“三社祭”物語: 駒形町会の「1年で一番短い40分」
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「うちは提灯描きが商売で、祭りに提灯はつきもの。祭りは生活の一部だし、何より祭りが大好きなんですよ」
台東区駒形2丁目で“江戸手描提灯”を制作する「大嶋屋恩田」の恩田修(おんだ・おさむ)さんはそう強調した。浅草生まれの浅草育ち。10年前、奥様の怜美(さとみ)さんとの結婚を機に提灯屋に婿入り。それまで調理師として握っていた包丁を筆に持ち替えることになった。
青年会長としての誇りを胸に
100基以上の神輿(みこし=参照/「神輿:身を清めるような思いで作る」)が集結する三社祭。2012年には見物人が180万人を越えるなど、日本でも有数の規模を誇るだけに、その運営には緻密なタイムスケジュールが求められる。例えば、三社祭に参加する氏子44ヵ町が平等に本社神輿を担ぐためのスケジュールを組むだけでもさまざまな調整が必要で、1年をかけて何度も会議を重ねてきた(参照/「宮頭:義理と人情にやせ我慢」)。
だが、スケジュールはあくまでも予定。祭り当日、各町会でスケジュール通りに行事を進行する重要な役割を担うのが青年会だ(参照/「氏子:祭りや町会の魅力を多くの人に伝えたい」)。三社祭は、各町会独自の行事も多く、その進行管理も任せられる。恩田さんは駒形町会の青年会長として、今年(2012年)2年目を迎える。2011年は東日本大震災の影響で開催されなかったので、青年会長として初めての三社祭となった。
町内神輿連合渡御:浅草のメインストリートに舞う
三社祭の最初の見せ場は3日目に行われる町内神輿連合渡御(とぎょ)。浅草神社の氏子44ヵ町は3つの地域に分けられていて、駒形町会は南部16ヵ町会に属している。連合渡御の際に、浅草の代名詞ともいえる仲見世、雷門を通るのは南部町会の神輿だけ。その中で、今年、駒形町会は南部16ヵ町会の1番手を務めた。持ち回りのため、6年に1度しか訪れない名誉ある機会だ。
2012年5月19日午後14時。お祓(はら)いを受けた駒形町会の神輿は浅草神社を出発。浅草寺の本殿前で、町内神輿が高々と差し上げられた。観音様にご挨拶する瞬間だ(参照:「三社祭を読み解く」)。観客からの歓声が晴れきった空に響いた。その後、神輿は激しく揉まれながら、仲見世通りを通り抜けていく。雷門の人だかりを無事に通過し、広い通りに出ると、神輿の舞いもさらに激しさを増していった。遠くからスカイツリーも見守っている。
町会神輿が駒形に帰ってくると、町内渡御や宵宮を行い、3日目を終える。恩田さんは必ず神輿のそばにいて、始まりの一本締め、終わりの三本締めを決めて、現場の雰囲気をキリリと引き締める。そんな威風堂々とした立ち振る舞いに見惚れる若衆や子供も多い。
「みんなそうなんだけど、恩田さんも本当に祭りが好きなんだなって感じます。だってただ目立とうとするだけじゃなく誰かがやらなきゃいけない雰囲気のときは必ず先頭きってやりますからね」と、町会の仲間は口をそろえた。
宮出し:最大の見せ場で出す男気
恩田さんの行動力が際立ったのが、三社祭、最大の見せ場とも言われる宮出しのとき(参照/「宮出し」)。5月20日午前6時。約3000人の担ぎ手が、宮出しの始まる瞬間を待ち構えている。その喧噪はすさまじく、南部16ヵ町会が受け持つ三之宮を無事に出発させるには、誰かが神輿に上がって馬道(神輿を置いておく台を撤去するための道)を作る指示を出すしかない……。その大役を引き受けたのが恩田さんだった。
「みんなと同じ目線から合図しても分からない。思えば、青年会の会長職を引き受けたときと同じスタンスだったかもしれない。どうせ誰かがやらなきゃいけないことなら、やる気のある人が引き受けて、必死にやったほうが結果はいいはず」
かつては誰もが競い合って、体を張って神輿の上に乗ぼろうとした。乗ることが男の、祭り好きの証でもあった。しかし、平成18年(2006年)、15人もの男の重さに耐えきれず、バランスを崩した神輿が落下。堅い樫(かし)で作られた横棒が折れるという事故が発生した。以来、神輿に乗ることは厳しく制限されている。ただし神輿が台に載っているときは、合図や儀式などのため、定められた人が乗ることが許されている。
「宮出しで神輿に乗れ、本当に感激しました。誰が乗るかも決まってなかったし、3000人以上もの担ぎ手が今か今かと殺気立つ中で合図を待っているときに神輿に乗れましたから。決して大げさではなく、本当に神様に近づけたような気がしました」
大役をこなした後は、また来年も無事に三社祭が執り行われるようにと最後尾から見守り、サポートする。その周囲を、指示に従う若衆たちが掃除やゴミ拾いをしていく。浅草寺の本堂前を通るころ、担ぎ手たちの発するエネルギーは頂点に達し、祭りはひとつのクライマックスを迎えた。
本社神輿渡御: 40分に凝縮された男たちの想い
三之宮は一日かけて南部町会16ヵ町を渡御する。それぞれ渡御できる時間は40分ほど。宮出しから9時間ほど経過した午後3時、ようやく駒形町会に本社神輿がやってきた。引継ぎの儀式で、恩田さんの合図が響き渡る。町内渡御では笑顔に満ちていた担ぎ手たちの表情が一変し、目つきが明らかに違ってくる。誰もが神様の乗る神輿を担ごうと、花棒と呼ばれる担ぎ棒の先端部を目指す。その勢いは桁違いだ。恩田さんは体を張って担ぎ手たちを落ち着かせた。ようやく担ぎ手たちが位置につく。恩田さんの一本締めとともに、駒形町会2年ぶりの本社神輿渡御が始まった。
三之宮が激しく揉まれながら駒形町会をつき進んでいった。担ぎ手たちの熱気に包まれ、三之宮は時に蛇行し、後退することすらある。狭い路地で、担ぎ手たちに押しつぶされそうになりながらも、青年会のメンバーが三之宮を導いていった。多少のいさこざが起きても、「計算のうちです」と冷静に対処していく。
「この40分のために1年をかけて準備してきたんですから」。駒形町会の本社神輿渡御を支えてくれる担ぎ手は全国から参集している(参照/「担ぎ手:誰もが憧れる、“器の大きい人”が出現する」)が、「町会に友人や知人がいる」、「町会神輿の細工や半纏(はんてん=参照:「半纏コレクション」)のデザインが好き」など、その理由はさまざま。そんなすべての担ぎ手に満足してもらえるように、青年会は全精力を注いできたのだ。
「1年で一番短い40分間」があっという間に過ぎ、本社神輿は次の町会への引き継ぎの場所へ着いた。恩田さんの掛け声で三本締め。続いてわき起こった「せいや」の大連呼。その声はいつまでも止みそうになかった。
本社神輿渡御を終え、しばし休憩。その後も、駒形町会では町内渡御が繰り返された。一年で最も充実した、エネルギーを爆発させた40分間の喧噪を終え、神輿を担ぐ人たちのステップは満足感と開放感に満ちていた。
そして、解散式。2012年の三社祭終了と同時に、2013年の三社祭が、また始まった。
そして来年へ:三社祭は“世界にふたつとない”
2012年の三社祭で特筆すべきことがもうひとつあった。一度途絶えた駒形町会の子供神輿の観音裏渡御が10年ぶりに復活したのだ。
「一度途切れたものを復活させるのは大変。だからこそ、祭りを大事にしていきたいとあらためて思いました。100%の出来だと満足することってなかなかない。だからこそ、どれだけ強い思いを込められるかが大事になる。手描きの提灯だって同じ。手作業だから微妙に違っていて、世界にふたつとないからいいんじゃないかなって思っています」
「来年は今年よりもっといい祭りにしますよ。決して比べるもんじゃないけどね」。祭りが終わった直後にあえて来年の祭りについて尋ねたときの恩田さんの返事である。笑顔には、大きな仕事をやり終えた男の自信があふれていた。
取材・文=廣瀬 達也
撮影=山田 愼二、コデラケイ、花井 智子
2012年三社祭4日間のスケジュール(5月17日〜20日)
浅草神社奉賛会公式行事 | 各町会の動き(駒形町会の場合) | |
---|---|---|
5月17日(木) | ||
19:00 | 本社神輿神霊入れ(みたまいれ)の儀 | |
5月18日(金) | ||
13:00 | 大行列 | 宮本卯之助商店より町会神輿引き渡し さらに見たい方は⇒神輿 |
14:20 | 神事びんざさら舞奉納(浅草神社拝殿) | |
15:00 | 神事びんざさら舞奉納(浅草神社神楽殿) | |
15:30 | 各町神輿神霊入れの儀 | |
5月19日(土) | ||
10:00 | 例大祭式典 | 町内神輿渡御 |
12:00 | 町内神輿連合渡御(観音本堂裏広場) さらに見たい方は⇒半纏コレクション | |
16:00 | 町内渡御 | |
18:00 | 三ヵ町連合宵宮 | |
20:00 | 大人神輿神酒所前到着(終了後解散) | |
5月20日(日) | ||
6:00 | 本社神輿宮出し | |
7:00 | 朝食(駒形どぜう) | |
8:00 | 本社神輿各町渡御 | |
15:00 | 本社神輿(三之宮)渡御 | |
16:30 | 町内渡御 | |
19:00 | 解散式(駒形町会神酒所) | |
20:30 | 本社神輿宮入り さらに見たい方は⇒宮入り |
本社神輿渡御順路
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