日経による英FT買収の波紋

経済・ビジネス

日本経済新聞が英国の有力経済紙、『フィナンシャル・タイムズ』(FT)買収を発表した。日本企業が海外メディアを傘下に収めるのは初めてのことだ。デジタル時代に生き残りをめざす欧米メディアの買収・再編の動きに、日本の大手メディアも参戦した格好だ。

日本メディアによる過去最大の買収額

ロンドンの金融街シティに127年間君臨してきた、サーモンピンク色の紙面が特徴のFT紙。この老舗経済紙を日経が買収するとのニュースは、国内外に大きな波紋を投げかけた。日本のメディア企業が海外の主要メディアを買収するのは初めてのこと。しかも買収額は1600億円と近年の世界のメディア買収劇の中でも高額である。ただ、この中にはFTグループのロンドン本社ビルやグループが50%の株式を保有する週刊誌『エコノミスト』は含まれていないという。

FTの買収合意発表は7月24日、日経の喜多恒雄会長、岡田直敏社長らが東京で行われた。日経は両社の記者、編集者をはじめとする人的資源や、報道機関として連携し合うことで、世界に向けて日経のデジタル戦略を強化できる。経済・ビジネス情報はデジタル時代に高い成長が見込める分野である。FTと日経の顧客基盤を活用すれば、さまざまなデジタル事業を展開することが可能というわけだ。

米WSJと並ぶ有力な経済紙

FTの2014年の売上高は5億1900万ドル(642億円)。紙面と電子版を合わせた発行部数は73万7000部で、うち7割の約50万人が電子版の購読者。新聞の発行部自体は日本の地方紙ほどだが、世界有数の経済メディアとしての影響力は大きい。そのブランド力は、米『ウォール・ストリート・ジャーナル』(WSJ)と並ぶ高い評価を得ている。FTはデジタル化の流れにもいち早く対応し、新聞事業のデジタル転換に成功した経済紙としても評価されている。
こうした評価とは別に、FTの親会社である英ピアソンの経営戦略の主眼は別のところにあった。複合メディア企業であるピアソンは、英語の能力試験や参考書の出版などを手がけるが、最近の業績は低迷し、2年間のリストラ計画を完了したばかり。その一環としてFTを売却し、収益の4分の3を占める教育事業に集中する選択をした。
ピアソンのジョン・ファロン最高経営責任者(CEO)は、売却理由について「メディアは変革期にあり、事業の焦点をジャーナリズムに置く組織に入ることがFTにとって必要」と説明したという。一連の買収手続きが年内に完了すれ、FTはピアソンとの58年間の歴史に幕を下ろすことになる。

国際化とデジタル対応が狙い

一方の日経はFTを傘下に迎え入れることで、世界的な経済メディアに飛躍する可能性がある。喜多会長は買収発表の席上、「FTという世界で最も栄えある報道機関をパートナーに迎えることを誇りに思う。われわれは報道の使命を共有しており、世界経済の発展に貢献していきたい」と語った。

日経の電子版読者43万人にFTのデジタル版読者50万人を加えると、オンライン有料読者合計は93万人となり、米『ニューヨークタイムズ』(NYT)の91万人を抜いて世界トップに躍り出る。新聞発行部数でもWSJ(146万部)の2倍強になる。また日経の海外事業面では、英文媒体『Nikkei Asian Review』(NAR)を軸に、アジアを中心とするグローバル情報の発信力を高められる。

岡田社長はFT買収の狙いを「紙とWebが一体化した競争の流れが世界的に進んでいく中で、FTと日経双方のデジタル対応能力を引き上げ、相乗効果を高めるのに役立つ」と説明した。さらに 「システムや顧客管理はFTが一歩先を行っている」と認めおり、新サービスの開発や広告にFTのノウハウを取り込む考えだ。

FTの編集権は独立維持、人員削減なし

FTの編集権や人員についは、喜多会長が「報道機関にとって最も重要な編集権の独立は維持する。欧米とアジアをカバーする真のグローバルメディアとして互いに成長していく」と明言。さらに「グローバル化を進めるために最も良いパートナーであり、FTの経営陣や編集のトップは続投し、人員も削減しない」(喜多氏)としている。

FTは欧米で高いブランド力を誇るのに対し、日経はアジアを中心とするグローバル報道に力を入れている。日経はアジアの主要取材対象企業を100社から300社に広げる方針で、そこから得た企業情報は読者ニーズの変化にきめ細かく対応でき、紙および有料Webなどのコンテンツ強化につながる。

独メディアに競り勝った理由は?

では、なぜFT売却先が急転直下、日本のメディアになったのか。国内外の報道によれば、買収に名乗りを上げ有力視されていたのはドイツの新聞大手、アクセル・シュプリンガー社だった。同社は約1年前からピアソンと話し合いを重ね、これまでにも欧州のデジタル企業を買収してきた実績がある。さらに、米ブルームバーグ通信や米トムソン・ロイターも買収競争に加わる中で、最後に手を挙げたのが日経だった。

岡田社長によると、日経とピアソンの交渉が始まったのは、わずか5週間前だった。争奪戦を制した決め手はやはりキャッシュだったのか。7月23日に両社の3トップが電話会談し、交渉の土壇場で日経がライバルを上回る買収額の現金払いを申し出たことで劣勢を覆したという。WSJ紙によると、財務に慎重なアクセル・シュプリンガー社は、日経の買収提示額では高すぎると判断したという。買収交渉は「日経による買収発表の直前まで続いた」とされるだけに、落胆したようだ。

FT経営陣の自由裁量を尊重?

日経とFTには経済紙としての類似性はあるが、日経は最終局面で買収価格を上乗せしたうえ、FTへの投資にも意欲を示したと伝えられる。また、ドイツ企業より日経のほうがFT経営陣の自由裁量に任せる部分が多い、と受け止められたこともライバルに差をつける結果となったとの見方もある。

英メディアは、日経とFTの相違点について、次のように指摘する。「2014年のFTの有料デジタル購読者は50万人を超え、全体の70%に達しているが、FTに比べるとデジタルの有料購読者40万人の日経は、紙への依存度がまだ高い」(英『デイリーテレグラフ』紙)。また、『ガーディアン』紙は社説で、「購読者が高齢化する日本では、紙の新聞の衰退は必至とされ、世界有数の質を誇り、収益も上げるFTという国際的なデジタルブランドを日経が狙ったことは理解できる」と分析している。

世界の主要メディアで続く買収劇

近年の世界のメディア業界では、紙媒体で衰退トレンドが続き、新聞社買収例も多い。その中にはWSJ紙を発行する米ダウ・ジョーンズ社やロイター通信社、フランスの高級紙『ルモンド』、さらにはアマゾンの創業者に身売りした米『ワシントン・ポスト』などの例があり、今後も業界再編の動きが続くとみられる。

近年の世界の主要メディア買収例

時期メディア名買収した企業など買収額
2007年 ダウ・ジョーンズ社(米国)=ウォールストリート・ジャーナル紙を発行 メディア複合企業の米ニューズ社 約6600億円
2007年 トリビューン社(米国)=ロサンゼルス・タイムズを発行 個人投資家 約9800億円
2008年 ロイター通信社(英国) カナダの金融情報大手トムソン 約2兆1000億円
2010年 ルモンド(フランス) 投資家グループ 約120億円
2011年 ハフィントン・ポスト(米国)=ニュースサイト ネットサービス大手のAOL 約250億円
2013年 ボストン・グローブ(米国)=ニューヨーク・タイムズ社傘下の地方紙 ボストン・レッドソックスのオーナー 約69億円
2013年 ワシントン・ポスト(米国) アマゾンの創業者 約246億円
2015年 フィナンシャル・タイムズ(英国) 日本経済新聞社 約1600億円

*買収額は当時の為替レートによる換算額

そこに共通しているのは、デジタル時代を迎えインターネット媒体の興隆で伝統メディアで発行部数の低迷、広告収入の減少など業績が悪化していることだ。その一方で、ネットを通じたニュースは一般読者向けだけでなく、企業向けの有料経済情報の重要性も増している。新興メディアが台頭する中で、有力メディアは紙とWebによるメディアミックスの事業戦略を強めている。

日経の経営に重荷となるのか

では、今回の日経によるFT買収額はやはり破格なのか。FTの2014年の売上高は3億3400万ポンド(約645億円)で、営業利益は2400万ポンド(約46億円)。昨年の売上高の2.5倍でFTの企業価値を評価したという。これに対し、日経は1600億円の買収費用を手元資金と金融機関からの借り入れで賄うという。日経の2014年12月期連結決算によると、純資産は約3147億円。一部は借り入れに頼るというが、やはり高額な投資である。

日経とFTは以前から記事の相互利用などで関係が深いが、買収により人材の交流やノウハウの交換が可能になり、「FTの持つ資産価値と、両社でつくる新しい価値を考えると見合う金額」(岡田社長)としている。日経は国際化・デジタル化への大勝負に出たことになるが、日経OBの1人は新たな経営の重荷になる可能性を次のように語る。

「日経の連結売上高が約3000億円なのに、買収費用は1600億円と巨額。日経の昨年12月決算では現金・預金は1000億円ほどだが、銀行からの借り入れについては今後、元金・利子の返済が経営の重荷になってくる可能性もある」

日英メディアで企業風土の違い

喜多会長は「両社には共通点が多く、報道姿勢も同じ」と語るが、企業風土の違いを心配する声も聞かれる。国内の経済ニュースで他社を圧倒してきた日経だが、海外メディアからは「日経には特権的アクセスが与えられるような深いつながりが企業や政府との間にある」(『テレグラフ』紙)との指摘もある。NYTも「粉飾会計など企業の不正は、通常、外国メディアなどが先に書いて後追いする場合が多い」と評した。

2011年には日本のオリンパス粉飾決算問題を最初に報じたのがFTで日経など国内各紙が後塵を拝したことで、こうした指摘を受ける背景となっている。FTの元編集者は『フォーブス』誌への寄稿の中で「重要な問題はFTがどの国のために報じるのかということで、否応なしにFTは日本の権力のもう一つの機関となる運命にあるようだ」と辛口の論評をしている。「日本株式会社の広報紙」と揶揄する声が国内にもあっただけに、日本と欧米メディアの文化の違いを認識する必要もありそうだ。

グローバル展開で自信見せる

今回の日経・FTの連合軍は、実際のところどこまでメディア業界の地殻変動につながるのだろうか。日経がFTの支援を得ながらデジタル中心にグローバル展開を強化すれば、さらに先進的メディアに変貌していく可能性がある。岡田社長は「日経・FTはコンテンツ面でも規模的にも、世界最大のメディアになる」と、グローバル競争に勝ち抜く自信を示した。

FTは中東やアフリカにも強く、英字紙ならではの強みでオバマ米大統領やプーチン・ロシア大統領ら世界の首脳も目を通しているといわれる。それゆえに、日経のFT買収は「高い買い物ではない」との見方もある。それはともかく、世界の経済メディア・ビジネスが日経・FT連合と、米WSJを傘下に持つダウ・ジョーンズ、米ブルームバーグ、トムソン・ロイターなどに集約されていくのかどうか注視したい。

両社のプロフィール

〈フィナンシャル・タイムズ〉
1888年創刊。本社・ロンドン。経済・ビジネス専門メディアとして世界的に影響力を持つ。紙面と電子版を合わせた発行部数は73万7000部で、うち7割の約50万人が電子版の購読者。紙面は欧州だけでなく米国やアジア、日本でも発行している。2014年のグループ売上高は約644億円。

〈日本経済新聞〉
1876年、三井物産系の「中外物価新報」として創刊。本社・東京。複数の経済紙の買収を経て、1946に「日本経済新聞」に改称。販売部数は朝刊が273万部、夕刊138万部(2014年12月)。2010年に電子版を創刊し、有料会員は約43万人。2014年12月期の売上高は3006億円。

カバー写真=買収を報じるフィナンシャル・タイムズ、日本経済新聞など各紙(提供・田中庸介/アフロ)

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