ユーロ圏の苦悩—ギリシャ危機は重大局面に

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単一通貨ユーロに代表される欧州経済通貨統合(EMU)は、60年以上前に始まった平和と繁栄の枠組みとしての欧州統合の象徴だ。だが、債務危機が叫ばれているギリシャとEU(欧州連合)・IMF(国際通貨基金)の金融支援交渉は暗礁に乗り上げ、ギリシャ一国の経済危機のみならずユーロ体制に対する信任さえ問われる事態になっている。

大荒れの金融市場

ギリシャ政府は6月29日、国内金融システムへの不安が急速に高まったことを受け、銀行の一時休業、ATMの引き出し額制限などを含む資本移動規制を導入した。ユーロ圏での資本移動規制は、債務危機に陥ったキプロスが2013年に実施して以来。デフォルト(債務不履行)懸念が強まっていることを背景に、ギリシャ国内では市民の預金引き出しが加速。28日までの1週間で、市中の銀行から合計40億ユーロの預金が流出したと推計されている。

ギリシャが対外債務の支払いに窮する中、同国の銀行システムを支えてきたのは欧州中央銀行(ECB)だ。ギリシャ中央銀行を通じ、「緊急流動性支援(emergency liquidity assistance)」という枠組みの下に、これまで890億ユーロを供給してきた。しかし、ギリシャを除くユーロ圏18カ国がギリシャ政府向け支援を30日で打ち切ることを決めため、ECBは28日の緊急理事会で、ギリシャ向け資金供給の増額見送りを決定した。ギリシャ政府はこの決定が出たことで、資本移動規制の導入を決断したようだ。 

ギリシャ危機の深刻化により、週明け29日の世界の金融市場は大荒れの様相に。ユーロは対円で前週末比4円ほど急落し、一時、1ユーロ133円台後半をつけた。株式市場では日経平均が600円弱も値を下げた。アジア、欧州の主要株式市場でも、前週末比、2~4%の大幅下落となった。日本政府・日銀は、ユーロ圏諸国による支援協議の行方を引き続き注視するとともに、市場安定に向けた先進7カ国(G7)当局と緊密に連携する構えだ。

窮余の国民投票実施

EU、IMFの債権団は、EU首脳会議(25、26日)での対ギリシャ金融支援交渉決着を視野に、最後の「切り札」ともいえる提案を行った。ギリシャが付加価値税(VAT)率の引き上げや法人課税強化、年金カットなど緊縮策を受け入れれば、6月末までの支援を5カ月間延長し、153億ユーロの支援を行う内容。だが、ギリシャは26日夜に交渉を一方的に打ち切った。 

1月の総選挙で「反緊縮政策」の旗を掲げて勝利した急進左派連合(SYRIZA)のチプラス首相は、窮余の策として、債権団の新支援策の是非を国民投票にかけることに決め、7月5日の投票実施を表明。予定通り国民投票が行われ、財政緊縮策が拒否されれば対立は決定的となり、ギリシャのユーロ圏離脱、EU脱退の可能性が現実味を帯びてくることになる。

逆にEU・IMF案への賛意が示されれば、チプラス首相の立場は微妙なものとなる。ただ、国民投票の実施にはパブロプロス大統領の承認が必要で、実際に実施できるかどうか不確定要素も残っている。

統合は危機の中で進展

「欧州統合の父」と呼ばれるジャン・モネ(1888-1979)は、「(統合)欧州は危機の中でのみ形成される」と、統合の多難な歩みを予言するかのような発言を残している。欧州統合は欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を設立する1951年のパリ条約調印でスタートしたが、その後、停滞期、高揚期、危機のサイクルを何度も繰り返してきた。危機は発展の原動力となり、一方、発展はその中に次の危機の萌芽を宿していた。

欧州統合の象徴である単一通貨ユーロの歴史もその例外ではない。ユーロ誕生につながった欧州通貨制度(EMS)は1992~93年に分裂の危機を迎えたが、各国通貨の変動幅を大幅に拡大することによって切り抜けた。

ユーロは最初の約10年間はおおむね安定していた。しかし、2008年のリーマン・ショックを契機とする欧州経済・金融危機は2年近く続き、その後はギリシャの財政・債務危機を発火点とする信用不安がユーロ圏周辺に広がり、この問題は2013年春まで続いた。

その間ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、イタリア、スペイン、キプロスの6か国が危機的状況に見舞われ、イタリアを除く5カ国は公的支援の対象となった。これはユーロ圏において財政の健全性を保っている北のドイツやオランダ、オーストリアなどと、ギリシャやスペインなど財政規律が緩い国々との二極化が進んだことを示している。後者のグル―プに対しては厳しい財政緊縮策が求められるようになった。

ユーロ圏に加盟するにはマーストリヒト条約(欧州連合条約)が定める財政赤字や累積債務などの基準を原則的に満たさなければならないが、EUの判断には政治的考慮も加えられてきた。その意味で通貨統合は優れて「政治的プロジェクト」である。

ギリシャが2001年にユーロ圏に参加するにあたり、同国が経済統計の数値を虚偽申告したのではないかとの疑惑が今も一部で指摘されている。そもそも、ギリシャを1981年に当時の欧州共同体(EC, EUの前身)に加盟させたのは経済的条件などからみて時期尚早だったのではないかとの議論もある。

しかし、地政学的に重要な位置を占め、北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるという政治・軍事的な事情も考慮されたという。そのギリシャに対し、ロシアや中国がインフラ投資やエネルギー供給などを通じて影響力を行使しようとする動きもあり、ウクライナ問題などでロシアと対立しているEUは警戒している。

2つの節目

ギリシャ危機は今後、7月中に2つの大きな節目を迎える。5日の国民投票と、20日の35億ユーロに上るECBへの債務返済期限だ。

国民投票で緊縮策が拒否された場合、ギリシャとユーロ圏との対立は決定的になり、ECBへの債務返済も到底望めなくなる。ECBがギリシャ向けの流動性支援を打ち切ることにでもなれば、ギリシャのユーロ圏離脱も現実味を帯びてくる。

6月30日に期限が到来する15億ユーロのIMF債務については、返済拒否となれば民間が保有するギリシャ国債などが、契約条件からデフォルトと判断される可能性が格段に高くなる。

ギリシャ経済危機の深刻化が世界経済、日本経済に及ぼす影響は計りがたい。2008年のリーマン・ショック級の衝撃が走り、世界経済は不況に突入するのか。それとも、影響は限定的にとどまるのか。世界の金融関係者が最も懸念しているのは、ギリシャがユーロ圏にとどまるにせよ、離脱が現実となるにせよ、ユーロ体制への信認が大きく損なわれることだ。

ユーロ圏はこれまでギリシャを「欧州の家族の一員」(ユンケル欧州委員長)として扱い、保護しようとしてきたが、今後は路線を転換せざるを得ないのか。ギリシャは、まさに“崖っぷち”に立っている。

文・村上 直久(編集部)

バナー写真:ギリシャ・クレタ島のイラクリオで、年金支払いを求めて銀行のドア越しに行員(左)と談判する年金生活者ら=2015年6月29日(ロイター/アフロ)

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