山笠のもう一つの華「飾り山笠」
Guideto Japan
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街を彩る飾り山笠
博多祇園山笠は、博多の総鎮守(そうちんじゅ)・櫛田(くしだ)神社への奉納神事。重量1トンにのぼる「舁(か)き山笠」を30人にも満たない男たちが舁いて(※1)疾走する様子が広く知られているが、実は、祭りを象徴する山笠がもう一つある。祭りの期間中、福岡市中心部の通りなど14カ所で組み立てられ、街を彩る「飾り山笠」だ。
飾りは、山笠の台「山台」の表と見送り(※2)の両面に施され、高さ12メートルにもなる立体絵画の体をなしている。その大きさと色彩の豊かさにまず目を奪われるが、傍らに立ち、じっくりと見上げると、それぞれの面に故事から現代の風物まで多様なストーリーが表されているのが分かる。人形の顔の表情、衣装のなびき方、デフォルメされた波の形―。細部に目を凝らすことで、作り手の技術とセンスが伝わる工芸品だ。
130年前は今より高かった山笠
博多祇園山笠の歴史をひも解くと、祭りに使う山笠はもともと一種類だけだった。博多祇園山笠振興会によると、祭りの起源は、聖一国師が1241年、疫病除去のため施餓鬼棚(せがきだな)に乗って祈祷(きとう)水をまいたこと。そこから、施餓鬼棚を模した山台に聖なるものに見立てた飾りを載せて街を回る伝統が生まれた。130年ほど前まで、高さ15〜16メートルにも“成長”した山笠がそのまま動いていたという。ところが、明治時代になり、街のあちらこちらに電線が張り巡らされ、高さのある飾り山笠は動かせなくなった。そこで、舁き回るための山笠を舁き山笠として別に作り、それまでの山笠はさらに豪華に飾って街に設置し、飾り山笠と呼ばれるようになった。
そんな飾り山笠が街に姿を見せるのは毎年7月1日。博多の人々は飾り山笠を目にすると、2週間にわたる祭りの始まりに胸を躍らせ、本格的な夏の到来を知る。今年も14本もの飾り山笠が建てられたが、祭りの後は撤去されるため“命”は15日間。その儚(はかな)さも、観る者の高揚感をさらに押し上げる。
博多祇園山笠に欠かすことのできない飾り山笠。どんな人が、どんな風に作っているのか。2012年度の祭りの象徴として最も注目を浴びる一番山笠(※3)・千代流(ちよながれ)、その飾りを手がけた川﨑修一さんを訪ねてみた。
訪れたのは、作業終了直後の工房。すでに飾りは搬出されていたが、釘や金づち、端切れやミシンなどはそのままで、川﨑さんが笑顔で迎えてくれた。「飾り山は高さが10メートル以上ある大きなもので、何百何千とあるパーツを組み合わせて作ります。一人ではできませんから、うちの工房で手伝いの方を10人近く頼んで制作します。材料も竹に金襴(きんらん)に和紙にとあらゆるものを使います。作業も、切ったり、縫ったり、貼ったりと普段はやらないことばかりです」。
飾りは博多人形師の仕事
普段はやらないこと―。実は、川﨑さんの職業は博多人形師だ。その道の先輩である父の姿を見て育ち、大学卒業後に姉・幸子さんに師事。現在、博多人形作家協会長も務め、2012度の博多人形新作展では「内閣総理大臣賞」を受賞した。山笠の飾りは45歳から手掛け、今年で17年目という。
必要なのは土と筆と絵具、そして窯(かま)。作業を行うのも一人。こうした博多人形師としての仕事と、山笠の飾り制作とは様子が異なりそうだ。ところが、山笠の飾りの制作は、博多人形師が毎年、担当することになっている。
なぜか。川﨑さんは「昔は山笠人形師という専門の職業があったんです」と言う。「でも、明治のころ、山笠の人形を作るだけで1年間食べていくのが難しくなり、専門の方の数も減っていったんです。博多人形師は普段から人形を作っていますし、人数が多かったこともあって、だんだんと兼ねるようになっていきました。山笠の飾りを作るには3カ月ほどかかりますが、その期間は山笠の飾り作りに専念します」。
博多人形は一人ひとりが間近で見るもの。一方で、飾り山笠は祭りの期間中に何千人何万人が一度に見るもの。人の見方が違うので、作り方も全く違うと川﨑さんは言う。
「博多人形は筆の毛先1本で表情が変わるものですけど、山笠の飾りは離れたところからどう見えるかがとても大切。最初に完成のイメージを絵に描いて、それから制作に入りますが、絵の通りに作る訳ではありません。10数メートル離れて下から見上げた時をイメージしながらいくつものパーツを作り、その最後の一つを飾り終えてやっと完成するんです。飾りの色の重ね方で印象が変わってきます」。
途中降板許されぬ厳しさと「山褒め」の喜び
川﨑さんが制作した2012年度千代流の飾り山笠は、表は「三国志」、見送りは「大当十日恵比須(おおあたりとおかえべす)」がテーマ。7年に一度の一番山笠なので、表には、得意とする歴史の題材から勇壮な三国志を選んだ。見送りには景気が上向くようにとの願いを込めて、千代流の地域にもゆかりの深い恵比須さまを題材にしたという。
「地元に人形師が関われる大きな祭りがあることがまず、幸せなこと」と話すが、川﨑さんはただ喜んでいるばかりではない。山笠の飾りを引き受けたら、何があろうと絶対に完成させないといけないからだ。病気も事故も災害も、どんなことに見舞われようと途中降板は許されない。良いものを作れるかという点も合わせ、プレッシャーとの闘いを強いられる。「完成させることができるだろうかという不安は常にあって、寝ていても夜中に目が覚めることもあるんですよ」
訪れた時、川﨑さんの顔には、完成へのプレッシャーから解かれたばかりの安堵の表情がにじんでいた。
「博多では山笠を見に行くことを『山褒(ほ)め』と言うんです。飾り山でも舁き山でも、見に行ったら、あいさつよりも何よりもまず『よか山ですね』と言うのがマナー。褒めることが前提なんですよ(笑)。もちろん、どこの流の人も心の中では、自分のところの山が一番と思っているんですけどね。それでも、やっぱり『よか山ですね』と言われるのが一番うれしい。完成させることができて、本当に良かったと実感できる瞬間です」。
★見どころ指南★
山笠の飾りの見どころを川﨑さんにズバリ聞いてみた。
「山笠の飾りの表現は、屏風などに描かれている大和絵の立体化です。館(やかた)や岩、波など伝統的な様式があるのですが、それを半分平面、半分立体のパーツにしていくつも重ねて奥行きや動きを出しているところなども見て面白いかもしれません 」。
飾り山笠の設置場所については、博多祇園山笠公式サイトで。
取材・文=蔵迫 由里子
撮影=草野 清一郎