荒れ果てた“故郷”を訪ねて【福家 康宣・福島放送役員】

住民が避難して無人となり無残に変わり果てた飯舘村。運動場の表土を削り取った小学校。処分場が決まらないがれきの山。問題解決の方針すら示せない政府に、福島の悲しみと悔しさは募る。

住民が避難して無人となり無残に変わり果てた飯舘村。運動場の表土を削り取った小学校。処分場が決まらないがれきの山。問題解決の方針すら示せない政府に、福島の悲しみと悔しさは募る。

先日、計画的避難区域に指定され住民がいなくなった飯舘村の様子を見に行った。田んぼや畑だったと思われる土地には雑草が生い茂り、伸び放題に伸びていた。人がいなくなると、ここまで荒れるのか。無残な景色を眺めながら、今回の原発崩壊と政府・東電の対処のまずさを、あらためて呪った。

9月1日、東電福島第1原発から3Km圏内に住んでいた大熊町の住民の初の一時帰宅がおこなわれた。福島県の地方紙・福島民報によると、3月11日の津波で自宅を流され、その後ずっと避難生活を続けてきた60代の夫婦は防護服姿で自宅のあった場所に立ち尽くし、敷地一面を覆う雑草をしばらく呆然と見つめ、最後につぶやいたという。「もう、ここに戻ってくることはないだろうね」。60歳を過ぎて家をなくし、故郷から追い立てられた者の悲しみと悔しさが伝わってくる。

削り取った校庭や運動場の表土は今も学校に残されている

9月4日、郡山市立薫(かおる)小学校の運動場を見に行った。運動場や校庭での放射線量を下げるべく、市が4月下旬に、市内の小中学校の中で最初に表土3cmを削り取った学校だ(文科省が4月中旬に、地上50cm~1mで1時間あたり3.8マイクロシーベルト以上が計測された学校の運動場や校庭は体育の授業や子どもたちが遊ぶのに使うのは制限したほうがよいとの「暫定的考え方」を示し、市内の小中学校では薫小がその基準値を上回っていたが、どう対処すれば良いかを国が示さなかったため、市長判断で表土削りをおこなった。市はその後、他の小中校などでも実施した)。

フェンス越しに見た運動場の隅には、表土を埋めた跡の土の山が今も残っていた。市は当初、はぎ取った土を市の埋め立て処分場に運ぶ計画だったが、処分場周辺住民の反対で運び出せなくなり、各小中学校で「一時保管」することになったためだ。

放射能汚染されたがれき、学校の校庭や運動場の表土の処理をどうするのか。福島市や郡山市などにある下水処理場の下水汚泥はかつては乾燥させた後、セメントなどの材料として売れたが、今は側溝・下水管をたどって下水処理場に流れ着いた放射性物質が含まれているため売れず、結局、処理場の構内に溜まり続けている。これをどうするのか。

福島県と県内の市町村は夏前から国に言い続けている。

放射性廃棄物の貯蔵施設をめぐる政府対応に、普天間問題を思い出す

国の対応は、しかし、心許ない。さまざまの立場の人がいろいろお喋りはするが、問題解決のための責任ある方針は未だに示されていない。

汚染がれきの処理についても同じだ。環境事務次官が6月に福島県内に最終処分場を設ける案を示したが、細野豪志原発担当相は「最終処分場は福島県外に設けるべきだ」と言い、菅直人前首相は退任間際に福島県へ来て佐藤雄平知事に「放射性廃棄物の中間的貯蔵施設を福島県内に設置する」と語った。仮に菅氏の言葉が国の方針だとしても、最終処分場は本当に県外に設けるのか、中間的貯蔵施設設置の調整は国が責任をもってやるのか、などには触れられておらず、知事もにわかには「うん」とは言えないだろう。

福島の野菜、牛肉、魚はできれば避けたい。福島への旅行はしばらく見合わせよう。そういう空気が広がっているなかで、県外の自治体で「汚染がれきを引き受けましょう」と名乗り出るところがあるとは思いにくい。沖縄の普天間飛行場の移転先をめぐり、初めは「最低でも県外」と言っていた鳩山由紀夫元首相が前言を翻し「名護市辺野古への移転しかない」に変わった一件を思い出す。

(9月4日記す)

福家康宣
Fuke Yasunobu

1949年香川県生まれ。香川大経卒。74年朝日新聞社入社、鹿児島支局、那覇支局を経て東京本社政治部記者。大阪社会部デスクのとき阪神・淡路大震災を経験。西部本社編集局長のあと福島放送に移り、2009年6月から役員。