探訪 懐かしの風景

駄菓子は僕らを元気にしてくれた

文化 暮らし

子どもの頃、放課後になると小銭を握りしめて通った駄菓子屋さん。店先にごちゃごちゃとたくさん並ぶお菓子やおもちゃに心躍らせた人も多いはず。今でも頑張る駄菓子屋さんを訪ね、郷愁とときめきを思い出す。

40代以上の日本人なら、見ただけで顔がほころび、思わず「懐かしい!」と叫んでしまうものの中に駄菓子がある。日本の高度経済成長期にはどこの町にも駄菓子屋があり、当たり付きの菓子やおもちゃが小さな店先に所狭しと並んでいた。子どもたちは、その種類の多さと価格の手頃さにときめき、毎日のように通ったものだ。それはまた、地域の児童にとって学校外の「小さな社会」ともいえる場所でもあった。

現在、最盛期に比べ大幅に店舗数が減ってはいるものの、まだ駄菓子を扱う店を見つけることができる。また駄菓子問屋などがネットや通販など販路を工夫しているため、かえって手に入れやすくなった。

都内最古の駄菓子屋を訪ねる

鬼子母神堂境内にある上川口屋。関東大震災や太平洋戦争の戦火を免れた店舗は幕末の頃の建物という。東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20  雨天休業

都電荒川線の鬼子母神前駅から徒歩3分。鬼子母神堂境内にある上川口屋は天明元(1781)年の創業以来、230年近く続く駄菓子屋だ。現在の店主・内山雅代さんは13代目。創業当時は飴(あめ)屋でゆず飴を販売していたが、昭和30年代に材料が手に入らなくなり、今の駄菓子屋になった。スタジオ・ジブリのアニメ『おもひでぽろぽろ』に出てくる店のモデルになったと言われている。

店頭には懐かしい駄菓子が並ぶ。「人気があるのはやはりイカ。ところがイカは原価が高いのでどうしても売値が高くなってしまうよね。子どもが買えるようにするために、タラを使ってイカの風味をつけたものが多くなっています。これなら10円。それからきなこ飴、釣り飴も人気があります。当たりがあるからね。子どもにとっては初めて自分の意思で買い物をするのが駄菓子屋。悩んだり、ドキドキしたり、それも楽しい時間でしょ」

1954年の写真。左が内山雅代さん。真ん中は12代目の安井千代さん。

子どもから消費税はいただきたくはないが、今の時代、仕方ないという内山さん。今も元気に商売を続けている。

イカやタラを使ったものが人気。

駄菓子といっても年代によって思い浮かべるものは違ってくるが、きなこ飴、すもも、ソースせんべい、ラムネや麩(ふ)菓子などが定番だろう。

おばあちゃんに連れられてきなこ飴を購入。みごと当たりを引いて大満足。

駄菓子のラインアップを大きく変えたのは、大手メーカー明治製菓(当時)の「カール」(※1)だという。「カール」のヒット以来、駄菓子界にもそれを真似てトウモロコシを使った製品が増えた。一世を風靡(ふうび)した「うまい棒」もその流れで誕生した駄菓子だ。釣り飴も、時代が変わるにつれて、コーラ味やメロン味などバリエーションが増えた。

「梅ジャムやソースせんべいも人気がありますよ。私らが子どもの頃はチョコレートなんて高級品であまり手に入らなかったけれど、今は10円で買えるものもあります。お店には全部で100種類くらいのお菓子を置いています。選ぶ子どもの笑顔はいつの時代もいっしょですね」と内山さん。「でも最近は子どもが減った。平日に子ども同士で遊ぶこともなくなった」とさみしそうな顔を見せる。週末に親子連れが来店するが、駄菓子に目を輝かせるのは子どもより大人の方が多いそうだ。

すもも漬。舌が赤くなるので親から反対された人も。

一世を風靡したうまい棒も子どもたちに人気。

今も人気があるきなこ飴。食べた後、ようじの先が赤なら当たり。

最近の駄菓子の傾向

駄菓子問屋・井ノ口商店の井ノ口展功(のぶかつ)社長によると、現在扱っている駄菓子は500種類ほど。価格は10~100円が主流という。「人気のある商品はうまい棒、餅(もち)太郎、麩菓子、キャベツ太郎、にんじんあられ、まけんグミ、ベビースターラーメン、チョコバットなどですね」

景気の良いときは“時代遅れ”と軽視され、斜陽の一途をたどっていた駄菓子だが、今また脚光を浴びている。“先の見えない時代”だからこそ、大人やお年寄りが過ぎ去った時代へのノスタルジーを求めてしまうのかもしれない。

「海外に住んでいる日本人も、日本文化のひとつとして、駄菓子や懐かしいおもちゃを外国人に紹介するようです。海外からも注文が来ますよ」。井ノ口商店は、海外に販路を拡大することにも積極的で、フェイスブックを活用している。

最近になって駄菓子は新しい展開を見せている。「昭和レトロ」をテーマとする記念館などにオープンする駄菓子店が増えた。また「駄菓子バー」なる形態で、懐かしい給食メニューや駄菓子をつまみにお酒を飲む新発想の店も人気。学園祭の模擬店で売られることも多い。結婚式やパーティーなどの土産としても需要が増えていると聞く。

駄菓子専門店は少なくなったが、東京でもまだ50軒近い店が駄菓子を扱っているという。小銭で遊べるゲーム機が置いてある店、もんじゃ焼きが食べられる店、夏にはかき氷やラムネ、冬にはおでんを売る店など、それぞれの店にも特徴がある。

駄菓子屋に並ぶお菓子やおもちゃを見るのは、子どもはもちろん、大人にとっても今なお魅力的だ。子どもの頃、何を買おうかと心ときめかせた時間や、当たりを引いたときの高揚感を思い出す人も多いだろう。ぶらりと町を散策するついでに、まだ残っている駄菓子屋さんを探して、子どもの頃の感情をもう一度思い出してみてはどうだろう。その気持ちはきっと、現代っ子の子どもや孫とだって共有できるはずだ。

撮影=山田 愼二

まめ知識:“駄菓子”って何?

江戸時代、高級品であった白砂糖を使った菓子を「上菓子」と呼んだのに対し、庶民が食べる雑穀や水飴などで作られた菓子を「駄菓子」と呼んだ。ほとんどの駄菓子が現在のような形になったのは戦後のこと。駄菓子はターゲットを子どもに絞っているため、大手菓子メーカーが作るものより価格を抑える工夫がされ、飴やガムなど1個売りのもの、イカなどの海産物を甘辛く味付けたもの、お米を使い水飴等で固めたもの、果物や野菜に着色や味付けをしたものなど保存性を高めた加工品などがある。こうした駄菓子を販売する店を駄菓子屋といい、種類の豊富さと気軽に買える価格、あたり付きの菓子やくじなどを扱っていたことから、子どもたちの間で人気があった。1980年頃まで町村のあちこちで営業していたが、大手メーカーのスナック菓子の多様化、コンビニの出現とともに現在では数を減らしている。
















(※1) ^ 1968年に明治製菓(現在の株式会社明治)が発売したトウモロコシを原料とするノンフライスナック。チーズ味、チキンスープ味に始まって、その後さまざまな味の商品が開発され、ロングヒットを続けている。

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