを分け隔てなくお救いになる観音菩薩に対する庶民の厚い信仰があればこそ。観音様は、人間の俗な部分も理解してくださいます。一方、人にも仏様の心が宿っているので、つながりが生まれるのです」とは、浅草寺の僧侶、網野義康さん。

「浅草寺の境内自体が、日常の買い物で通る道であり、子供たちの通学路になっていたりして、街と一体になっています。つまり、浅草という場所は、清い部分と俗の部分の両方を合わせ持っているんです」

三社祭は、そんな浅草に暮らす住民のコミュニケーションの場としても機能している。町内会の役員がお神酒(みき)所にドンと座り、その周りで婦人部の方たちがせっせとお茶を出し、直会(なおらい)の準備をする。若衆が威勢よく神輿を担ぎ、子供たちがそれを見守る……。そうした中で、地域の人間同士のつながりが生まれる。祭りを通して世代間の交流が生まれ、地域の人たちがひとつになる。この結束こそ、浅草が観光の街として発展する原動力になっているのだ。

浅草寺本堂前。

浅草神社は、毎年7月には翌年の三社祭の日程を決める。12月頃から準備に入り、年が明け祭りに向けて本格的に動き出すという。浅草の人たちにとって、1年の区切りは年末年始ではなく、三社祭のある5月だ、という話にも納得がいく。

700年の節目の祭りを無事に終え、街の人びとの表情には大きな達成感とともに一抹の喪失感が漂っているようにも見える。気持ちはすでに、来年の三社祭へ。そんな人たちも多いに違いない。

取材・文=さくらい 伸
撮影=コデラケイ

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  • [2012.06.29]
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