特集 世界のゴジラを生んだ日本の特撮
ウルトラマンに込めたマイノリティーへの視線
『ウルトラマン』 放映50年
[2016.11.29]

半世紀にわたり世代を超えて愛されるウルトラマン。シリーズ初期を支えた脚本家の1人、上原正三さんが、「光の国」からやって来た宇宙人ヒーローと怪獣たちとの戦いに込めた思いとは。

世界のゴジラを生んだ「特撮の神様」円谷英二監督は、「M78星雲・光の国」からやって来たヒーロー、ウルトラマンの生みの親でもある。円谷監督の下に結集したさまざまなクリエイター、特撮スタッフたちの発想と情熱の結集から誕生した初代『ウルトラマン』、シリーズ第2、3弾の『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』を語る際に忘れてならないのは、沖縄出身の個性の違う2人の脚本家の存在だ。

ウルトラマンがテレビに登場したのは、1966 年7月。2年前の東京五輪を機に一般家庭にもカラーテレビが普及し始めていた。テレビ画面で活躍する身長40メートルのヒーローと怪獣との対決に、子どもたちは熱狂し、最高視聴率は40パーセントを超えた。

「特撮の神様」に見込まれた金城哲夫

円谷特技プロダクション(現・円谷プロダクション)は円谷監督がテレビ向け特撮ドラマ制作のために1963年に設立した会社だ。初めて制作した『ウルトラQ』が、お茶の間に怪獣旋風を巻き起こし、『ウルトラマン』誕生につながる。両シリーズのメインライターを務めた沖縄南風原町(はえばるちょう)出身の脚本家、故・金城(きんじょう)哲夫さんは 玉川大学文学部在学中に円谷監督と出会い、その才能を見込まれて円谷プロに入社、企画文芸部の責任者となっていた。

那覇出身の上原正三さんは、64年、沖縄戦をテーマに書いた「収骨」という脚本で芸術祭テレビ脚本部門の佳作入選を果たした。知り合いだった金城さんに呼ばれて、翌年に上京、『ウルトラQ』制作中の金城さんを訪ねた際、初めて見た怪獣の着ぐるみにあっけにとられた。

上原正三さんは1937年2月、沖縄那覇市生まれ。大学は東京の中央大学卒業。肺結核で一旦故郷に戻るが、金城哲夫さんに誘われて上京、金城さんをサポートする立場で『ウルトラマン』誕生に関わった(撮影:ニッポンドットコム)

「(宇宙怪獣)ナメゴンを見た時は仰天したよ。学生時代から沖縄基地問題をテーマにシナリオを書いていた僕には、金星からナメクジ怪獣が出てくる話なんて、想像もつかない」と上原さん。「学生時代に“金星人と握手する会”を立ち上げて、常に宇宙を見ていた金城ならではの発想」だと言う。

それでも上原さんは、円谷プロで金城さんと働くことにする。沖縄の現実をドラマで伝えたいというのが本心だったが、当時、右翼の反発を恐れて、テレビ界では反戦、沖縄問題は“タブー”という風潮だった。それなら子供向けの怪獣ものを書いてやろうじゃないかと開き直った。初めて書いたのは、東京湾のヘドロの中から怪獣が現れる『オイルSOS』。念頭にあったのは水俣病だ。「僕は社会的なテーマがないと書けないタイプだったから」

結局、千葉のコンビナート周辺での撮影許可を石油会社が取り消し、『オイルSOS』は没に。すでに作ってしまった怪獣の着ぐるみを活用するため、急きょ『宇宙指令M774』 (『ウルトラQ』 第21話) を書き上げ、プロデビューした。

自然界に宿る神々と怪獣

1966年1月から半年間放映された『ウルトラQ』に続き、『ウルトラマン』が始まる。ウルトラマンの造形にたどりつくまでの試行錯誤を、文芸部員だった上原さんはよく覚えている。「最初はカラス天狗のようだったし、その後(美術監督の)成田亨さんが出してきたのは、ひげもじゃで、ギリシャ神話に出てくるようなキャラだった。いまひとつだなあ、と文芸室に皆が集まっては議論したよ」。試行錯誤の末に、赤と銀の体にシャープな顔立ちの宇宙人ヒーローが誕生した。

左:円谷英二監督の出身地、福島県須賀川市の市街地に立つスペシウム光線を放つウルトラマン像(福島県須川市提供・時事)/右:2014年東京国際映画祭に集結したウルトラヒーローたち(時事)

『ウルトラマン』全39話のうち、共同脚本を含めて14本を金城さんが担当。「普通の人はプロットから考えるが、金城はまず怪獣ありきで、ストーリーを組み立てた」と上原さん。

「僕たちが育った琉球では古くからシャーマニズムの伝統がある。そして、闇に潜むものたち、精霊を畏れる。神々は自然界のあらゆる所にいる。金城にとって、怪獣も一種の神、という感覚だった。そして、ウルトラマンは光の国からやってくる。これは、沖縄の『ニライカナイ』—海の向こうに光、豊穣(ほうじょう)の国がある、という発想につながる」

怪獣をすぐに退治しろ、ではなく、怪獣には怪獣なりの存在価値がある—それが金城さんの「バランス感覚」、マイノリティーへの視線であり、上原さんも共鳴するものだった。

2人は円谷プロを離れて

ウルトラマンに続き、1967年10月『ウルトラセブン』が放映開始。全48話の中には、金城さんによる異色作 『ノンマルトの使者』(第41話)がある。古代に人類に追われた海底人が、海底開発の進行に抗議し「人間こそ侵略者」と告発するが、地球防衛軍に滅ぼされる。正義とはどこにあるのか、という割り切れない後味を残す。

金城さんは途中からセブンと平行して、SFドラマ『マイティジャック』制作に注力する。円谷プロにとって、夜8時台という大人向けの時間帯への進出であり、大きな賭けだった。だが視聴率は低迷。これがきっかけで文芸部は廃部となり、69年、金城さんは円谷プロを去る。

セブンで多くの脚本を担当した上原さんは、金城さんがいない円谷プロには意味がないと円谷プロを辞める。日本返還を控える沖縄を拠点に活動すると決めた金城さんから、一緒に沖縄発コンテンツのための企画会社を立ち上げようと誘われたが、東京でもう少し脚本家としての修行を積みたいと断った。

2012年のイベントで展示された『ウルトラセブン』のジオラマは、『ウルトラ警備隊 西へ』(第14、15話)の場面を再現。登場する怪獣、キングジョーは脚本を担当した金城さんの名前に由来するといわれる (写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

上原さんが東京にこだわる理由は他にもあった。高校生の頃、東京で成功していた叔父たちが、沖縄の戸籍を抜いていたことを知る。「“二等国民”の沖縄人は出世できない差別の構造があった」。当時は上京するのにパスポートが必要な時代。「基地のない」東京での大学時代、上原さん自身も、沖縄に対する周囲の差別意識を感じた。だからこそ「ヤマトンチュ」(本土の人)をもっと知らなければという思いもあった。

だが、仕事を通じて知り合ったのは良い人たちばかりで、フリーになった上原さんを何かと気に掛けて仕事を紹介してくれるプロデューサーもいた。やがて、大ヒットした青春ドラマ『柔道一直線』(69年~71年)のシナリオ陣に加わり、プロとしての仕事は軌道に乗る。

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