特集 そうだ、温泉に行こう
温泉は日本の文化である

松田 忠徳【Profile】

[2015.03.04] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

日本人は古来より温泉を愛してきた。それは温泉が心身を癒してくれるからだ。日本人と温泉の関わりをひもときながら、温泉がもたらす美容やアンチエイジングの効用について紹介する。

日本は世界屈指の“温泉大国”である。源泉数が2万7000本を越え、その湧出量は毎分約260万リットルにものぼる。しかも、42度以上の高温泉が47%を占めている。日本には3085ヶ所の宿泊施設のある温泉地があるが、その多くは火山帯に沿うように分布しているので、温泉の熱源には事欠かない。梅雨や台風、降雪が日本列島に大量の水資源をもたらしてくれるため、温泉水の元もふんだんにある。

このような豊かな温泉資源に恵まれているため、日本人は古くから独特の湯治文化、入浴文化、温泉文化を育んできた。

日本人はなぜ湯に浸(つ)かるのか?

733年の成立と言われる『出雲国風土記(いずものくにふどき)』には、現在の島根県の玉造(たまつくり)温泉のことが次のように記されている。

「この里の川辺には温泉が湧いている。この温泉の出る所はちょうど海陸の景勝を兼ねた所であって、男も女も、老人も、若者も、あるいは道路を往復し、あるいは海上を浜辺に沿って行き、毎日のように集まって市場(いちば)のような賑わいをなし、また、入りみだれて酒宴を楽しんだりしている。そしてこの温泉で一度洗えば容貌も美しくなり、重ねて洗えば万病すべて治癒してしまう。このように、昔から今まで例外なく効験を得ているので、世の人たちはこれを神の湯と言っている」

この記述から、古代の日本人にとって温泉がどのような存在であったのか、なぜ日本人が温泉を愛するようになったのかが伺える。一度温泉に入ると容姿端麗になり、もう一度入るとどんな病気も治癒してしまう―。今から1300年近くも前に書かれたこの言葉は、温泉の本質を突いている。化粧品や医薬品がなかった時代、この表現は決して誇張されたものではなかったはずだ。

現在の玉造温泉を代表する温泉旅館の一つ、長楽園の「龍宮の湯」(写真提供 長楽園)

日本では古くから、水浴は心と体を清浄にするものと考えられてきた。わが国固有の宗教、神道の禊(みそ)ぎだ。朝廷で重要な儀式が催される場合、公家衆は朝早く起き、水を浴びて心身を清めてから出かけることを習わしとしていた。それが庶民に下りてきたのが行水(ぎょうずい)という習慣である。たらいの水で汗をとりながらさっぱりするという行為には、同時に心の中まできれいにするという日本人の思いが込められている。

8世紀の中頃、大陸から数多くの仏教経典と共に「温室経(うんじつぎょう)」というお経が入ってきた。これはとどのつまり、「風呂に入ると功徳が得られる」という教えだ。本来、禊ぎの儀式では、冷たい川や滝、海の水などで心身を清浄にしていたが、それに比べると沸かしたお湯や温泉は、肉体的にもはるかに気持ちが良かった。「湯浴(ゆあ)みすると功徳が得られる。7つの病を除くことができ、七福が得られる」と説く経典が諸手を挙げて歓迎されたのは想像に難くない。

神道の「禊ぎ」の精神と仏教の「温室経」が融合した結果、風呂好き、温泉好き、清潔好きの民族が生まれたのではないか。欧米の単に体の表面の汚れをシャワーによって“洗い流す文化”ではなく、心の汚れまでを洗い清める日本の“浸(つ)かる文化”、つまり温泉文化がこうして誕生したと私は考えている。

温泉療法の原点、湯治

温泉で病を治癒したり、健康を増進したりするための湯治には、「一週間一巡(ひとめぐ)り」という言葉がある。これは今から400~500年前、江戸時代以前に確立されていた湯治の基本的単位、期間だ。

温泉の効果は、基本的には“刺激”である。いろいろな成分が人体に浸透し、ホルモンの分泌を促進させるのだ。湯治を開始すると最初は交感神経が優位になり、血圧が上がり、心拍数も増え、血糖値も高くなる。

次にこの状態を修正するために副交感神経が優位になり、血圧が下がり、心拍数が低下、血糖値も下がる。このようにして、交感神経優位相と副交感優位相が交互に発現し、やがては安定した平衡状態に向かい、体が快復する。

湯治場で1週間の逗留をすると、概ねこのような効果が得られる。昔の人はこうしたことを科学ではなく、経験則や伝承で知っていた。江戸幕府開府直後の慶長9(1604)年、天下人の徳川家康は静岡県の熱海温泉で湯治を行ったが、これも期間は1週間。もちろんそれまでの慣例に則ったものだった。

科学的温泉療法の創始者、後藤艮山

医師たちが温泉を本格的に医療に用い始めたのは江戸時代になってからである。その開祖は、弟子を200人も抱えていた古方医学の大家、後藤艮山(こんざん)(1659~1733)。艮山は当時のともすれば実証性の乏しい中国医学に危機感を抱き、薬の効能について本当に効くのかどうかの確認作業を求めるなど、わが国の実証医学の先駆け、医学革新運動の旗手といわれた。

そんな艮山が発表した学説が「一気留滞論(いっきりゅうたいろん)」。人間が病気になるのは気が滞るからであるという説だ。この“気”は元気の“気”と同じで、現代医学の自律神経のことを指す。艮山は滞っている気を解放することで病気が治ると考え、“気”を高めるために熱めの温泉に入ることをすすめた。これは交感神経を刺激する方法である。元気を出したり、やる気を高めたりするには熱めの温泉に入った方がいいというわけだ。

そして彼が「天下一」と評したのが、当時有名だった有馬温泉(兵庫県)ではなく、辺鄙(へんぴ)な城崎(きのさき)温泉(兵庫県)。高温だったからだ。山陰の城崎は現在も決してアクセスには恵まれた温泉地ではないが、当代一の名医・後藤艮山が激賞して以来、その名声は一気に高まり、わが国を代表する大温泉地の地位を保ち続けている。

現在の城崎温泉を代表する温泉旅館の一つ、西村屋本館の「吉の湯」(写真提供 西村屋本館)。

温泉が老化と病気を予防する

近年、老化やがん、高血圧症、動脈硬化症、心筋梗塞、脳梗塞、糖尿病、肥満などの生活習慣病の原因となる活性酸素(フリーラジカル)を消去する抗酸化能力を有する果物、野菜、キノコなどの食品が注目を集めている。

老化や病気の90%は活性酸素が原因だと言われている。強い紫外線、放射線、農薬、排気ガス、食品添加物、タバコ、薬、強いストレスなどが活性酸素の元になる。活性酸素は物質を「酸化」、つまり錆びつかせる。

鉄が錆びるのも、魚が腐るのも酸化が原因だ。私たちの体は60兆個の細胞から成り立っているが、細胞膜が錆びつくとやがて腐食し、なかのDNAを傷つけ、がん化させてしまう。

一方、酸化の反対は「還元」で、酸化と逆の働き、すなわち老化や錆び、腐敗を防ぐだけ ではなく、人間なら細胞の錆を取り、活性化させ、たとえば肌を若返えらせるといった効果をもたらす。日本でもヨーロッパでも昔から温泉が「若返りの湯」と呼ばれてきたのは、温泉にはこうした「還元力」があるからに他ならない。つまり温泉に入ると、『出雲国風土記』に書かれていたように、錆びついた肌をピカピカに還元させ、肌が若返って容姿端麗になれるのである。

還元力のある温泉は、美容にも効果があると若い女性にも大人気だ(写真提供 下藤屋) 。

地表に湧出する前の温泉は「還元系」の特性を有しており、温泉の科学的な本質、価値は、還元作用にあると言っていい。還元作用とは活性酸素によって酸化され、錆びつき、そのまま放置すると重篤な病気になる恐れのある私たちの細胞を還元し、活性化する働きのことだ。酸化を防ぐ、「抗酸化作用」もある。

温泉は地表に湧出後に時間が経過したり、殺菌のために塩素系薬剤などを混入したりすると、たちまち化学変化を起こし「酸化系」になる。酸化されると、もちろん還元作用、抗酸化作用は働かない。

還元力に優れた源泉かけ流しの湯

私たちの体内には地球2周半分に相当する9万キロメートル以上もの血管が張り巡らされている。健康体である限りこの血管を流れる血液は弱アルカリ性である。体外に排出される尿も弱アルカリ性。果物、野菜には抗酸化物質が含まれているが、現代人の摂取量は年々、減少している。一方で私たちは肉、乳製品などの動物性タンパク質や加工食品を多く摂取し続けているが、その大半が酸化食品だ。

温泉が日本人の心身を健康にし、また病を治癒してきたのは、酸化された私たちの細胞を還元する還元力にある。これからも温泉が、もっぱら対症療法の薬を中心とした現代医療では得られない役割、特に予防医学としての役割を求められるとするならば、地表に湧き立ての、即ち鮮度の高い、活性酸素を消去、抑制できる優れた還元力を有した温泉がそれに応えることができる。

湯口から、地下から湧出した新鮮な源泉が湯船にすすぎこまれる(写真提供 下藤屋) 。

中でも源泉かけ流しの温泉は、最も効果の高い還元力を備えた温泉だと言えよう。源泉とは、加水や加温のされていない地中から湧出したままの温泉水のこと。すすぎ込まれた新鮮な源泉が,湯船の外にあふれ出ている状態を源泉かけ流しと呼ぶが、こうした還元系の生きた湯が湧き続けている温泉こそが私が薦める本物の温泉だ(温泉教授・松田忠徳が選ぶ「日本の温泉12」参照)。 

還元力こそが、1300年前の『出雲国風土記』が書かれた奈良時代にも、400年前の徳川家康や後藤艮山が生きた江戸時代にも、21世紀にも、地球がある限り変わることのない温泉が秘めた魅力の本質である。時空を超えて、遙かな古人(いにしえびと)たちの時代と同じ湯脈をくぐり抜けてきた温泉を、今も私たちが共有できるのは非常に感動的なことではないだろうか。

秋田県の乳頭温泉郷を代表する鶴の湯温泉。古き良き湯治場の雰囲気が味わえる秘湯(写真提供 鶴の湯温泉)。

タイトル写真:源泉かけ流しの温泉(写真提供 下藤屋)

  • [2015.03.04]

札幌国際大学観光学部教授(温泉学)。“温泉教授”で知られる温泉学の第一人者で、海外を含めこれまでに4700湯以上を調査。温泉による健康保養地医学、予防医学の研究を続けている。著書に『温泉教授の温泉ゼミナール』、『温泉力』、『温泉手帳』、『温泉教授の健康ゼミナール』など。医学博士。

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