東京国際文芸フェスティバル

世界は第二の村上春樹を待っている―翻訳家・柴田元幸インタビュー

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東京国際文芸フェスティバルには、作家や編集者、翻訳家など文学を取り巻く様々な関係者が集まった。フェスティバルの諮問委員の一人である翻訳家の柴田元幸さんに、日本文学の“越境”の可能性について聞いた。

柴田 元幸 SHIBATA Motoyuki

1954年東京生まれ。アメリカ文学研究者、翻訳者、東京大学文学部教授。ポール・オースター、スティーブン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベック、レベッカ・ブラウンなど、現代アメリカ小説の名訳で知られる。東京国際文芸フェスティバルの諮問委員を務める。著書に『猿を探しに』、『柴田元幸と9人の作家たち  ナイン・インタビューズ』、『アメリカン・ナルシス』、訳書にオースター『偶然の音楽』、ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夢』、ダイベック『シカゴ育ち』、村上春樹氏との共著に『翻訳夜話』など。

TOKYOが世界文学と出会った3日間

——海外からはノーベル文学賞作家のJ.M.クッツエー(※1)さんやピューリッツアー賞作家のジュノ・ディアス(※2)さんなど超豪華なメンバーが集まりました。

今回のフェスティバルの諮問委員である「ザ・ニューヨーカー」の文芸セクションの編集長や、8カ国版で展開する英国の文芸誌「グランタ」の編集長が推薦して声をかけてくれました。翻訳家も含め、世界文学のトップランナーたちが東京にやってきてくれました。

「ザ・ニューヨーカー」の文芸セクションの編集長デボラ・トリースマンさんと「グランタ」の編集長ジョン・フリーマンさん。

——日本初の文芸フェスティバルとしては成功裏に終わったと思いますが、いかがですか。

課題は残ったと思いますが、十分に意義があったと思います。まず読者にとって、これだけ国内外の多くの作家たちの声を生で聞けるのはとても貴重な体験だったのではないでしょうか。もちろん、大事なのは作家の顔を見ることでも、声を聞くことでもありません。作家の作品を読むことです。でも、作家の話をじかに聞いた人が、この人たちの本を読んでみようかなという空気を作ることも大切です。海外の作家たちは、概して日本の作家より自分の思いを言葉にするのが上手ですから、そんなところを感じとるだけでも読者は面白かったんじゃないかな。

角田光代さんと『バット・ビューティフル』(村上春樹訳)を執筆した英国のジェフ・ダイヤ―さん。

平野啓一郎さんと綿矢りささん。

——日本の作家たちにも大いに刺激になったでしょうね。

これまで日本の作家たちにはこんな機会はほとんどありませんでした。海外の作家たちとのつながりがもっとあってもいいわけで、今回はそうした交流を深めるいい機会になったのは確かです。作家同士がどこで知り合って、どんな話をしたとか、やはりそういった類の話って面白い。そこから作家の作品や世界観が変わることがあるかもしれない。そういうさまざまな交流はないよりもあった方が絶対にいい。

映画化された世界的なベストセラー『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を執筆した米国のジョナサン・サフラン・フォアさんと、川上未映子さん。

——日本の作家たちがガラパゴス化してしまったのは、やはり日本の小説家の翻訳作品が少ないのが大きな原因でしょうか。

そうですね。一方の作家がもう一方の作家の作品を全然読まずに会っても、あまり意味がない。でも、短編小説を一つでもいいから翻訳で読んでいれば話は全然違ってきます。だから、双方が作品を読める下地を作ることも大切なんです。そうすれば、日本と海外の作家の間で、実りのある対話が成立する可能性も高いと思います。

翻訳者にできること、できないこと

小野正嗣さん。

——今回は、作家のみならず、編集者、翻訳家、装丁家など、世界文学を取り巻くさまざまなアクターが参加しました。翻訳に関するセッションもありましたね。

僕がモデレーターを務めた、小野正嗣さんやマイケル・エメリックさんなどが参加したセッションですね。小野さんは作家でもあるし、フランス語圏クレオール文学の翻訳者でもある。エメリックさんは、高橋源一郎さんや川上弘美さんなどの作品を英訳した世界でも指折りの翻訳者です。この中で面白かったのは、翻訳者の存在を感じさせる翻訳がいいのか、翻訳者は透明人間に徹するのかといった議論。僕は透明人間派ですが、文芸作品の翻訳という行為に関して、かなり突っ込んだ話が聞けました。当然、どちらがいいかなんて結論は出ないわけですが、一般の読者にも楽しんでもらえたんじゃないかな。

マイケル・エメリックさん。

——作者の意図するところって、どれくらい翻訳で伝わるものなのでしょうか。

そもそも翻訳じゃなくたって、作者の意図はどこまで伝わるのかという問題は成り立つし、作者の意図以外の読まれ方が成り立つのも文学作品の面白さだとも言える。でもまあそれはとにかく、翻訳することで何かは伝わるんですが、何かは確実に失われる。何が伝わって、何が失われるのかを翻訳者は常に考えています。詩はやはり失われるものの方が多い。でも小説なら、大事なところはだいたい伝わると信じて翻訳するわけです。

ジュノ・ディアスさん(右)と、彼の長編小説『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』を翻訳した都甲幸治さん。

——俳句の翻訳は難しいでしょうね。

例えば「古池や蛙とびこむ水の音」でいうと、「蛙(かわず)」の3文字、「飛び込む」の4文字、「水の音」の5文字と、この3、4、5で水の広がりが伝わってきます。しかも最後の「みずのおと」の「のおと」の3文字はすべて母音の「お」の音。母音の中で最も広がりをもった響きがあって、それで余韻が生まれます。しかしそれを訳すとなると、そうした余韻は失われてしまいますからもうお手上げです。小説のように長い文章であれば、まあここが失われてもここが残るから大丈夫ということになるのですが、17文字の表現の場合、そうはいかない。つまり、小説は非常に冗長性の高いメディアですから、ある程度失われる部分があっても大丈夫だとも言えるのです。

今、ニッポンの小説が面白い

——世界のグローバル化が進み、「越境する文学」もテーマの一つでした。

例えば米国で、文芸誌ではなく一般の雑誌で毎回小説が載るのは「ザ・ニューヨーカー」とか「ハーパーズ」くらいですが、「ザ・ニューヨーカー」でこの2、3年で一番掲載された作家は、おそらくチリのロベルト・ボラーニョ(※3)でしょう。それから村上春樹さんとか、カナダの作家アリス・マンロー(※4)、アイルランドの作家ウィリアム・トレヴァー(※5)などです。アメリカン・カルチャーの粋みたいな雑誌である「ザ・ニューヨーカー」でも、数多く登場する作家は米国人以外の作家なんです。そういう外への開かれ方そのものが、現代の世界文学の流れになっています。

——村上春樹さんは“越境”する作家の一人だと思いますが、日本の作家では例外のようにも思えます。

エルマー・ルークさん。編集者として村上春樹を発掘し、世界にハルキ・ムラカミを紹介した。

日本の翻訳文学に関して言うと、もうずっと輸入超過できたわけです。量として日本の文化発信をとにかく増やそうという声に同調するのも抵抗がありますが、せっかく日本にいいものがあるのに向こうが知らないのも、何かもったいないような気がします。グローバルマーケットへの可能性を切り開いた点では、野球で野茂英雄さんが達成した偉業を、文学では村上春樹さんがやってくれました。さらにマンガや宮崎駿さんのアニメなども加わって、日本では何か面白いことが起きているみたいだと英語圏の人たちが思い始めています。20年前では考えられないことです。こうした流れがあるので、今はチャンスじゃないかな。日本の作家たちもこれからどんどん世界に向けて出ていけばいいし、そうした状況が整いつつあると思います。

——日本の現代作家の作品が、海外でもっと読まれるようになると思いますか。

日本文学というと、海外ではちょっと前までは川端康成とか谷崎潤一郎とか、古い伝統的な日本とつながっているように見える作品、つまり海外から見て「日本らしい」ものが中心でした。安部公房あたりは重要な例外ですが。それがこの数年で村上春樹さんが爆発的に読まれるようになって大きく変わってきています。海外の村上さんの読者は日本を知ろうと思って読んだりはしないですよね。小説として面白いから読むわけです。

もしまとまった数が海外で紹介されれば、日本の小説がいかに自由かを理解してもらえると思います。乱暴な言い方ですが、米国の小説より日本の小説の方が、たぶん自由度が高い。英語圏の小説にはきっちりとしたルールがあって、そこから逸脱するのが難しいような所があります。それに対して日本の小説はどんどん自分からズレていくような所があって、それが混沌とした現代社会をリアルに描き出すことに成功しているような気がします。

質の高い翻訳で丁寧に紹介していけば、1970年代に世界文学の中に起きたラテンアメリカ文学ブーム(※6)のような現象を引き起こすことも可能かもしれない。今の日本文学は当時のラテンアメリカ文学と同じくらい勢いがあります。

——最後に、柴田さんにとって、「翻訳」って何ですか?

いやもう、遊び、遊びです(笑)。こんなに楽しい遊びってないですよ。自分でやっていても面白いし、読者からは喜ばれるし、作者からは感謝されますからね。批評家は作家にとっては敵でもあり味方でもあるわけですが、翻訳者はもう全面的に味方だと思ってくれますから。

——柴田さんはどこかで、翻訳者は作家にとって「夜中働いてくれる“小人”みたいな存在」だって書いていましたね。

背の高い彼らからすると僕はまさに“小人”だし、時差があるから夜中働いているわけですよね、本当に(笑)。

六本木のライブハウス「Super Deluxe」で行われた朗読劇「銀河鉄道の夜」に、管啓次郎さん(左)らと出演する柴田元幸さん。

取材・文=近藤 久嗣(一般財団法人ニッポンドットコム理事)
撮影=大沢 尚芳、川本 聖哉、大久保 惠造、コデラケイ
取材協力=日本財団

(※1) ^  J.M.クッツエー
1940年、南アフリカ共和国のケープタウンに生まれる。英国のコンピュータ会社勤務を経て、作家となる。1983年の『マイケル・K』でブッカー賞を受賞し、さらに1999年の『恥辱』で同賞はじまって以来の初のダブル受賞。2003年、ノーベル文学賞を受賞。作品に『夷狄を待ちながら』『鉄の時代』『遅い男』など。東京国際文芸フェスティバルでは、世界に先駆けて、最新作『イエスの幼子時代』の朗読を行った。

(※2) ^ ジュノ・ディアス
1968年、ドミニカ共和国のサントドミンゴに生まれる。6歳のときに家族で渡米。1996年刊行のデビュー短篇集『ハイウェイとゴミ溜め』が高い評価を受ける。初長篇となる『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』で全米批評家協会賞(2007年)およびピュリツァー賞(2008年)を受賞。現在、マサチューセッツ工科大学創作科で教鞭を執る。日本のマンガやアニメをこよなく愛す。

(※3) ^ ロベルト・ボラーニョ
1953年、チリのサンティアゴに生まれ、メキシコで育つ。2003年に50歳の若さで亡くなったが、没後も国際的な評価は高まるばかりである。2008年に全米批評家協会賞を受賞。作品に『通話』『野生の探偵たち』『2666』など。

(※4) ^ アリス・マンロー
1931年、カナダ・オンタリオ州の田舎町に生まれる。書店経営を経て作家となる。短編小説の名手として知られる。2005年、タイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選出。2009年、国際ブッカー賞受賞。作品に『イラクサ』『林檎の木の下で』など。

(※5) ^ ウィリアム・トレヴァー 
1928年、アイルランドのコーク州に生まれる。教師、彫刻家、コピーライターなどを経て作家となる。現役の最高の短篇作家と称される。作品に『聖母の贈り物』『密会』『アイルランド・ストーリーズ』など。

(※6) ^ ラテンアメリカ文学ブーム
ラテンアメリカでは1960年代に優れた文学作品が続々と生まれ、実験的で物語性の豊かな作品が1970年代には世界中の読者を魅了するようになった。中でも、西洋的なリアリズムとは異なる「魔術的リアリズム」の手法を駆使した作品が世界文学に与えた影響を大きい。代表的な作家に、アルゼンチンのボルヘス(1899-1986)、コロンビアのガルシア・マルケス(1928-)、ペルーのバルガス・リョサ(1936-)などがいる。

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