特集 日本史探険
シーボルト、その光と影
[2016.11.30]

江戸時代後期に来日したドイツ人医師・博物学者シーボルト。6年の滞在中に収集した植物の標本や関係地図、美術工芸品などは数万点に上る。『日本』『日本植物誌』『日本動物誌』に結実した3部作で日本学の大家となり、欧州各地の日本博物館づくりに寄与した。没後150周年を機に、その功績を考える。

表の顔と裏の顔

1823年日本に着いたシーボルトは、27歳と若かった。オランダ領東インド政庁の商館付き医師として長崎・出島に赴任。滞在の約6年間、診療所兼私塾「鳴滝塾」で多くの蘭学者を育てる傍ら、日本の動植物の研究に没頭した。一方、日蘭貿易に役立つ市場調査を行い、オランダ政府から「日本の政治・軍事情報を収集せよ」との特命を受けた。表の顔は医師と博物学者、裏の顔は市場調査員だった。

ドイツの名門貴族に生まれたシーボルトは医学の道を選んだ。ヴュルツブルク大学卒業後は開業医となったが、当時、政情不安定、経済低迷に陥っていた母国を離れ、外国で活躍したいと考える。その頃オランダ政府は、貿易会社設立のために新しい医者を探す一方、貿易を独占していた日本で、植物から生活、文化、国勢、軍事に関する情報を収集する調査も計画。ドイツ連邦を構成するバイエルン王国のシーボルトが抜擢(ばってき)されることになった。

オランダ人に成り済ます

ドイツ語の方言は低地ドイツ語と高地ドイツ語。かつてのオランダでは低地ドイツ語が話されたが、シーボルトの育ったドイツでは高地ドイツ語が母語で、低地ドイツ語は得意ではなかった。入国審査に立ち会った日本人通詞(つうじ)が不審に思い、彼に出身地を尋ねた。この時、そばにいたオランダ人商館長が機転を利かせて、「彼は山オランダ人(山地のオランダ人)なので、方言でしゃべっている」と指摘し、入国審査をパスしたという。

1824年、シーボルトは長崎奉行の許可を得て、長崎郊外の鳴滝に日本人のオランダ通詞から敷地と別荘を譲り受け、来日外国人として初めて学塾を開いた。彼の名はすぐに全国の蘭学者の間に広まった。こうして最新の西洋近代医学を学びたいという医師や蘭学者が長崎に集まり、彼の講義に熱心に耳を傾けた。鳴滝塾は木造2階建てで、庭園にはシーボルトや門人が日本各地で採集した薬草類を移植・栽培した。

またシーボルトは、塾生自身に分野ごとのテーマを与え、オランダ語によるリポート提出を課した。塾頭・美馬順三は賀川玄悦の『産論』や、養子の玄迪の『産論翼』を論文にまとめるとともに、塾生の戸塚静海、石井宗謙とともに、4部に分かれた『灸法略説』の訳文を寄せた。この塾で学んだ日本人の多くが、日本における西洋近代医学や自然科学のパイオニアとなっていった。

国際調査の拠点・鳴滝塾

シーボルトは全国から集まった塾生を使ってさまざまな調査を行い、日本に関する膨大な資料を収集した。鳴滝塾は、シーボルトの日本における情報収集活動の拠点でもあった。

鳴滝塾

治療に当たり一切金銭を受け取らなかったため、患者たちが感謝の気持ちを込めて、美術品や工芸品などを置いていった。オランダ国王は、日本の美術工芸品を収集する費用として、事前に1万2000ギルダー(現在の日本円に換算して約2億5000万円)をシーボルトに支払う約束をしていたという。彼は国王直属のバイヤーでもあったのだ。

江戸参府を利用して情報を入手

オランダ商館長が江戸城へ出向いて将軍に贈り物を差し出し、忠誠を誓う「江戸参府」はシーボルトにとって江戸を知る千載一遇のチャンスだった。当時の幕府は、外国人が国内を自由に旅することを禁じていた。1826年の商館長スチューレルの江戸参府に同行。日本人通詞のほか、シーボルトの私的な使用人として塾生の湊長安、高野長英、二宮敬作らも加わった。また、風景や風俗の記録係として絵師の川原慶賀も一緒だった。

江戸の定宿は日本橋本石町の長崎屋。ここでさまざまな人物と会ったが、中でも国情に詳しい最上徳内に会うことは重要だった。最上は北方探検家・間宮林蔵の上司だったからだ。シーボルトは「あなたの作成した蝦夷(北海道)、樺太(サハリン)の地図をお譲りくださらぬか」と聞いた。樺太が「島」かどうか確認したかった。日本地図を異国人に与えることは国禁だったので、最上は低い声で言った。「お譲りするわけにはゆきませぬが、一度お貸ししましょう。ただし、このことは絶対に他言しませぬように…」

この宿にはシーボルトに会いたい人物も多数訪れた。幕府の御書物奉行、高橋作左衛門景保は、何度も長崎屋に出向いた。伊能忠敬らが作成した日本地図の北部海岸に不明な個所があったからだ。それをシーボルトの持つクルーゼンシュテルンの『世界一周記』で確認したかった。高橋は「『世界一周記』をお譲り下されば、日本地図を模写してお渡ししましょう」と答えた。その地図は、北方は樺太、千島にまで及ぶ日本沿海の測量図だった。

日本初の女医となった娘イネ

其扇(そのおおぎ)は本名を「たき」という。先祖は長崎から西南方向に長く突き出た半島の先端に位置した「野母」(のも)の人で、その後、代々銅座跡に住居を構えていた。父が31歳、母が25歳の年に、たきは4番目の娘として生まれた。

父の佐兵衛は銅座跡でこんにゃく商を広く営み、奉公人も数多く使っていたが、数年前手違いが生じて借財をし、商売も思わしくなく、家も人手に渡る悲運に見舞われた。万策尽きた佐兵衛は長女つねを遊女奉公に出した。

「つねは美しい女であったが、たきは、さらに美しかった。少女の頃から近隣でも評判で、丸山の遊女屋の中で最も格式の高い引田屋から奉公に出るよう強い勧めがあった。たきもつねに次いで遊女になり、引田屋抱えになった。たきは15歳の歳で、其扇という源氏名が付けられた」(吉村昭著『ふぉん・しいほるとの娘』上)。

シーボルトが彼女に強い関心を持ち、なじみになるまでに時間はかからなかった。其扇が第一子を身ごもったのは1825年、19歳のときだった。この子の名前をイネと呼ぶ。イネはその後、日本初の女性産科医になった。

シーボルト事件の内幕

1828年、「シーボルト事件」が起こった。インドネシアに向けて出港しようとしていたオランダ商船が暴風雨にさらされ、座礁。彼が帰国する際、船に積まれた荷物の中から、国外への持ち出しが禁じられていた日本地図や江戸城の見取図、樺太計測地図の写しなどが発見された。シーボルトは江戸に参府した際、さまざまな手段でこれらを入手していた。中でも高橋からもらった樺太の詳細な地図の写しが問題となった。

高橋に疑惑の目が及ぶ。シーボルトに日本地図を複写して贈った行為が国禁に触れる大罪に当たると承知していたものの、「それはわが国に利益を与える」とみていた。高橋が国禁を破ったのは確信犯に近かった。

禁制地図の管理者だった高橋は逮捕され、シーボルトに禁制品を渡したことを自白。シーボルトは、「あくまで自然科学調査の一環だった」としてスパイ容疑を否認した。高橋は処分され、シーボルトのコレクションは没収。シーボルトは尋問の後、国外追放処分を受けた。

ペリーvsシーボルト

1830年にシーボルトは帰国、オランダ・ライデンに居住した。持ち帰った膨大な資料を基に、32年には大著『日本』を著す一方、日本の動植物に関する書籍もまとめた。『日本植物誌』にはアジサイが好きだったシーボルトが鳴滝塾周辺に咲く花を、妻の名前をとって学名「オタクサ」と命名したことが記されている。ヨーロッパでは既に化石動物と見られていた「オオサンショウウオ」が初めて紹介され、人気を博したと『日本動物誌』には記録されている。これらはシーボルト3部作として有名だ。

企画展「日本の自然を世界に開いたシーボルト」で展示されたアジサイのおし葉標本。アジサイは妻「たき」の名前をとって、「オタクサ」と命名された。 画像提供:東京大学総合研究博物館

シーボルトは、日本で2個体のオオサンショウウオを入手し、生きたままオランダへ輸送した。そのうち1個体は無事オランダに到着して、50年以上飼育された。画像提供:国立科学博物館

一方、米海軍東インド艦隊司令官のペリーが大統領フィルモアの親書を胸に浦賀に姿を見せたのは53年のことだった。ペリーにとってシーボルトの日本情報は有意義だったものの、シーボルトの背後に控えたオランダに対する強い警戒感があった。そのため彼は、オランダの助力を全て排し、自国の力だけで日本に開国を迫ろうと決意していた。

没後150周年を記念した「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」展の企画者の一人である江戸東京博物館の小林淳一副館長は、「ペリーはシーボルトを知っていたが、彼のやり方を参考にせず、武力を背景に開国を迫った。その結果、幕府が折れて鎖国が解かれることになった。同じ対日政策でもシーボルトの方は貿易の振興によって開国しようとするものだった」と指摘する。

特別展「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」では、19世紀に欧州で開催された「日本博物館」の展示が再現された

シーボルトは開国という点でペリーに敗北したものの、西洋に日本学を誕生させるという学術的な意味でははるかに大きな歴史的功績を残した。1900年に開催されたパリの万国博覧会における日本紹介や、その後のジャポニズムによる日本趣味に先駆けて、日本博物館を設立した上で幅広く日本を紹介しようとし、日本の西洋学と西洋の日本学双方の発展に貢献したということは決して忘れてはならない。

取材・文=長澤 孝昭
イラスト=井塚 剛

企画展「日本の自然を世界に開いたシーボルト」開催概要

会期:2016年9月13日(火)~2016年12月4日(日)
会場:国立科学博物館(〒110-8718 東京都台東区上野公園7-20)

特別展「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」開催概要
【長崎会場】

会期:2017年2月18日(土)~2017年4月2日(日)
会場:長崎歴史文化博物館(〒850-0007 長崎県長崎市立山1-1-1)

【大阪会場】

会期:2017年8月10日(木)~2017年10月10日(火)
会場:国立民族学博物館(〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園10-1)

この記事につけられたタグ:
  • [2016.11.30]
関連記事

この特集の記事

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • シンポジウム報告