SNS

最新記事

ニュース

More

古川 勝三
  • 古川 勝三 FURUKAWA Katsumi
  • 署名記事数:12 最終更新日:2018.12.22
1944年愛媛県宇和島市生まれ。中学校教諭として教職の道をあゆみ、1980年文部省海外派遣教師として、台湾高雄日本人学校で3年間勤務。「台湾の歩んだ道 -歴史と原住民族-」「台湾を愛した日本人 八田與一の生涯」「日本人に知ってほしい『台湾の歴史』」「台湾を愛した日本人Ⅱ KANO野球部名監督近藤兵太郎の生涯」などの著書がある。現在、日台友好のために全国で講演活動をするかたわら「台湾を愛した日本人Ⅲ」で磯永吉について執筆している。
台湾を変えた日本人シリーズ:砂糖王国を築いた新渡戸稲造2018.12.22

2016年の米国農務省統計によると砂糖生産量のトップ3は、ブラジル、インド、EUである。日本は24位で台湾より多い。しかし、台湾を領有した頃の日本は、砂糖消費量の大部分を輸入に頼っていた。そこで第4代台湾総督の児玉源太郎と民政長官の後藤新平は、植民政策の中心を産業振興に置き、その中心に糖業奨励を推進することにして、台湾に新式製糖会社を設立することを企画した。その立役者になったのが、旧5千円札に肖像…
more

台湾を変えた日本人シリーズ:不毛の大地を緑野に変えた八田與一(3)2018.11.18

1930年5月、嘉南大圳(かなんたいしゅう)の心臓部である烏山頭ダムが完成し、15万ヘクタールの大地に「神の与えし水」が満たされ、世紀の大事業が終わった。技師の八田與一は再び台湾総督府に復帰することになった。烏山頭の従業員も新たな職場に異動し、再び集まることはないはずである。苦楽を共にしてきた10年間の歳月がいとおしく、別れづらかった。 「何か記念になるものを残しておきたい」。従業員の中…
more

台湾を変えた日本人シリーズ:不毛の大地を緑野に変えた八田與一(2)2018.09.23

工事の設計図と予算書を携えた技師の八田與一は、部下に見送られ嘉義駅(台湾・嘉義市)から上京、台北に着くと総督府の会議室に腰を下ろした。民政長官の下村宏をはじめ土木局長の相賀照郷、土木課長の山形要助以下、技師たちが八田の説明を聞き終わると、工事規模の大きさに多くの技師が驚嘆した。かんがい面積15万ヘクタール、水路の延長1万6000キロメートル、工事期間およそ6年間、必要経費は事務費を入れて430…
more

台湾を変えた日本人シリーズ:不毛の大地を緑野に変えた八田與一(1)2018.07.28

5月8日が来ると思い出す情景がある。35年前の1983年、台湾・台南市にある烏山頭ダムの近くで行われた「八田與一慰霊追悼式」。海外派遣教員として高雄日本人学校に勤務して3年目を迎えていた私は、台南駅で嘉南農田水利会の呉徳山氏と黄粲翔氏に迎えられ式典に参加した。技師だった八田の銅像前には供物が並べられ、3人の尼僧が来ていた。総勢40人あまりが参加した式典が終わると、参加者らは片付けをしながら話し始め…
more

台湾を変えた日本人シリーズ:国際貿易港を造った川上浩二郎と松本虎太2018.07.07

台湾の面積は九州とほぼ同じ大きさだと言われるが、入り江が少なく海岸線の長さは九州の3分の1程度である。したがって、天然の良港と呼べる場所は少ない。ただ、台南には台江と呼ばれる天然の入り江が存在した。大航海時代にやって来たオランダ人は、1625年に台南の湾の奥にプロビデンジャ城を、30年には湾の入り口にゼーランダ城をそれぞれ築き、台湾統治の拠点としている。その後、安平港が造られ、鄭成功の一族や清…
more

台湾を変えた日本人シリーズ:台湾の上下水道を整備した日本人・浜野弥四郎2018.05.13

浜野弥四郎は、1869年9月9日に千葉県成田市で生まれた。90年第一高等中学校予科を卒業し本科に進んだ後、96年7月に帝国大学工科大学土木工学科を卒業した。卒業式の翌日、恩師で帝国大学工科大学の衛生工学講師のウイリアム・K・バルトン先生に呼び出された。 神戸市の技師長当時(提供:古川 勝三) 「浜野君、僕と台湾に行って一緒に仕事をしてくれないか」 内務省衛生局長の後藤新平か…
more

台湾を変えた日本人シリーズ:台湾を「蓬萊米」の島にした日本人・末永仁2018.04.29

台湾が清(しん)国から日本へと割譲され、一定の時間が経過して日本の台湾経営が軌道に乗った後、農業問題が一つの焦点になった。近代化によって人口が増えたため、食糧不足の解決が急務となっていたからだ。そのため政府は、温暖な台湾を食料の供給地にする計画でいた。台湾には17世紀頃に稲の栽培技術が伝わっていたため、台湾米として大陸で売買されていたが、粘りの少ないパサパサした食感のインディカ種だった。そのた…
more

台湾を変えた日本人シリーズ:台湾野球の礎を築いた日本人・近藤兵太郎2018.03.25

1931年、第17回全国中等学校優勝野球大会に出場すべく、台湾の嘉義農林学校野球部は、これまで1勝もしたことなかった台湾全島野球大会に挑んだ。連敗続きでのんびりしたチームだった嘉農野球部は、近藤兵太郎監督の鬼のような特訓を1年間受けると、選手に勝利への強い意志と甲子園出場への夢が芽生え、日本人のみの常勝チームであった「台北商業」を打ち負かして優勝した。台湾野球の歴史を塗り変えた出来事だった。 …
more

台湾を変えた日本人シリーズ:台湾全島に電気をともした日本人——松木幹一郎2018.02.04

台湾中部南投県に台湾最大の湖がある。北側が丸形で南側が月形をしていることから日月潭(にちげつたん)と呼ばれる。風光明媚(めいび)な標高748メートルの湖は、年間600万人が訪れる一大観光地としても有名である。また湖を一周する39キロメートルのサイクリングロードは、世界中のサイクリストの憧れの地となっている。しかし、この湖が83年前から発電用ダム湖として利用され続け、台湾最大の水力発電所に寄与し…
more

台湾を変えた日本人シリーズ:台湾先住民研究の先駆者・鳥居龍蔵2018.01.14

1990年に東京大学の総合研究資料館の標本室で段ボールに入った大量の写真乾板が偶然発見された。 現像された写真には100年前のアジア諸地域の姿が映っていた。この貴重な画像の多くが、徳島県出身の鳥居龍蔵によって撮影されたものだということが分かった。国からの補助金で画像を再生・保存・照合を目的とする「鳥居龍蔵博士撮影の乾板復活プロジェクト」が、13人の専門家によって立ち上げられた。 …
more

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • ニッポンドットコム・メディア塾 —ジャーナリストを志す皆さんに
  • シンポジウム報告