11,000人の高校生が福島で大文化祭「私たちはゴジラではない」【近藤 誠一・文化庁長官】

近藤誠一文化庁長官は福島県で開催された第35回全国高等学校総合文化祭に出席。高校生たちの言葉に心を強く打たれたという。

近藤誠一文化庁長官は福島県で開催された第35回全国高等学校総合文化祭に出席。高校生たちの言葉に心を強く打たれたという。

「この日を迎えられるとは思わなかった」
「苦しんでいる人たちがいるのに、自分だけ『楽しい』と感じることに、ためらいを感じてしまう」
「黙って手を合わせるだけでなく、歌うことも、亡くなったひとたちへの鎮魂になると知った」

8月4日の午後、福島県会津若松市で、「ふくしま総文」の開会式が開かれた。そのハイライトである福島県の生徒による構成劇での台詞だ。

文化庁と全国高等学校文化連盟は、毎年各県もちまわりで全国高等学校総合文化祭(総文)を開催する。郷土芸能から管弦楽、演劇や写真展など、20前後の部門で、各県の予選を勝ち抜いてきたチームが競う、まさに文化の祭典だ。今年は35回目。福島の高校生たちは、数年前から自分たちで開催の準備を始めた。大会のマスコットとして地元名産の桃をかたどったマスコット「ぺしゅ。」君をつくり、会場の手配や、全国から集まる生徒たちの宿舎の準備をした。

そして開催まで5ヶ月を切った3月11日、あの大地震と津波、そして原発事故が彼らの前に立ちはだかった。自分の家が、家族が、友達が流された。誰もが「もう開催はだめだ」と思った。「折角ここまで準備したのに、どうしてこんなときに地震が来たのか」と恨みもした。津波の被害の甚大さが明らかになるにつれて、そして原発の不安定な状況が伝えられるにつれて、悲観論が強まった。

劇の台詞は続く。

「失われることが分かっていたら、もっと人に優しくできたんじゃないか」
「これから、人にはいつもできるだけ優しくしようと思った」

しかし希望は捨てなかった。復興が始まり、桜が咲き、原発の事態が落ち着きを見せ始めた4月末、福島県の佐藤雄平知事は大会の実施を決断した。大会に向けて準備と稽古を重ねてきた、福島県のみならず、全国の高校生たちは喜んだ。でも進まぬ復旧と、いつまでも見つからぬ行方不明者の数・・・福島の生徒たちは迷い、苦しんだ。さらに予期せぬ困難が待っていた。世界中の人々が、それどころか日本人までもが過剰反応をし、福島県への来訪者が激減し、福島産の野菜が、そして牛肉が、根拠なく一律に拒否された。いわれのない拒絶に高校生の心は深く傷ついた。

「勝手な情報にまどわされて、何も知らないで毛嫌いするのは、かわいそうな人です」
「樹齢1000年の桜が、あの日の後も優しく、誇らしげに咲いていた。なぜあなたはそんなに懸命に咲くの。どうすれば私もあなたのように生きられるの、と聞いた」

大会の開催場所のうち、原発の周囲30キロの避難地域内及び地震による会場の損傷などで予定していた8つの部門の会場を変えねばならなかった。それは容易ではなかった。県内の他の多くの文化会館や体育館が、避難所になっていたからだ。それでも2つの部門を県外で開催するなどして、15の部門を県内各地で実施した。もちろん各会場の放射線量を測った。

開会式の構成劇の台詞は続く。

「いままで当たり前と思っていた小さな幸せが、どんなに有難いものか初めて分かった」
「これからは、日本中のひとが、自分だけでなく、周りのひとのことを考えるようにならなければいけない」

津波の被災者だけでなく、原発の30キロ以内から移って親類や避難所で仮住まいをしている子もいる。被災はしなくとも、仲間を支援するために練習時間も限られた。それでも彼らは一生懸命準備した。そして8月4日、無事に開会式を挙行した。県外からの8,346人を含め、全国から11,000人を超える高校生が集まった。そして秋篠宮同妃両殿下と佳子内親王殿下をお迎えした。ご一家は会津若松に一泊され、合唱や、障害者のための特別支援学校など、いくつかの会場をご視察された。行く先々で大歓迎を受けたのはいうまでもない。

「これで終わりではない、これからもう一度、一から始まるのだ」
「あれ以来、自分のやりたいことが変わった。自分の大好きな福島のためになることをしようと思った」

この劇が本当に感動的だったのは、これらの台詞がつくられたものではなく、高校生たちの生の声だったからだ。実際に被災した生徒たちから、言いたいこと、言ってほしいことを募り、そこから選んだそうだ。開会式を終えたとき、知事も、私も、誰もが感動を隠さず、喜びあった。彼らの目からはまだ涙が消えていなかった。口々に「やってよかった」と言った。そして我々の控え室で担当してくれた福島の高校生たちに、「よかったよ、みんなにそう伝えて」と言うと、それまで笑顔で応対してくれていたある女子高校生の目から大粒の涙がこぼれおちた。きっとそれまでの苦労、とくに風評被害という、自分たちではどうにもできない困難に苦しみながら、それでも一生懸命準備してきた日々を思い出したのだろう。でもすぐ笑顔に戻った。この大震災で強い子になったのだろう。

こんな台詞もあった。誰もが胸をしめつけられた。

「ゴジラという、映画に出てくる想像上の怪物は、放射能の影響でできたと初めて知った。でも私たちはゴジラじゃない、大好きな福島で普通に生きている人間なの」
「すべて失ったけど、希望だけは残っています」

(8月5日 記す)

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近藤 誠一

近藤 誠一
Kondo Seiichi

1946年神奈川県生まれ。72年外務省に入り、広報文化交流部長を経て2006~ 08年ユネスコ日本政府代表部特命全権大使。08年デンマーク大使。10年7月から文化庁長官。
文化庁長官のサイトhttp://www.bunka.go.jp/commissioner/index.html
ふくしま総文の公式サイトhttp://www.fukushimasoubun.gr.fks.ed.jp