第2回 気仙沼から松島へ【廣瀬 達也・フリーライター】

火災による被害も受けた気仙沼から、日本三景のひとつ松島へと向かう。道を曲がるたびに風景は変化し、どこひとつとして同じ被害はなかった……

火災による被害も受けた気仙沼から、日本三景のひとつ松島へと向かう。道を曲がるたびに風景は変化し、どこひとつとして同じ被害はなかった……

気仙沼もまた素敵な場所だった。例えばフェリーで10分ほどの場所には大島があり、歩くと「キュッキュッ」と音のする、鳴き砂の浜がある。「フカヒレ」も有名だ。庶民的な価格で、ときに独創的な料理を出す店も少なくなかった。

そんな気仙沼のすべてが、焼けた瓦礫に埋もれていた。地盤沈下が起きたのか、海岸線に近づくほど、海水が異臭を漂わせながら澱んでいた。南へと向かう自衛隊の車両に導かれるように市街地を抜ける。もちろん標識など皆無だし、瓦礫を脇に寄せてかろうじて通れるようになった道も、いつ突然通行不能になるかもしれない。現地の交通事情は警察官でさえ「私はこの先の状況を知らないが、あなたが行きたければ行け!」というほどだった。同行する久山カメラマンが「こんなに秩序や規制のない被災地は初めてだ」と、何度も呟いている。それでも通行不可区間が明示されている都市部はマシなほうだった。車一台通るのがやっとな農村部の未舗装路には、標識などほとんどない。

国土地理院提供浸水範囲概況図9より(赤い部分が浸水範囲)

“命をつなぐ道”を南下

地元の人でさえ、もはや道を把握できないのであろう、軽トラに乗った老夫婦から「○○まで行きたいのだが、連れて行ってほしい」と哀願された。それまでの人生で培ってきたすべての常識や感覚や自信といったものが災害とともに崩れ去ってしまったかのような、老夫婦のやるせなさに身震いしてしまう。

たしかに震災直後、この地域の道路は、地震で完全に崩落し、津波によって土台から剥ぎ取られ、大型船や大きな建物など、容易には動かせないものによって遮られるなど、道としての機能が奪われていた。それでも我々が現地を訪れた4月下旬は、ようやく道路上の障害物が取り除かれ、土を盛り、仮設の橋を架けた海沿いの道を南下することが許されるようになっていた。まさに命をつなぐ道である。

南三陸町戸倉から内陸部へと進む国道45号で老夫婦に別れを告げ、海岸線を進む国道398号へ。海岸線から少し離れ、小高い山裾を走る国道沿いの風景からは津波の影響をうかがい知ることは少なくなった。しかし道路に描かれたセンターラインはひび割れ、走行しながらでも中の空洞や段差が確認できるほどだ。

北上川の河口付近にある新北上大橋までたどり着いたものの、橋は橋脚、橋梁を失っていた。新北上大橋のたもとには、多くの子供たちが犠牲になった石巻市立大川小学校があった。まるで時間が止まってしまったかのような風景の中で、周辺を捜索する慌しさだけが際立ち、この地で起きた悲劇を思い起こさせた。

我々は、上流部の飯野川橋まで大きく迂回して再び新北上大橋の対岸を目指すことにした。川沿いの堤防の上と下に作られた応急の道は延々と鉄板を敷いただけ。少しの雨でも冠水しそうな気配だった。

国土地理院提供浸水範囲概況図10より(赤い部分が浸水範囲)

他を圧倒する被害

石巻市街に入ると破壊されたものの大きさが被害の大きさを物語っていた。いろんなものが腐敗していく匂いも埃も瓦礫も…そしてさまざまな作業に携わる人々や車両の数の多さも他を圧倒している。町の外れにあった市のサッカー場は震災による犠牲者の埋葬場に変わっていた。芝生のグラウンドは表皮をはがされて、ちょうど棺が納まるほどの長方形の穴が整然と掘られていた。すでに一部の列は埋められ花が飾られていたが、その何倍もの穴が準備されていることがつらかった。

石巻以南は、それまでの海岸線に多く見受けられた険しい断崖地帯の地形が少しずつ変化していく。なだらかな平野部が広がり始めるのだ。そして視界が広がっていくようになるとともに、平野部を駆け上がっていった津波の被害もまた一目瞭然となる。岩手県陸前高田市から出発しここまでやってきたが、どの町も、どの通りも、ひとつとして同じ被害はなかった。移動するたびに変わる風景を見ながら、被災地の人々の苦しみや悩みも一人ひとりすべて違うのではないかと漠然と感じた。

国土地理院提供浸水範囲概況図12より(赤い部分が浸水範囲)

日本三景の町が抱える新たな苦悩

松島沖に点在する島々が津波の力を軽減してくれた松島は、これまで見てきた町よりも、ほんの少しだけ被害が少ないように思えた。町の人々は早くも商店や遊覧船の再開に力を注いでいた。再び立ち上がろうとする人々の姿や、今も変わらぬ風光明媚な松島の風景に心和むひととき。しかし「果たして原発事故のあった福島を越えて観光客が来るのだろうか?」と呟く観光業者の言葉。また違った苦悩がそこにあった。

(松島まで〆)

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廣瀬達也
Hirose Tatsuya

1954年熊本県生まれ。亜細亜大学在学中よりフリーランスとして編集業務に携わり、二輪誌、四輪誌、アウトドア雑誌、旅行雑誌などで幅広く活動。メキシコ・baja1000、ラリーレイド・モンゴルなどのレース経験もある。著書に「冒険ニッポン」(ミリオン出版)、「絶景日本の旅」(八重洲出版)など。