特集 禅の世界へ
「負けて勝つ」政治決断―全生庵を彩った2人の男(下)山岡鉄舟

出町 譲【Profile】

[2017.02.10]

東京・谷中の全生庵は、安倍晋三首相をはじめ多くの要人が通う禅寺として知られる。前編では、この寺ゆかりの山本玄峰が終戦工作に動いた秘話を紹介した。本編では時代をさかのぼって、江戸を無血開城に導いた山岡鉄舟に話を移す。

徳川家の幕臣だった山岡鉄舟は、明治維新後、まだ21歳だった明治天皇の家庭教師役を務め、酒に酔った天皇をいさめたこともあり、天皇の信頼を得た人物だ。その後、宮内省を辞めた鉄舟は1883年、明治維新で殉死した人々を弔うため、谷中の土地を購入して禅寺を建立した。全生庵の開山である。

上)門前から見た全生庵。左下)境内にある創建時の門柱には、鉄舟の書で全生庵の山号「普門山」と刻まれている 右下)「山岡鉄舟居士之賛」碑。題字は有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)、詩文は勝海舟の書

江戸無血開城の立役者山岡鉄舟

幕末期と思われる山岡鉄舟の写真(国立国会図書館所蔵)

薩摩・長州藩を中心とした新政府軍と旧幕府勢力が戦った戊辰戦争。その緒戦1868年1月末の鳥羽・伏見の戦いで、新政府軍が大勝、最後の将軍、徳川慶喜は「朝敵」となった。新政府軍は、江戸に攻め入ろうとしていた。総勢5万人。総攻撃は3月15日に決まった。

その回避に向け動いたのが幕府軍トップの勝海舟だ。慶喜の恭順の意を伝える手紙を用意した。宛て先は、駿府(静岡)に陣取った新政府軍の実力者、西郷隆盛。勝は手紙を鉄舟に託した。3月9日に駿府に到着した鉄舟は、西郷に切り出した。「このまま進撃されるのか、お考えをお聞きしたい」

西郷は答えた。「もとより国家を騒乱させることを狙っているのではない。不謹慎な輩を鎮定するために攻撃するのだ」
これに対して鉄舟は「徳川慶喜は恭順の意を示し、上野寛永寺で朝廷の御沙汰をお待ち申しています。生死いずれなりとも朝廷のご命令に従う所存でございます」「慶喜の気持ちを受けられないならば、仕方ありません。私は死ぬだけです。そうなると、いかに徳川家が衰えたといえ、旗本8万騎で決死の志士は私だけではありません。それでも進撃なさるおつもりですか」「江戸を火の海になさらぬようお願いします。民を助けてください」と訴えた。
西郷はいったん離席し、参謀会議で相談した上、いくつか条件を提示し「これを受けていただけるなら、総攻撃を中止する」と明言した。

鉄舟の下工作を受けた西郷隆盛と勝海舟の会談は、3月13、14の両日に行われた。ここに、15日に計画していた江戸城総攻撃は回避されたのだ。
勝は夕暮れ時に西郷を、江戸城の南1キロメートルほどに位置する小高い愛宕山に誘い出した。
西郷は「さすが徳川公は、大変な家来を持っていますね」とつぶやいた。勝が「誰のことか」と尋ねると、西郷は「山岡さんですよ。生命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、といったような始末に困る人ですが、そのように始末の負えぬ人でなければ、天下の大事は語れないものです」と答えたという。

日本はぎりぎり段階で、内戦を回避したのだ。新政府軍に英国、幕府軍にはフランスが付いており、内戦に突き進んでいたら領土は分割され、植民地化されていたかもしれない。

左)西郷隆盛 右)晩年の勝海舟(共に国立国会図書館所蔵)

「右」でも「左」でもない偉業

侍従として明治天皇に10年間仕えた山岡鉄舟。宮内大丞、宮内少輔を歴任し、退任後に子爵に叙される(国立国会図書館所蔵)

山岡鉄舟は、明治以後、国士をもって任じる人びと、とりわけ右翼から強い支持を得ていた。しかし、戦後民主主義全盛の一時期、鉄舟は忘れ去られた存在だった。右翼色はタブーだったのだ。
山本玄峰も右翼的な人物とみられていた。四元義隆らとの交流が、そのイメージを刻印したに違いない。岩波茂雄や安倍能成ら進歩的文化人とも深く交流していたにもかかわらずだ。

日本の近代史を貫く「右」と「左」の対立軸に、そろそろ幕を引くべき時期ではないか。無条件降伏や無血開城といった「負けて勝つ」思想をベースに政治決断を下した先人を振り返り、右翼と左翼に二分する知識人の薄っぺらさを痛感する。
日本は命懸けの決断で、明治維新と戦後復興を成し遂げた。この2つの決断は、世界史的にも高く評価されるだろう。全生庵を彩る2人の男に思いを馳せる時、彼らの偉業に圧倒される。彼らの体内には、禅の精神が流れていたのだろう。

全生庵墓地の真ん中にある鉄舟の墓

撮影=ニッポンドットコム編集部

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  • [2017.02.10]

1964年富山県高岡市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員を経て、2001年テレビ朝日入社。経済部、報道ステーションを経て、現在は情報番組「グッド!モーニング」のニュースデスク。11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(文藝春秋)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(幻冬舎)など経済人の著作が多い。「潮」「VOICE」「北日本新聞」などにも地域再生や企業トップインタビューなどを定期的に寄稿。

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