民進党新代表に蓮舫氏

政治・外交

野党第1党、民進党の代表選が15日投開票され、蓮舫代表代行(48)=参議院、当選3回=が新代表に選ばれた。任期は2019年9月まで。所属国会議員が100人を超える最大野党で女性がトップに就任するのは、旧社会党の故土井たか子氏(在任1986~91年)以来。低迷する党のイメージ刷新、立て直しに手腕が問われる。 “自民党1強”が続く政治状況の中、蓮舫氏は「批判ではなく私たちの提案力、国の在り方をもって戦い、(国民に)選択していただける党にしたい」と述べた。

「人への投資」強調

代表選には蓮舫氏と前原誠司元外相(54)、玉木雄一郎国対副委員長(47)の3人が立候補。国会議員と国政選挙立候補予定者、地方議員、党員・サポーターの投票の結果、蓮舫氏が全体ポイントの6割近くを獲得した。

自らが所属する野田佳彦元首相を中心とするグループのほか、岡田克也代表や枝野幸男幹事長ら党主流派が蓮舫氏への支援を表明。このほかリベラル系の一部や旧民社党系グループの一部、細野豪志元環境相のグループなど、党所属国会議員147人の半数近くの支持を集めた。

選挙期間中、蓮舫氏は教育費の拡充など「人への投資」を大幅に増やして経済成長につなげるべきだと訴え、“安倍政治”との違いを強調。財源については、行財政改革で捻出すると主張した。岡田代表が進めた民進、共産など4党の野党共闘については、枠組みを維持する方向。憲法改正について「議論には乗っていく」と述べる一方で、「憲法9条は絶対守る」と明言した。

また、党首として首相を目指す立場から、衆院議員にくら替えする「覚悟がある」とも語った。

日本外国特派員協会(東京)で共同記者会見 した、民進党の(左から)玉木雄一郎、蓮舫、前原誠司の各氏=2016年9月14日(撮影:大谷清英)

父は台湾人、タレントから政治家に転身

蓮舫氏は1967年11月28日、東京生まれ。自著『一番じゃなければダメですか?』(PHP研究所)によると、父親はバナナの輸入商社を経営していた台湾人、母親は日本人で、出生時の名前は謝蓮舫。「小学生時代、夏休みはずっと台湾で過ごした」という。

17歳の時に日本国籍を取得。青山学院大学法学部の学生時代、オーディションを受けて1988年度の「クラリオンガール」に選ばれた。その後、タレントとしてテレビのバラエティ番組などに出演。93年にテレビ朝日の報道番組「ステーションEYE」のメーンキャスターに抜てきされて以降、ジャーナリストとしての活動が多くなった。

仙石由人元官房長官と手塚仁雄元衆院議員にスカウトされ、2004年7月に参院選東京選挙区から出馬し初当選。2009年の政権交代で民主党の鳩山由紀夫内閣が発足すると、事業仕分けで農林水産省・文部科学省・防衛省担当の「仕分け人」となり、鋭い弁舌と毅然(きぜん)とした態度で注目を集めた。特にスーパーコンピューターの予算に「2位じゃだめなんですか」と切り込んだ発言がメディアで取り上げられ、大きな波紋を呼んだ。

10年から12年にかけて、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当、消費者及び食品安全担当)などを歴任。民主党代表代行を経て、2016年3月の民進党結党時に代表代行に就任した。プライベートでは1993年に結婚。双子の息子、娘の母でもある。現在の本名は村田蓮舫だが、タレント時代から知られている「蓮舫」を、政治家としても使用している。

日本の政治家としては、型破りな経歴。「子どもの時から、自分の意見をきちんと言うように育てられた」(自著)と振り返るように、強い個性と切れ味鋭い発言を武器にしてきた。

一方で、発言が物議を醸すことも多い。代表選への出馬表明後は、岡田克也代表を「つまらない男」と評して波紋を呼んだほか、13日にはこれまでの自身の発言と異なり、日本国籍と台湾籍とのいわゆる“二重国籍”が続いているのではと指摘された問題で、台湾籍が残っていたとして謝罪した。

高い知名度に党内の期待

野党第1党とはいっても、民進党の政党支持率は現在10%前後と低迷。 前身の民主党は2009年から12年まで政権を担ったが、その間に沖縄の普天間基地移設を巡る不手際や相次ぐ党内抗争など一連の混乱で、国民の失望を誘った。16年3月には維新の党の衆院議員21人らが合流し、民進党に衣替えしたが、党勢拡大の兆しは見えていない。

蓮舫氏には「知名度の高い女性リーダー」「世代交代をアピールできるトップ」として党内の期待がかかる。代表任期中の2018年12月までには、衆議院選挙が行われる。それまでに国民にどんなメッセージを発信していくのか、安倍晋三首相にどう対峙(たいじ)するのか、真価が問われる。

バナー写真:民進党の臨時党大会で新代表に決まり、岡田克也前代表(右)と握手する蓮舫氏=2016年9月15日、東京都港区

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