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イーハトーブ—宮沢賢治が追い求めた理想郷

王 敏【Profile】

[2016.10.13] 他の言語で読む : FRANÇAIS |

宮沢賢治の作品を読み解く上での重要なキーワードに「イーハトーブ」がある。彼の心の中の理想郷とも言うべきこの言葉は、故郷の岩手をモチーフに生まれた。賢治生誕120年を迎えた今、この言葉の意味を中国人の賢治研究家が再考する。

朝日新聞が2000年に実施した「この1000年で一番好きな日本人作家」のアンケート調査で、世界的作家といわれる三島由紀夫、ノーベル文学賞受賞者の川端康成や大江健三郎を上回り、宮沢賢治が4位に入ったことがあった。

岩手県花巻市に生まれた賢治は、裕福な宮沢家の家業を継がず、農業への科学的な指導や啓蒙を通して、「知行合一」の生き方を実践した。その傍ら、『銀河鉄道の夜』などの代表作を含む100余りの童話や寓話、1000余りの詩や文章を書いた。生きている間は無名だったため、生前、原稿料をもらったのは『雪渡り』1篇だけである。

37歳の早世が惜しまれるが、彼の死後、遺された原稿が評価され、今も作品は教科書に載り、テレビ作品や映画になり、音楽に奏でられ、22の言語に翻訳、多数の国々で出版されている。そして岩手県花巻市にある宮沢賢治記念館には世界各国から多くの賢治ファンが訪れている。

イーハトーブは賢治の心の中にある理想郷だ。賢治が生まれた岩手の風土がそのモチーフになっている

賢治の詩のチカラ

賢治作品を読み解く際、彼自身の造語であるイーハトーブという言葉を常に念頭に置くべきであろう。賢治の心の中にある理想郷を示すこの言葉は、地震や津波など、幾多の自然災害と向き合ってきた賢治の故郷である岩手県が、そのモチーフとなっている。

2011年3月の東日本大震災。未曾有の災禍(さいか)に対して、絶望と無力感に打ちひしがれながらも、東北地方の人々は立ち上がることを忘れなかった。震災から一カ月たった頃、賢治の「雨ニモマケズ」はネット上で4万件以上のアクセスがあったことが明らかになった。賢治の詩は前を見つめて歩き出した人々の、災害に負けまいとする魂を励ましたのである。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾(よく)ハナク
決シテ瞋(おこ)ラズ
イツモシズカニワラッテヰル

「雨ニモマケズ」の草稿

越境するイーハトーブ

イーハトーブは東北地方に限定されず、故郷の海岸や延々と続く丘や山々を超えていく。そして大洋の島々まで伸び広がり、砂漠と大陸を横断し、東方と西方にまたがった理想郷へと昇華していった。さらに『銀河鉄道の夜』で描かれた透明な軌道を走り、はるか天空まで昇りつめ、「永久の未完成これ完成である」(『農民芸術概論綱要』)の彼方へ、永遠へと向かうのである。

賢治はすさまじい精神力でイーハトーブの世界を描き続けることで、生命を燃え尽くした。そして今、私たちは作品の中に描かれたイーハトーブによって、賢治が追い求めた夢とは何かを知るのだ。

宮沢賢治と中国

環境問題への意識がまだ普及していなかった100年ほど前、宮沢賢治はその概念を創出して昇華させ、さらに作品の主題として取り入れた。そしてそれを「イーハトーブ」と自ら呼んだ。

賢治のこのような時代を先取りした意識の源は、有史以来の中国思想に深く関係している。春秋戦国時代の老荘思想では人間と環境に対する関係性が説かれた。万物が混成していると主張する斉物論(せいぶつろん)は、人間と自然界における多様な生命が相互に作用して融合するという生成観を表している。賢治はこうした老荘をはじめとする東方の賢者の知恵を融合させていたのである。

中国の古典で賢治が最も好きだったのは『西遊記』であったと、弟の宮沢清六さんが明らかにしている。かつて賢治が在学した岩手県盛岡高等農林学校(現在の岩手大学)の図書館に、当時賢治が愛読した『西遊記』と思われる蔵書が保存されている。

賢治は身体を岩手県の郷里に置きながら、心は西域、天竺への漫遊に何度も旅立った。それは共に北緯40度前後に位置する岩手県とシルクロードを結ぶ心の通路であり、イーハトーブの夢を描く空間であった。日常生活もたびたび西域とシンクロし、時には「悟空」(『春と修羅 第二集』)を呼び出して同行させたり、時には父親への手紙の中に「一躍十万八千里」(1918年2月23日)と旅の心境を表したりした。

西域の古城である「高昌(こうしょう)」の遺跡の写真が宮沢賢治記念館に飾られており、その古城の近くにある「沙車(さしゃ)」や「亀茲(きじ)」(『小岩井農場』)などの地名もたびたび自身の作品に登場させている。彼は『西遊記』に示されている地図に沿って創作の筆を進め、西域の砂漠や上海の夜景を記した。さらに古琴の演奏を楽しむなどして、シルクロードに通じる中国に翔(かけ)る思いを綿々と記述した。

賢治と中国の関係はわれわれに多くの示唆を与えてくれる。中華文明に影響された日本文化の深層においては、アジア的な哲理が常に作用してきた。それは静謐(せいひつ)で調和的な世界観と、万物は常に連動しているという重々帝網(じゅうじゅうたいもう)なる世界観が融合し、現代に生きるわれわれの価値観を大きく揺さぶってくれるのである。

バナー写真:亡くなるまで時給自足の生活を送った羅須地人協会の建物(岩手県花巻市)の壁に書かれた賢治のメッセージ(撮影=大橋弘)

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  • [2016.10.13]

中国河北省承徳市生まれ。大連外国語大学卒、四川外国語大学大学院修了。現在、法政大学教授、国立新美術館評議委員、東アジア文化交渉学会会長を兼任。中国における最初の賢治翻訳の発刊及び『宮沢賢治と中国』など賢治研究書を出版した。1992年に山崎学術賞、97年に岩手日報文学賞(賢治賞)、アジア映像祭特別委員賞(番組名:宮澤賢治、シルクロードの夢)を受賞。2000年、宮沢賢治と中国についての研究でお茶の水女子大学人文科学博士号を取得。09年、文化庁長官表彰。

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