特集 伝統美のモダニズム “Cool Traditions”
海をわたる日本のランドセル
[2016.06.22] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

ぴかぴかのランドセルを背負う小学生の姿は、日本の春の風物詩。やんちゃな小学生が6年間使っても壊れないかばんに、今国内外から熱い視線が注がれている。

小学生が2000日をこえて毎日使うランドセル

子どもが初めて自分で選ぶ大きな買い物。日本の小学生の必須アイテムといえば、ランドセルだ。吹雪の中、真新しいランドセルを背負った小学1年生が入学式へと向かう姿は、毎年目にするほほえましい風景だ。

ぴかぴかのランドセルを背負う小学1年生

ランドセルの歴史は意外に古く、幕末(19世紀半ば)までさかのぼる。江戸幕府が、洋式軍隊制度を導入する際、将兵の携行物を収納するための装備品として、オランダからもたらされた背嚢(はいのう)「ランセル(ransel)」を用いた。現在のランドセルの原型は、学習院初等科が1885年に「自分の学用品は自分で持ってくること」と決めたのがきっかけだという。通学用に背嚢「ランセル」を使い始め、それを「ランドセル」と呼ぶようになった。

ランドセルに教科書を詰める小学生 (写真:EKAKI / PIXTA)

8月に向けて、商戦スタート

入学式は4月だが、ランドセル販売のピークは、前年の8月だ。年々、発売時期が早まる傾向にあり、5~6月には、百貨店、スーパー、専門店が一斉に新しいラインナップをそろえ、商戦の火ぶたを切る。人気アイテムは、秋には売り切れるという。

「まず休日に、祖父母、両親、子どもの3世代が来店し、実際に試着します。7~8月のお盆休みに再度親子で売り場を訪れて予約・購入するパターンが多いのです」とスーパー大手イオンリテール鞄服飾商品部長の小田嶋淳子さんは言う。「最近のトレンドは、ノームコア(普通っぽい服装)、シンプルベーシックです。決め手は母親なので、『ママに響くデザイン』を心掛けています」。

イオンは、240店舗にランドセル売り場を展開。価格帯は3~15万円(税込み)で、平均価格帯は5万円台。24色のカラーで103種類のランドセルを用意した。素材、柄、縫い糸や留め具などを選べるパターンオーダーも人気で、バリエーションは110万通りを越える。

今年のラインナップを説明するイオンリテールの鞄服飾担当・山下さん (写真:nippon.com編集部)

近年では、かばん専門店の高級ブランドも人気を集める。昨年、専門店鞄工房山本では、7月の発売開始後、1ヵ月で最多価格6万円のランドセル1万3千本を完売したという。土屋鞄製造所でも、9月中旬にはランドセルは売り切れた。

平均単価5万円のランドセルを日本で約106万人(文部科学省調べ)の子どもたちが一斉に購入すると、2015年には500億円となる(船井研究所調べ)。2005年の275億円の倍近い。単価が値崩れしないのは、両親とそれぞれの祖父母、いわゆる「シックスポケッツ」の潤沢な財源がバックに控えているからだ。

ランドセルは、子どもが初めて社会にデビューを飾るハレの商品。子どもが気に入る良いものを買ってあげたいという祖父母や両親の愛情が市場を支えている。

イタリアでも即日完売

子どもが背負うランドセルは丈夫で軽く、機能的なデザインだ。昔から変わらない日本での人気に加えて、ここ数年新たに、その丈夫さと使い易さ、美しいデザインが評判を呼び、海外からも、子ども用かばん、大人用のファッション・アイテムとして熱い視線が注がれている。

2014年3月にハリウッドのセレブ女優ズーイー・デシャネルがニューヨークでパパラッチされ、ブーツ姿に赤いランドセルを肩にかけた写真が世界中に配信されたのは記憶に新しい。しかし、実は、その数年前から欧州大陸ではランドセルブームに火がついていた。

皇太子ご夫妻の長女、愛子様のランドセルも手がけている老舗かばんメーカー「大峽製鞄(おおばせいほう)」は、外国のバイヤーからの勧めで、2011年に「メンズファッションのワールドカップ」と呼ばれるイタリアの「ピッティ・ウオモ」にビジネスバッグとランドセルを出展。厳しい審査で知られる本場で、『ヴォーグ・イタリア』などのファッションメディアをはじめとし、『コリエーレ・デラ・セラ』など大手一般紙で紹介され、一躍ランドセルが脚光を浴びたという。このピッティ・ウオモの出展により、日本では「小学生が背負うかばん」と考えられていたランドセルが、海外から「斬新なデザインで丈夫、高品質なかばん」とみられるようになった。2013年にはミラノの有名百貨店で、紳士向けに40個がすぐ完売し、ロシアのセレクトショップでも子ども用のランドセルが100個以上売れた。

同社の大峽宏造専務は「ミラノで販売した時も、最初の購入者はエルメスのスタッフだったと聞いています。彼らにとっては、ランドセルは目新しい斬新なデザインかばんで、なおかつ手縫い手づくりの製法などハイエンドな商品に映ったと思います」と言う。「シンプルなデザインでコードバン(牛の臀部〔でんぶ〕の革)や欧州キップ(生後6カ月から2年くらいの中牛の革)など最高の素材をハンドメイドでつくれば、審美眼の高い欧州の人たちにさらに受け入れられていくと考えます」

ミラノの百貨店リナシャンテ、メンズ売り場の子ども用・大人用ランドセル (写真:大峽製鞄)

日本の空の玄関口、羽田空港国際線ターミナル内の雑貨店「MONO」では、2014年秋に「大人のファッションとしてのランドセル」を実験的に置いてみた。一つ4万8000~6万3000円という高価格だ。いざふたを開けてみると、毎月約10個のペースで、主にアジア系の海外旅行者を中心に、日本製であることを確認した上で、子どもたちのお土産に買っていくという。50代のフランス人女性は、「パソコンを入れるのに丈夫でちょうど良い」と6万3000円の赤いランドセルを即決で購入。言われてみれば、パソコンだけでなく、A4サイズの書類もすっぽり入り、折れることもない。その上子ども用に仕上げられたやわらかい背中パット、肩ベルトなど細心の注意が払われている。「小学生用」という固定観念さえ持たなければ、まさに高級ビジネスバッグだ。

羽田空港内「MONO」の日本製ランドセル(写真:nippon.com 編集部)

ランドセルの良さを再認識

ランドセル職人たちは、子どもたちが6年間、安全に楽しく、飽きずに使うための研究を長年にわたり重ねている。耐久性を強化し、軽量化を図り、背負いやすさを追求し、デザイン性を高めてきた。その地道な努力が、海外での人気につながっている。

『ブリタニカ国際大百科事典』では、「ランドセルは、『小学生が学用品を入れ,通学用に背負うかばん』」と説明されている。ランドセルを「子どものかばん」としてしか見てこなかった日本では、海外から「丈夫で高品質なランドセルは高級かばん」と言われて、そこに込められた匠の技術を再認識させられた。丈夫で当たり前と思っていたランドセルの「価値」の逆輸入とも言えよう。

6年間、子どもたちをけがから守り、思い出を詰め込んできたかばんが、新たな日本文化として海を渡り始めている。

取材・文:土井 恵美子(nippon.com編集部)
バナー写真: イオンリテール、かるすぽランドセル(nippon.com編集部)

この記事につけられたタグ:
  • [2016.06.22]
関連記事
この特集の他の記事
  • 和紙の世界へ③ 美濃和紙で作られる蛇の目傘江戸時代から続く和傘の産地、岐阜市加納町で、今も伝統を受け継ぐ、色鮮やかな蛇の目傘が作られている。素材は近在の良質な真竹と美濃の色和紙。スラリとした細身、手に持って軽く丈夫で、傘を差しても閉じても見目麗しい姿がその魅力だ。
  • 和紙の世界へ② 再生紙で作る西嶋和紙明治時代以降、機械漉きの洋紙の登場で、各地にあった手漉き和紙の産地が消えていった。そうした中、熱い思いで伝統の手漉き技術を守り、生き延びてきた和紙の里がある。かつて武田信玄公に紙を献上していたという、山梨県身延町の西嶋手漉き和紙の里である。
  • カール・ベンクス:古民家や集落をよみがえらせる建築デザイナー存亡の危機にあった新潟県の山奥にある集落を、ひとりのドイツ人建築デザイナーが救った。老朽化した民家を次々に再生し、村人に田舎暮らしの醍醐味(だいごみ)を、身をもって伝授。やがて村は、「古民家村」として有名になり、移住者も増えた。そんな奇跡を起こしたカール・ベンクスに会いに、人里離れた竹所(たけところ)集落にある自宅を訪ねた。
  • 和紙の世界へ① 1000年生き続ける紙2014年、「手漉き和紙技術」が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。日本に製紙技術が伝わったのは7世紀頃で、正倉院には8世紀初頭の戸籍を記した国産紙(美濃紙)が現存している。日本人と和紙のつき合いは、1300年にもなる。この間に工夫が重ねられ、日本各地に独特の風合いを持つ紙が生まれた。
  • 尺八奏者ブルース・ヒューバナー:東北の被災地に心をささげて米国カリフォルニア州出身の尺八奏者のブルース・ヒューバナー。福島県の自然や文化、人々を愛し、東日本大震災後も演奏を通じて、東北の被災者らと心の交流を続けている。今年も4回目を迎えた福島県桑折町の無能寺で行われた東北復興のための演奏会で熱演した。

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • シンポジウム報告