【絆】STATION 第6話 ~ 第10話 (2011/06/07~06/22)

ボランティアに駆けつけた人々の助け合いの精神。過去を振り返らず、明日に向かって突き進む強い意志。
すべてが新しい絆になり、日本の再出発を後押しする!

ボランティアに駆けつけた人々の助け合いの精神。過去を振り返らず、明日に向かって突き進む強い意志。
すべてが新しい絆になり、日本の再出発を後押しする!

【絆】第10話 「ボランティアが作り出す絆」(2011/06/22)

先日東京で開催された、石巻市を中心に活動する団体のボランティア向け説明会に参加した。

その中で聞いたのは、ボランティアの活動や交流があって、被災地の人たちの生活復帰が少しずつ実現しているということ。例えば、津波被害のため石巻市湊小学校では卒業式を取りやめていたが、ボランティアが図工室の泥出しをして、10日遅れで執り行うことができた。

また、市内の商店街の守谷フルーツ店店主は、ボランティアが片付けた店内を見て、もう一度店を始めようというやる気を取り戻したという。開店を迎え、近所からお祝いの魚が届き、それを焼くにおいに人々が集まり、町が再生していく一場面を垣間見たそうだ。

駅前のすし屋では、大将が津波で泥だらけになった店の皿一枚一枚を、照明のつかない暗い店内で洗いながら、片付けのボランティアに処分するか取っておくかと聞かれるたびに、その判断を下さなければならなった。終始暗い顔で言葉も少なかったが、それでも作業が終わると別れ際にボランティアに一言声をかけたという。

「店が再開したら、すしを食べに来いよ!」

ボランティアと被災地の人々との間で絆が生まれ、町を再生に向かわせるパワーになりつつあるようだ。こうしたボランティアの活動やその成果を具体的に見聞きして、被災地の復興に自分自身も関わることができたら、と思った。自らの体力、時間、資金を使って、多くのボランティアが各地から集まっている。こんな絆が今後もどんどん生まれていくとよいと思う。

 

【絆】第9話 「亀でつながる心の輪」(2011/06/15)

宮城県石巻市内にある呉服店「かめ七」。この呉服店の奥には大きな棚があり、店主ご夫妻が長年集めた、亀の置物のコレクションが飾られていたそうだ。しかし、今回の津波によって、一部を除いて壊れたり、流されたりしてしまった。

亀はお店のシンボル。そのことを知った泥かき作業に参加した国も地域も年齢も違う外国人ボランティアのメンバーは、「自分たちが世界中を旅行したら、その先々で亀の置物を探そう。そして、呉服店のご夫婦に届けて、また元のように棚を亀の置物でいっぱいにしよう!」というアイデアを思いついたそうだ。


「かめ七」のご夫婦を囲んで(写真提供:Carla White)

この活動にはもう一つ、メンバーたちの秘められた想いがある。“Thinking of You”―「いつまでも、呉服店夫婦のことを忘れないように。そして、かめ七で共に作業にあたったメンバーの絆が、この先もずっと続くように」。そういう気持ちも込めて、行く先々で見つけた亀を送り続けようとみんなの心は一つになったようだ。

 

【絆】第8話 「ニーズにあった物資を直接届けたい

(2011/06/13)

被災地への復興支援は、さまざまな形となって現れている。救援物資マッチングサイト『Toksy』(http://www.toksy.jp/)もその一つだ。被災地の各個人のニーズに応えようと震災約1か月後にサイトがオープンした。

震災直後は、被災地域のインフラが整っていないこともあり、救援物資は各自治体や自衛隊等を介した、食料・衣類といった生活必需品の大型輸送が主流だった。しかし震災から約3ヶ月経った現在、被災者のニーズは多様化してきており、それぞれの要望に応じた救援物資の提供が求められている。このサイトでは、そういった被災者一人ひとりが本当に必要としている物品を、サイトを訪れた全国のユーザーが直接被災者に届ける(送料も提供者負担)ことができるシステムとなっている。

被災者の要望は実にさまざま。「娘が所属する吹奏楽部で使用する譜面台が津波で流されたので譲って欲しい」、「子どもの映像を撮りためたHi8のビデオテープを再生するビデオデッキ(現在ではVHSの規格が主流で、Hi8のビデオデッキを市場で見つけるのは困難)が津波で浸水して使えなくなってしまい、悲しく思っています」などといった細かい状況にも即座に返答がある。またこのサイトは、物資を受け取った被災者からのメッセージコーナーも設けており、犬のぬいぐるみを受け取った母親からは、「飼っていた犬が津波でいなくなってしまい、ずっと落ち込んでいた息子が、犬のぬいぐるみを手にしてとても喜んでいます」と、感謝の気持ちが書き込まれている。

ゴールデンウィークに、Toksyのスタッフが被災地へ赴き、マッチングサイトを利用された被災者の方たちにお話を聞きに行ったそうだ。支援を受けた方の中には「自分は阪神淡路大震災が起こったとき、何かしてあげたいと思っていたけど、何もできなかった。そして今回、自分が被災して、知らない人からこんなにもたくさんの支援をいただいている。今後また同じような震災がどこかで起こったら、今度は自分が支援する側に回りたい」と話す人もいて、ある被災者の方は「物品を送ってもらった人のあて先伝票は全て控えているんです。将来、何かの形でお礼がしたいと思っているので…」と、実際に伝票を見せてくれたそうだ。

Toksyのユーザー数は、今も拡大をつづけているのだそう。誰かに義援金、支援物資を託すよりも、個人が自ら被災者のお宅へ郵送し、支援物資を受け取った被災者からはお礼の言葉が届く。送ったほうも送られたほうも、直接つながっているという気持ちになれるからなのだろう。

 

【絆】第7話 「博多弁のアメリカ人がやって来た」(2011/06/09)

米国出身のキース・ミラーさんは、震災後、アメリカの友人たちとともにボランティア活動「サンダースティック作戦」を立ち上げた。キースさん自身、毎朝宮城県気仙沼市のボランティアセンターを訪れ、そこで紹介された場所で建物の解体や再建作業を行っている。アメリカから来日した仲間たちも、料理やその他作業などそれぞれが得意とする分野で被災地支援を行っているという。

Keith-sanキースさんは1988年に初来日。主に福岡を拠点として15年以上の日本滞在歴があり、博多弁もお手の物。ここ10年はエクアドルで仕事をしていたが、被災地で人材を必要としていることを聞き、すぐに日本に“帰国”することを決断した。

「サンダースティック作戦」によって、避難所となっていた気仙沼市の公民館に活気が出てきた。チームで鮮魚や肉を調達し、メンバーの一人で料理人のポールさんが被災者の人々に手作りの料理を提供すると、まるでスーパースターがやって来たかのように喜ばれたそうだ。避難所では毎日カップ麺、レトルトカレー、おにぎりの食事が続いていたからだ。

Paul-san
食事の準備をするポール・アンダーソンさん

キースさんはいつもユーモアを忘れない。ヘルメットの前面には「石頭」の文字、後ろに自分の名前が書いてある。前からも後ろからも覚えてもらいやすいし、会話のきっかけになる。「石頭」は、頑固者キースさんの奥さんが面白がって付けた。

「キースさん、どこ行くの?」「知らん」

「なんで博多弁?」「俺、九州男子やけん」

これまで外国人に会ったこともなかった人たちは、そんなキースさんの博多弁に大笑い。キースさんにとっても、被災地の人々に少しでも明るい気分になってもらえれば、これほど嬉しいことはない。

キャンプ場でのテント泊を始めて2ヵ月余り。キースさんはこの暮らしを、活動資金が続く限り続けるつもりだ。町が復興するのに10年以上かかったとしても、手伝いに行くこと、そこにいることが大事なのだという。

Van.2
福岡から道具を運んできたバン

被災地の人々は、誰かしら身内や親しい人を失っている。そうした悲しみの中で、気にかけている人が数多くいることを知ってもらい、少しでも元気になってもらいたいと思っている。博多弁のごっつい外人さんが手伝いに来ているよ、と地元の人々が和んでくれるだけで、自分がここにいることの意味があるとキースさんは感じている。

 

【絆】第6話 「生命線フロンティア」(2011/06/07)

食物アレルギーの専門的な治療を行う皮膚科の先生が、5月2~5日に宮城県の石巻市でJMAT(日本医師会災害医療チーム)の医師派遣団の一員として活動をしました。

アレルギー性の湿疹が出ると診療所を訪れた60代の女性と話をするうちに、麦アレルギーを持つ30代の娘さんがこれまで原因不明で「倒れたことがある」といいます。気になったので説得を重ねた末に娘さんにも診療に来てもらうと、アナフィラキシーという全身性のアレルギー反応を持つことが明らかになりました。

食物アレルギーはアレルギー性食品を食べなければ症状が出ることはありません。また専門の先生も限られているため、通常の診断を受けても見落とされがちです。

これまで大事に至らず過ごしてきたものの、アナフィラキシーは血流が悪くなって心臓停止の可能性もある危険性の極めて高いアレルギーです。アレルギー食品会社に急いで電話をかけて、支援金によって麦の入っていない食品を運んでもらうことになりました。

被災地における応急医療の現場でこのような発覚ができたのはほぼ奇跡的な巡り合わせです。先生は6月にアレルギー患者の方々を診療するため、被災地を訪れる予定です。