【絆】STATION 第1話 ~ 第5話(2011/05/25~06/03)

地震にも津波によっても失われなかった優しい心。自分よりも他人を優先する思いやりの気持ち。
すべてが新しい絆になり、日本の再出発を後押しする!

地震にも津波によっても失われなかった優しい心。自分よりも他人を優先する思いやりの気持ち。
すべてが新しい絆になり、日本の再出発を後押しする!

【絆】 第5話「名物記者夫婦の泥まみれの原稿」(2011/06/03

岩手東海新聞(本社・釜石市)の宮古支局は2階建ての小さな事務所。佐々木雅子(60歳)さんは夫・健さんとともにこの支局に約30年務め、地元では名物記者夫婦として知られていたが、夫の健さんは3月11日、大津波にのまれて亡くなった。

佐々木さん夫妻は十数年前、大雨で重要書類を流された知人の話を聞いてから「津波注意報」が出る度に事務所のパソコン、原稿を保存したCD、フロッピーディスク、光磁気ディスク、紙の資料を2台の車に詰め込んで高台の自宅に避難することを繰り返していた。毎回自宅の7畳間がいっぱいになるほどの荷物の量や、それを素早く詰め込む二人のコンビネーションは近所でも有名だった。

しかし、3月11日、2度の大きな揺れに襲われた時は新聞配達の時間で、津波警報が出たことは分かっていたが、配達スタッフを早く帰らせるのに手間取り、肝心の時に避難が間に合わなかった。雅子さんが2階に上がると同時に津波が押し寄せ、健さんの姿は見えなくなってしまったという。

2日後、ようやく水が引き始め、1階の事務所に降りた雅子さんが見つけたものは、泥まみれで床にちらばったCDやディスク類だった。雅子さんはそれらを引っ張り上げて自宅に持ち帰った。それから時間をかけて汚れを落とし、PCで読み込めるまでに復元させ、読み返す毎日だ。「どんなものでもよいから、健さんの思い出を引っ張り出したかった」と雅子さん。

「娘は父親の日常品を遺品として大事にしているけど、私にとっては健さんの原稿が一番大切。原稿を見ればどんなことを言い合ったか、どんな苦労があったかすぐに思い出せるから。新聞に載った記事よりも生原稿の方がリアルに感じられます」。

雅子さんは、健さんの思い出を大切にしながら、地元の情報を伝える記者としての活動を続けていくという。

 

【絆】 第4話「『ありがとうございます』の黄色い花束」(2011/06/01

第2話で紹介した、石巻市の災害ボランティアに参加したノルウェー人、ケネスさんの話の続編。

東北地方での津波の映像を見て20分足らずで、被災地支援に向かおうと決めたケネスさん。実は、そんな彼を支えるネットワークの力も、彼の被災地行きを後押した。彼は、自身が所属する国際的なネットワーク(Making Change)のメンバーから、被災地で携帯する食料を送ってもらうことになっていた。しかし、送り先に指定されていた仙台駅内郵便局に行ってみると、物資は届いておらず、仕方なく彼は石巻市への転送を依頼して同市へ向かった。

現地で出会ったボランティア仲間の協力で、食事に困る事もなく、石巻市内で4日間の泥かき作業を終えたケネスさんは、東京へ向かう途中、再び仙台駅内郵便局を訪れた。まだ荷物は届いていなかったが、以前対応してくれた郵便局員が彼のことを覚えていて、身振り手振りで親切に対応してくれたという。ケネスさんは感謝の気持ちを伝えたかったが、震災直後の郵便局は、郵便を引き取りにきた住人への対応等で非常に混雑していて、皆仕事に追われていた。

彼はいったん外に出ると、近くの花屋で黄色い花束と花に添えるカードを購入。花屋の店員から教わったひらがなで「ありがとうございます」とカードに書いた。郵便局に戻り、カードを添えた花束をそっとカウンターの脇に置いて帰ろうとした。

その時、花束に気づいた郵便局員たちに呼び止められ振り向くと、さっきまで忙しくしていた局員たちが、一瞬手を止め、彼に向かって笑顔で、静かな拍手を送っていた。

忙しいながらも、感謝の気持ちを体全体で表してくれた郵便局員たちに感激し、軽く会釈をして、ケネスさんは郵便局をあとにしたという。

思いやりや感謝の気持ちは、国境や言葉の壁を超えて伝わっていく。

 

【絆】第3心をメイクアップ」(2011/05/27

テレビCMやアーティストのミュージックビデオなどで活躍するヘアメイクの知人は、4月6~7日に岩手県山田町の集会所と4月14日に岩手県大槌町の保育園で、ヘアカットのボランティアを行ってきました。

彼女は、一般の人に向けて自分のスキルを役立ててみたいと以前から考えていました。でも現地に赴くにあたっては、日常の生活もままならない被災者の方にとって、ヘアカットなど意味があることなのかとギリギリまで悩んでいたそうです。

岩手で会った子どもたちとその両親や高齢者の皆さんは、目の前で自分たちの町や家が壊され、身内の方々を亡くされたりしている方ばかり。明るく出迎えてはくれたものの、口数はまだ少ないままでした。

鏡を用意して、ドライシャンプーを開始。「お天気いいですね?」など、当たり障りないことを話しかけてみても、少し照れて緊張した表情が続くだけ。でも20~30分後、鏡を覗いてヘアカットされた自分の姿を見ると、みんなふわーっと笑顔になってくれたそうです。

倒壊した自宅がその日に解体されるというおじいさんは、ずっともの静かでしたが、カット後は「じゃあ、今から家でも見に行くか」と元気に言葉を発して自分の家の最後の姿を見に行かれたそうです。小学生の女の子も、カット後は満面の笑みが生まれて、そのウキウキが周りに伝わっていました。保育士さんは、「子どもたちは将来への不安な気持ちよりも、日常の喜びを大切にして、周囲を明るい雰囲気にしてくれます。だから、私たちも家にいるよりも保育園にいる方がいいんです。今日は本当にありがとうございました」といってくれました。

被災された方々にとって、復興政策や経済支援などの大枠の問題解決が必要なのは確かですが、日常を取り戻すためには閉ざしがちだった心の表情がふわりと解ける瞬間も大切だと知人は感じたそうです。そして、見た目を美しく変えるヘアカットのスキルが、触れ合いによる心のチェンジメイクにもつながることを彼女自身が教えられ、今回のボランティアに参加して良かったと思ったそうです。

 

【絆】第2otetsudai shitemo iidesuka?」(2011/05/26

Ohayo gozaimasu, otetsudai shitemo iidesuka?
(おはようございます。お手伝いしてもいいですか?)

この一言が書かれた紙切れを持って、4月18日、石巻専修大学内の災害ボランティア・キャンプに現れたノルウェー人のケネス(Kenneth)さん。

これまで日本に来たこともなければ、縁もゆかりもない。3月11日、彼はノルウェー・ベルゲンの職場で、東北地方で発生した津波の映像を目の当たりにし、その20分後、
「シャベル一本あれば、自分ができることが必ずある」
そう思い立った彼は、すぐさま上司に休暇の許可を得て、日本行きを決めた。

彼はまず仙台市に入り、そこからバスで深刻な被害を受けたと伝え聞いた石巻市に向かう。バスを降り立った辺りで、泥かきと仕分け作業をしていた自衛隊に遭遇し、近くの避難所に誘導され一泊することとなった。

写真提供:Carla White
写真提供:Carla White

「シャベル一本で一緒に作業しようと、はるばるノルウェーからやってきてくれたそうだよー」
彼の周囲には自然と人の輪ができて、避難所は温かい雰囲気に包まれたという。その時、避難所スタッフから差し出されたのが、蛍光モコモコスリッパ(写真右)。ここ、被災地での寒さをしのげるようにとの願いも込めて。

 

その翌日、自衛隊や避難所スタッフに助言を受けたケネスさんは、災害ボランティアセンターがある石巻専修大学で外国人ボランティアの部隊に引き合わせられ、その後4日間、市の中心部にある商店街で泥かき作業に従事できたそうだ。

「こうやって無事にボランティア活動ができたのは、自分に関わった全ての人たちの力添えがあったからこそ。今はただ感謝の気持ちでいっぱいだ」とケネスさん。国境を越えて人と人との絆が生まれた瞬間であった。

 

【絆】第1話 「お金を返しに来た男性」(2011/05/25)

日本財団では東日本大震災の被災地をまわり、死者・行方不明者の家族の方々に各々一人5万円の弔慰金・お見舞い金を差し上げているそうです。

4月4日より、まずは石巻市と女川町の2か所から実施し、それぞれの役場で一人ひとりに手渡したといいます。子供たちを失ってしまった女性や自分だけが助かって茫然自失の男性などに、日本財団の職員が涙を必死にこらえて応対するのですが、言葉に詰まってしまい、「お見舞い申し上げます」の声がなかなか出なかったそうです。

そんな折、死亡した娘さんの弔慰金を受けとられた男性が、わざわざ返却に訪れました。事情を聞くと、男性の妻が別の場所で弔慰金を受け取っていて、その二重取得に気づいたというのです。どうやら石巻市に限り、別の場所でも同時に支払いに応じてしまったようなのです。

被災者の手元には想像以上に現金がないことを思うと、この正直さには思わず頭が下がります。交通手段がないため、役場に来るのだけでも大変なのに。現場は、一瞬なごやかな雰囲気に包まれたということです。