伝統美のモダニズム “Cool Traditions”

大倉正之助:革新的な伝統音楽を創造する大鼓奏者

文化

能楽の大鼓奏者として囃子方を務める傍ら、革新的な試みに挑戦し続ける大倉正之助。彼が打つ調べには人と自然、宇宙とが響き合う力強い鼓動がある。伝統芸能の可能性を切り拓く先駆者の魅力に迫る。

大倉 正之助 OKURA Shonosuke

能楽師。1955年生まれ。重要無形文化財総合指定保持者。能楽囃子大倉流大鼓・小鼓宗家の長男として、祖父、父より稽古を受け9歳で初舞台を踏む。能楽『翁附五流五番能』の大鼓を全て一人で打ち納め、能楽史上、囃子方として前人未到の試みを成し遂げる。また大鼓ソリストとして、多彩なアーティストとのコラボレーションによるライブパフォーマンス活動を行っている。ローマ法皇より招聘されバチカン宮殿内で大鼓独奏を披露するなど世界各国での式典やイベントに出演する。http://www.hiten-jp.com/

金属的な甲高い音が鳴り響いた瞬間、心地よい緊張と静寂にその場は包まれる。大鼓(おおつづみ)が放つ人間の可聴音域をはるかに超えた高周波には、まるで森林浴をしているときのような「癒しの効果」があると言われるが、まさにそうした至福の音体験が私たちのもとを訪れる。

能楽の拍子(リズム)を担う大鼓。桜木の胴と馬の皮から生まれるその響きは、時空を超えて、宇宙空間にまで到達するような調べだ

「農」体験から得た独自の音世界

日本を代表する能楽大鼓奏者・大倉正之助(62)は、15代続く大倉流大鼓・小鼓宗家の長男として、また、母方は観世流シテ方の家系という生粋の能の家柄に生まれ、幼少より祖父、父から厳しい稽古を受けてきた。能楽師として生きていくことを運命づけられた人生を歩んでいたが、次第に「能の世界がひどく古めかしいもの」と感じるようになった。その結果、周囲の猛反対にもかかわらず、18歳の時に突然、有機農業の世界へと身を投じる。

「若葉の季節になると山野全体がエネルギーで満ちあふれて、身体の細胞一つひとつが清められ、力が全身にみなぎってくるのを感じるんです。自然と寄り添い大地とともに生きていると、自分も大自然の一部であることが、理屈ではなく身体全体で実感できた」と、大倉は当時を振り返る。

1年ほど経ったある夜、持参していた大鼓を打った。すると「宇宙からの氣(き)をもらい自分が天地と一体となり、宇宙の鼓動と響き合う、震えるような喜び」に包まれたという。ひたすら肉体を酷使することで、頭ではなく身体で何かをつかみ取ることを体得した末、「農」から「能」の世界へと立ち戻る。6年の歳月を費やして学んだ「能の奥義」でもあった。

国立能楽堂において、伝統の能舞台で大鼓を打つ(撮影=乙咩海太)

忘我の境地から打ち出される音

戦前は大鼓を素手で打つことは常識だったという。しかし戦後になり、伝統芸能の道具をつくる職人の数が激減したことや革の質が変わり、今では「指皮」を付けて打つことが普通となり、彼のように素手打ちにこだわり続ける奏者は稀有(けう)な存在となった。素手で大鼓の音を出すという行為は、歯を食いしばり、腕は硬直し、自分の身体を壊し続けていくことにもなりかねない。素手打ちにこだわった結果、絶え間ない衝撃が腕から肩に伝わって後頭部が腫れ上がり、危うく“くも膜下出血”になる寸前にまでいったこともあった。

馬の皮から作られる大鼓の革(左上)大鼓を打ち続けてきた右掌(右上)大倉家に継承される約650年前の大鼓の胴(左下)調べ緒は麻で編まれる(右下)。これらの「道具」から、大鼓の神秘的で優美な「調べ」が生み出される

しかし、「心肺機能の限界」を越えるような体験を何度か繰り返しているうちに、自分の身体感覚が以前とは変わってきたことに気づき始める。不思議なことに、肉体的な苦痛からは完全に解放され、自らが大鼓と一体化していた。「農」を体験したことで、自然と一体となる感覚を身に付けたことが「自我を捨て去る」きっかけとなり、忘我の感覚を敏感に感じられるようになっていたという。遠大な回り道をした末に、大倉は独自の音世界を手に入れたのだった。

大鼓方の「掛け声」は、「調べ(打ち込み音)」と共に囃子方の重要な骨格となる

革新の連続が伝統を育む

中国・新疆ウイグル自治区周辺の石窟には、鼓を打ち、舞を舞う様子が描かれた古代壁画が数多く残っている。このような歴史的な縁もあって、昨年には「日中友好45周年」を記念して中国の琵琶奏者・章紅艶と『西域流光』というコラボレーション・イベントを北京と東京で行った。古代壁画との出会いから、時空を超えて現代へとよみがえる、新たな芸能の歴史を創っていこうという試みだ。大鼓や琵琶の音に触発されて夢幻の舞を舞った、古代世界の人たちの歓喜の姿を現代に再現した公演は、日中両国で好評を博した。

ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に謁見する(左上)ニューヨーク・メトロポリタン美術館で開催された『ORIBE 2003 in NY』のオープニング・イベントに出演(右上)『ルガーノ音楽祭(スイス)』でマルタ・アルゲリッチらと共演する(左下)新国立劇場・如風“inside of wind”© Photography by Sana Tsukimori(右下)

「機会があれば創造力を日々進化させたいという思いは常にあります」と大倉はいう。「私たちの人知を超えたところで出会うべくして出会う“旬”のようなものがあって、氣が満ちたときに、突然、出会う。何かの機運が巡り巡ってやってくる時期というものがあるのではないか、と思うようになりました」

こうした出会いを求め、これまでに大倉はさまざまな異文化とのコラボレーションを行ってきた。例えば、韓国の伝説的なアーティスト金大煥やネイティブ・アメリカンのロバート・ミラバルなど、大自然のエネルギーを体現する表現者と大倉との出会いは、予想ができない摩訶不思議な世界を現出させた。

大鼓ソリストとして独特の世界観とスタイルを確立してからは、数々の世界的な大舞台で大鼓の独奏を演じることが多くなった。クラッシックやジャズ、モダン・バレエなどといった異分野・異業種の人たちとの出会いから、さらに未踏破の領域にも挑戦し続け、総合演出プロデュサーとしても活躍するようになる。


2008年モナコ『ガルニエ・オペラ劇場』にて、大倉正之助が総合演出を手掛けた世界初の『現代能・DEEP JAPAN』を披露し、満場の喝采を浴びる

故金大煥は、生前「大倉こそ私の後継者であり、これからの新しい芸能の可能性を切り拓いていくアーティストだ」と絶賛した。今でも毎年、彼の命日に韓国で開催される追悼コンサートには、必ず招聘(しょうへい)される関係が続いている。またクラシック界の大巨匠、イブリー・ギトリスは「私の愛しい息子のような存在だ」と語るほどに、大倉との親交を大切にしている。このようにボーダーを飛び超えた関係にこそ、大倉の表現者・クリエーターとしての真骨頂がある。

生命の鼓動を打ち続ける

大倉の大鼓の音には、私たちの魂の奥底に響き、訴えかけてくるような強靱(きょうじん)さが宿っている。しかしその響きは、行き過ぎた物質文明に対する呻(うめ)きのようにも聴こえる。

かつて、大倉は満月の夜の浜辺に有志を集めて大鼓を打つ会を催していたことがあった。こうしたパフォーマンスには現代的な生活では味わうことができない、神秘に満ちあふれていたという。月や風、波と大鼓の音が自然に融け合い演奏者たちは貴重な体験を共有し、そこには新たな関係性が生まれていった。

大倉は、「芸能とは、いつの時代にあっても人びとの心を和ませるものだ」という信念でこれまでやってきた。特に能の世界では、喜怒哀楽といった情感を直接的に表すのではなく抽象化・象徴化することで「生命の賛美」を表現していくことが大事だという。その瞬間、その場で出会った「生命の響き(LIFE)」と「宇宙の鼓動(LIVE)」を響き合わせることを常に心掛けながら、彼は大鼓から「調和の波動」を打ち出し続けていく。

「やりたい、実現したいことがたくさんあります…」と、夢を語ってくれた

さまざまな出会いを求め、大倉は今日も大鼓一つを携えて世界を巡る旅を続けている。そして、無我の境地から発せられる無言のメッセージは、これからも世界中の多くの人びとに感動と共感を届けていくにちがいない。

600年余という歴史と時間の重みを背負う「伝統文化の世界」に生を受けて、50数年にもわたる伝統文化継承者としての修練と実績を積み上げてきた彼に、最後の質問を投げかけてみた。

「長い時間を通して体得してきたものには、どのような意味がありましたか?」

「まだ道半ばで、何も体現できていないのではないか、というのが正直なところです…」

この謙虚な言葉こそが、伝統文化の根源を探求し、体得した証ではないだろうか。

撮影=山田 慎二
撮影協力=セルリアンタワー能楽堂、六本木ネイチャーボディハウス

■大倉正之助“大鼓”ワークショップ

大倉氏が、直接、指導して「大鼓の楽しさを体感」できるワークショップが始まりました。
日本在住の外国人や海外からの体験希望の方も参加可能。下記までお問い合わせください。 office@tsuzumido.jp

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