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フロイデを歌わずにはいられない

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年末になると交響曲第9番の公演が全国各地で開催される。ベートーベンの故郷から遠く離れた日本で、毎年ドイツ語で歌い上げられているこの不思議。何が人々を「第九」に向かわせるのか。公演に向け練習に励む合唱団を訪ねてみた。

全国で150回、年末恒例の「第九」公演

第九合唱の楽譜

世界的に有名なベートーベンの交響曲第9番。特に欧州では、第4楽章の主題『歓喜の歌』が欧州連合の歌として採用されるほどに親しまれている。日本でも「第九」で通るほど知名度があるが、その愛され方は、海外から来た人の目には特異に映ることもあるに違いない。

日本人の第九フリークぶりは、公演の多さと愛好者のすそ野の広さに表れている。おまけになぜか年末になると全国津々浦々で演奏される。小澤征爾氏を桂冠名誉指揮者にいただく新日本フィルハーモニー交響楽団など、国を代表するオーケストラから、アマチュアの小さな合唱団までさまざまだ。その数は年末だけで実に150回に上るとのデータもある。近年では1万人で歌う大掛かりなイベントも盛況だ。中には40年以上にわたって第九公演を続ける市民合唱団もあり、世代を超えた人気が窺(うかが)える。

シラーの詩からなる『歓喜の歌』の歌詞は、日本語にも翻訳されている。しかし、日本人の第九ファンの原語合唱へのこだわりは強く、第九といえばドイツ語で歌うのが定番だ。もちろん日本人にとってドイツ語は遠い国の言葉。原語で歌うにはハンデがある。暗記用に語呂合わせも考案され、例えば「フロイデ」から始まる有名な一節は、「風呂出で(フロイデ)、詩へ寝る(シエネル)…」と覚える人もいるらしい。「世界で一番、第九を歌い、世界で一番、歌詞を理解しないで歌っている」と指摘する声もあるほどだ。

日本初演はドイツ人捕虜

坂東俘虜収容所のオーケストラ練習風景(写真出典: 『「第九」の里ドイツ村 「坂東俘虜収容所」改訂版』(林啓介著、井上書房)

日本で初めて第九を演奏したのはドイツ人だったという記録がある。彼らは1918年、第1次世界大戦で坂東俘虜収容所(徳島県鳴門市)に収容された捕虜でオーケストラや合唱団を結成し、全曲を演奏。日本人による初演は1924年、東京音楽学校(東京・上野、現在の東京藝術大学)の第48回定期演奏会でのことだった。

年末に演奏されるようになった由来には諸説ある。戦時中、学徒出陣の壮行で12月に第4楽章が演奏されたことを受け、戦後になって戦没学生へのレクイエムとして年末の演奏が恒例になったという説もそのひとつ。いずれにせよ、曲の最後に圧倒的な高揚感を与えてくれる第九が、年末を1年の総まとめとして重視する日本人の心に強く響いた結果だと言えるだろう。

老いも若きも第九に熱中

11月半ば、第九公演に向けて練習に励む人々を訪ねてみた。日本人による初演が行われた東京・上野で、30年以上前から活動する台東区民合唱団だ。「台東第九公演」と題して毎年、東京藝術大学のオーケストラと共演している。

左から田中紀之さん、喜雄さん、たみ子さん。

左から深代美保さん、大樹君。

午後6時半過ぎ。練習場所の中学校体育館に団員が集まって来た。近所に住む田中喜雄さんはこの合唱団で歌って10年。妻と息子を伴って現れた。「家族で共通の話題が増えて楽しいです」と妻・たみ子さん。「練習に確実に出られるように、仕事もしっかりやって切り上げて来ています」と会社帰りのスーツ姿で両親に寄り添う長男・紀之さんは第九初参加だ。

中高年の団員が目立つ中、子どもの参加者もいた。深代大樹君は小学校6年生。ただし他団体での経験も含めると第九は通算4回目というから、なかなかの経験者だ。原語の歌詞もそらんじている。他の合唱曲に興味はないが、「第九は達成感があるから好き」。母親の美保さんは通算6回目。3.11後、精神的に落ち込んだ後に歌い、あらためて第九の魅力に引き込まれた。「高音域が続くソプラノパートなので大変。まるでスポーツです」と笑う。2人は台東区外からの参加で、週に1度の練習に1時間以上かけて通っている。

下町で育った第九

台東第九公演が始まったのは1981年。街の活性化が目的だった。台東区といえば、浅草をはじめとする下町文化が息づく街。伝統的に芸事の盛んな地域で、歌や踊りにはなじみが深い。現在も続く「浅草サンバカーニバル」と同時に企画されたのがこの第九公演だ。当時すでに第九は日本全国で知られていたが、アマチュア合唱団による公演はまだ珍しかった。また、地域に根付いていたのは芸事といっても日本の伝統芸能。西洋音楽である第九合唱は、下町っ子にとって大きな挑戦だったという。

刀根國武さん(中央)。「合唱団活動に集中できるよう、仕事は自営業を選びました」。

この日の練習には約200人が参加。

「最初の年は、170人ほどの区民が集まりました。何かおかしな声が混じっているなと思ったら、邦楽用の発声をしている人が何人もいたんです」。初演から連続参加している団長の刀根國武さんは懐かしそうに振り返る。

その第九初演に集まったメンバーにより結成されたのが台東区民合唱団。現在は中高年を中心とした20~80代の約80人が所属し、年間を通じてさまざまな合唱曲に取り組んでいる。第九公演の前には毎年、特別に団員を募集して250人の大所帯となる。事務局の台東区によると、例年、区外からも含めて希望者が多く、今年も抽選だった。

難曲だからこそのやりがい

松浦ゆかりさん。

「はい、声が向こうに行くように体使って! まつげ下げない!」

体育館に合唱指揮者・松浦ゆかりさんの伸びやかな声が響いた。初期からタクトを振っている。西洋音楽になじみのなかった人が大半の合唱団で、松浦さんは譜面の読み方から、発声の方法、ベートーベンが曲に込めた想いまで、一から指導してきた。その指導力は折り紙つき。結成8年目に初出場したコンクールで優勝を果たしたことも実績のひとつだ。

「ベートーベンは、第4楽章にいわば音として人間の声を入れたんです。だから歌い方としては器楽的。難しいんです。けれど、素人だからこのレベルでいいというふうに考えないで、志を高く持っていたい」(松浦さん)

パートごとに歌声を響かせる団員たち。

指揮者と共に団員の練習を支えるのがピアニスト。1989年から毎年務めている大野さなえさんは「本番はオーケストラとの共演ですので、練習のピアノ伴奏も、オーケストラに近い音色を心がけて弾いています」とプロとしての工夫を語る。

大野さなえさん。

1回の公演のために、200人以上の団員が一丸となって、指揮者、ピアニストと共に、9月から3カ月以上にわたる練習に取り組む。その先にあるゴールは、オーケストラや声楽家と共演する晴れ舞台だ。第九「常連」の大橋芳郎さん・久美子さん夫妻は参加する魅力を問われ、「オーケストラとの共演に毎年、ただただ感動」と華やいだ表情を見せた。そう、第九公演の本番は、厳しい練習を積み重ねた後にやって来る大団円。ここに集う人たちは、仲間と努力した日々と壮大な音楽の両方のフィナーレにしびれ、翌年の公演へ意欲を新たにする。「もう、フロイデを歌わずにはいられない」という顔をして。

♪2012年の第32回台東第九公演「下町で第九」は12月15日、東京都の東京藝術大学奏楽堂で開かれました。公演の一部をぜひ動画でお楽しみください♪

撮影=川本 聖哉
動画撮影・編集=大谷 清英

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