特集 伝統美のモダニズム “Cool Traditions”
礼法を現代の生活に生かす:小笠原流継承者、小笠原清基氏に聞く

ティム・ホーニャック【Profile】

[2017.09.01] 他の言語で読む : ENGLISH | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

疾走する馬上から矢を放って的を射る「流鏑馬(やぶさめ)」。鎌倉の鶴岡八幡宮でこの伝統神事を守り伝えているのが、弓馬術とともに作法・礼法で知られる小笠原流だ。800年以上続く流派の継承者で、31世宗家の嫡男である小笠原清基(きよもと)氏に流鏑馬の伝承、武家の礼法やその奥義などについて聞いた。

小笠原 清基

小笠原 清基OGASAWARA Kiyomoto弓馬術礼法小笠原流31世宗家小笠原清忠(きよただ)氏の嫡男。礼法講師。1980年東京都生まれ。3歳で稽古を始め、小学校5年生で鎌倉・鶴岡八幡宮の流鏑馬射手を務める。大阪大学を卒業後、筑波大大学院で博士号(神経科学専攻)を取得。製薬会社の研究員を務めながら、流派の伝統を継承している。

「家業を生業にせず」家訓に伝統継承

——弓馬術礼法を指導する小笠原家は、どれほどの歴史があるのでしょうか。家系はいつ頃までさかのぼることができますか。

850年以上です。小笠原家は清和源氏の家系です。小笠原家の祖は小笠原長清(ながきよ)で、1187年に源頼朝に「糾方(きゅうほう)」と言われる礼法や弓術、弓馬術を教える師範となり、その後も子孫たちが鎌倉将軍家に仕えてきました。小笠原流の流鏑馬が初めて披露されたのは、鶴岡八幡宮(はちまんぐう)で、今でも毎年9月16日に流鏑馬神事が行われています。現在は父の小笠原清忠(きよただ)が31世宗家です。

——流鏑馬の起源とは。

武士が戦いに備えて行った馬の上から弓を射る「騎射(きしゃ)」と呼ばれる弓馬術の訓練で、その中でも武家の儀式として行われる部分のみを「流鏑馬」と呼んでいます。

——激動の歴史の中で、小笠原家の人々はどのようにしてこの伝統を守り抜いてきたのでしょうか。

幕藩体制が19世紀(1867年)に終わると、他の(武芸、礼法の)流派の人々は、それぞれの家業を生業(なりわい)にするようになりました。しかしわれわれは、別に職業を持ちながらこの伝統を守っていくことにしたのです。28世の小笠原清務(きよかね)は複数の学校で礼法を教えながら、東京・神田に一般の人々を対象にした小笠原教場を開きました。そしてこの伝統を純粋に伝承するために、「礼法や作法など流儀を教えることを生業としない」ことを家訓にしたのです。これは経済を考えて流儀を教えると、妥協が起こって、流儀の品位が卑しくなったり無理ができてくることをいさめてのことです。

流鏑馬の矢は鷹(タカ)や鷲(ワシ)の羽で作られている。

——ではどうやって生計を立てているのですか。

私は製薬会社で研究者として働き、夜や週末に礼法や弓術、流鏑馬の練習をしています。

——小笠原流は現在どのような活動をしているのですか。

弓術や流鏑馬、礼法、作法を各地の教場や企業、小・中・高校で教えています。礼法の場合、単に具体的な動作を覚えるのではなく、作法の本質を理解してもらうようにしています。立ち方、お辞儀の仕方、歩き方などのほか、箱や包み物などさまざまな場面における紐(ひも)の結び方についても教えています。

流鏑馬の稽古では木馬に乗って弓を引く練習をします。年に2、3回行う数日間の合宿では、実際に馬を使って弓馬術を稽古しています。

流鏑馬神事の前日や当日にも稽古を行います。小笠原流の流鏑馬は鶴岡八幡宮のほか、京都の下鴨神社や日光東照宮、東京・浅草の墨田公園など約全国10カ所で開催されます。

——流鏑馬神事には大勢の見物客が押し寄せますが、流鏑馬を学びたいという人も多いのでしょうか。

現在約700人の門下生がいます。うち10人は米国、フランス、ポーランドなどから来た外国人で、彼らは特に流鏑馬や弓術に興味があるようです。

「心と体」が礼法の本質

——礼法を教える際に特に心がけていることはありますか。

大切なのは自分の体の使い方に気を配り、意識を集中させることです。常に自分の立ち居振る舞いに注意を払い、周りとの調和を図りながら現代の生活に生かすのです。

800年以上続いてきた礼法の伝統、本質が変わることはありません。芯となる教えの基本は変えずに、枝葉にあたる細かい点をその時代に適合させていくだけです。礼法の基本は、祖先の貞宗(さだむね)と常興(つねおき)がそれぞれまとめた二冊の伝書『修身論』と『体用論』に記されています。前者には心の持ちよう、後者には体の扱い方が書かれています。この本質を忘れないことが何よりも大切です。

礼法の立ち方と歩き方を練習する小笠原流の門下生。

——昔の武士が現代の日本人の姿や、私たちが刀ではなくスマートフォンのような道具を使っているのを見ることができたとしたら、どのように思うでしょうか。

昔と一番変わったのは人々の考え方でしょうね。例えば武士道では真心を尽くして仕える「忠義」や親に尽くして敬う「孝行」をとても重視しますが、今はそれほどでもありません。かつては忠義や孝行といった概念が日々の生活の隅々に溶け込んでいました。(現代社会が)そのような美徳を守っていれば、昔の人でも(スマートフォンを使うような)枝葉の道具が変わろうとも今の生活に馴染(なじ)めると思います。

——多くの外国人は日本を礼儀正しい国だと思っています。しかし小笠原流では、単なる礼儀以上のことを教えているのですね。

現在日本で一般的に教えられているのは、「感謝や謝罪の気持ちを伝えるときは深くお辞儀をする」といった社会的な状況や場面に応じた所作です。しかし、それは礼法の本質的な部分ではありません。われわれが焦点を当てているのは礼法の根源です。稽古ではそこから得た知恵をもとに、それぞれの場面に応じた振る舞いを考えることが大切だと教えています。

小笠原流は元々、将軍や将軍に直接会う立場の人々が学んでいたものでした。そして、社会的階級に従って振る舞う、礼法に従うことは、攻撃に対する自身の防御の意味もあったのです。

地位が高い人々は攻撃される可能性が高くなります。例えば、手の動きを見ることによって相手が刀を抜くおそれがあるかどうかが容易に分かります。彼らは作法にのっとって手の位置や形を、刀がすぐにぬけないような位置に自然にとることで、相手に対して害意がないことを示します。そして同時に、万一にも切りかかられたときにすぐに対応できる隙のない体勢をとっていたのです。

正しい姿勢と動き、振る舞い

——ふすまの開け方など、小笠原流の細かな作法を守ることに実用的な意味はありますか。

ふすまの正しい開け閉めの仕方を学ぶことはとても大切な意味があります。ふすまの開け閉めの所作は、体や物の機能を損なわない動き方を学ぶ良い方法だからです。礼法の基本は体や姿勢を正しく保つことです。加えて正しい姿勢、動き、振る舞いをしながら、状況や時、相手に応じた配慮をして適切な行動をとることが肝要です。

小笠原流・流鏑馬の稽古で準備運動をする門下生たち。

——礼法と流鏑馬の基本で共通しているのは「型」ということでしょうか。

「型」というのは誤解されがちな言葉ですね。「型」の稽古は、外から見える「形」や「動き」をただなぞればいいというものではありません。「型」には先人達の経験と知恵が凝縮されています。なぜそのような「形」や「動き」になるかという本質をつかみ、自分のものにすることが「型稽古」の本当の意味なのです。もちろんその前提として「基本」も必要です。例えば、流鏑馬では馬上で鞍(くら)には座らず、あぶみに足を乗せただけで安定した姿勢を維持しなければなりません。かなりの脚力が求められるので、足の筋肉を鍛える必要があります。これは礼法でも役に立ちます。「正しい起居進退(ききょしんたい)」には下半身の力が必要ですから。

日常生活が即鍛錬であった武士はそもそも筋力トレーニングやストレッチなどをする必要はありませんでした。畳の生活をしなくなった現代人とは、体の使い方が違っていたからです。生活の場における一つ一つの動作が、弓や刀を使うための訓練にもなっていました。

流鏑馬の稽古で、木馬にまたがって手本を見せる小笠原清基氏。

——流鏑馬や礼法など、日本の伝統文化に興味を持っている外国の読者に伝えたいことはありますか。

流派の異なるさまざまな伝統文化がありますが、自分の感性に一番合うものを選んで没頭する方が楽しめるのではないかと思います。

今の時代は、例えば興味を持った物事について調べてみると、膨大な情報を簡単に得ることができます。ですが、必ずしもそれらの情報が正しく、適切だとは限りません。しっかりと本質を見極め、自ら経験することが大切だと思います。

小笠原流礼法ウェブサイト:http://www.ogasawara-ryu.gr.jp

原文英語。
文中写真=ベンジャミン・パークス
バナー写真=鎌倉・鶴岡八幡宮の流鏑馬神事で矢を射る小笠原清基氏(小笠原流提供)

この記事につけられたタグ:
  • [2017.09.01]

カナダ・モントリオール生まれのジャーナリスト。オタワのカールトン大学でジャーナリズムの学位を取得。共同通信社、NHK、CNet、IDGニュースその他さまざまなメディアで20年にわたって活動を続けている。著書に『英文版ロボット-Loving the Machine(原題:Loving the Machine : The Art and Science of Japanese Robots)』がある。東京に12年間在住。

関連記事
この特集の他の記事
  • 和紙の世界へ② 再生紙で作る西嶋和紙明治時代以降、機械漉きの洋紙の登場で、各地にあった手漉き和紙の産地が消えていった。そうした中、熱い思いで伝統の手漉き技術を守り、生き延びてきた和紙の里がある。かつて武田信玄公に紙を献上していたという、山梨県身延町の西嶋手漉き和紙の里である。
  • カール・ベンクス:古民家や集落をよみがえらせる建築デザイナー存亡の危機にあった新潟県の山奥にある集落を、ひとりのドイツ人建築デザイナーが救った。老朽化した民家を次々に再生し、村人に田舎暮らしの醍醐味(だいごみ)を、身をもって伝授。やがて村は、「古民家村」として有名になり、移住者も増えた。そんな奇跡を起こしたカール・ベンクスに会いに、人里離れた竹所(たけところ)集落にある自宅を訪ねた。
  • 和紙の世界へ① 1000年生き続ける紙2014年、「手漉き和紙技術」が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。日本に製紙技術が伝わったのは7世紀頃で、正倉院には8世紀初頭の戸籍を記した国産紙(美濃紙)が現存している。日本人と和紙のつき合いは、1300年にもなる。この間に工夫が重ねられ、日本各地に独特の風合いを持つ紙が生まれた。
  • 尺八奏者ブルース・ヒューバナー:東北の被災地に心をささげて米国カリフォルニア州出身の尺八奏者のブルース・ヒューバナー。福島県の自然や文化、人々を愛し、東日本大震災後も演奏を通じて、東北の被災者らと心の交流を続けている。今年も4回目を迎えた福島県桑折町の無能寺で行われた東北復興のための演奏会で熱演した。
  • 加藤卓男:ラスター彩の復元に生涯をささげた陶芸家美濃焼の産地として知られる岐阜県多治見市は、3世紀前に姿を消した伝統陶芸「ペルシャ・ラスター彩」の復興の地でもある。陶芸家の加藤卓男は、20年近くに及ぶ試行錯誤の末、長年の謎だったラスター彩の製法を再現することに成功した。現在は息子の加藤幸兵衛が父の遺志を継ぎ、イランの関係者と密接に協力しながら、その里帰りを目指している。

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • シンポジウム報告