若いメディア志望者が「メディア塾」から学んだこと

社会

若いメディア志望者のための「メディア塾」(公益財団法人「ニッポンドットコム」主催)は、3か月間に6回の講座を行い、2018年12月14日に終了。受講生からは「ネットを中心としたニューメディアは、ネット時代前の先輩たちが築き上げてきたノウハウをもっと学び、活用する必要があることを、今回のメディア塾は教えてくれた」など、今日のメディア界に参考になる声が寄せられた。

先輩記者の取材姿勢を学べ

新聞社、テレビ、通信社、出版社出身の取材体験が豊富な講師による連続講座を受けた若者たちは何を学んだのか。受講生の意見の一部を紹介する。

(1)ドイツ・ミュンヘン在住、33歳、男性。現地の日系会社に勤務(両親の仕事の関係で10歳から海外生活。この塾のため、ドイツ―日本を往復し皆勤)

ジャーナリズムは「書くこと」から始まる。これはすべての講義に共通していたことだ。その書く作業が各媒体でどのように行われるのか。放送局、新聞社、通信社、週刊誌など今日でいえばオールドメディアで活躍してこられた講師の方々が、自分たちの経験をもとにそれぞれの媒体でどのように報道や取材が行われ、どのような機能を果たしているかを語ってくれた。

メディアの歴史はまだ浅い。文字が発明されたのはおよそ5000年前といわれ、活版印刷術が発明されたのは600年前である。新聞の誕生はまだ約200年前のことだ。20世紀末からインターネットが普及したことを受け、メディアのあり方はいま再び大きく変わろうとしている。メディアの歴史の中で最も激的な変化だと言っても過言ではないはずだ。

今回のメディア塾は、いわゆるネット時代が到来する前に活躍されたジャーナリストが、ネット世代に向けて培ってきたノウハウを共有する場とも受け取れる。既存メディアの影響力が相対的に弱まる中、それらが社会的に担ってきた社会的役割を我々若い世代はこれからどのようにして引き継いでいけばよいのか。デマやフェイクニュースが問題視される昨今だが、それらの現象は既存メディアの衰退をニューメディアが埋められていないことを示しているのかもしれない。

手嶋龍一さんは第1回講義で、近年のドキュメンタリー映画作品で用いられるシンボリズムや表現方法はとても想像力に乏しいと指摘している。ネット時代で情報発信が大衆化したからといって、必ずしも表現力が豊かになるとは限らないと。これは書くことにもあてはまる。谷定文さんは第2回講義で、限られた時間で正確に書くことがどれだけ難しいかを教えてくれた。取材中に断片的な情報しか手に入らない場面はしばしばあるが、裏の取れていない内容を報道することは許されない。速報性と正確性と報道倫理を両立させることをジャーナリストは努めなければならない。

今日のニューメディアのあり方に目を向けると、速報性のみが重視されており、正確性と報道倫理が怠られているように映ることは否定できないだろう。

第3回講義で野嶋剛さんは、経験者として戦場ジャーナリストの重要性を説きつつも、戦場ジャーナリストをむやみに美化することには疑問を投げかける。報道とは特定の出来事を伝えることであるが、それは大半の場合、他人の不幸であり、ジャーナリストはそれを自覚するべきであると。小俣一平さんの第4回講義では、取材を行う上で人脈や人付き合いがどれほど大切かを伝えてくれた。事件が発生した際、正しい取材源から的確な情報を聞き出せるかどうかがスクープ記事を書けるかどうかを左右する。それには人望の厚さがものをいうのだ。

第5回講義では、斉藤勝久さんが、記事を完成させるにあたってどのような取材活動が行われたのかを語ってくれた。特ダネをつかんでも、報道するには裏を取らなければならない。それには慎重さと巧みな調査が求められる。いつでも冷静に物事を捉えることが優れた報道につながるのだ。四方田隆さんの行った第6回講義では、週刊誌の報道が新聞社や通信社とどのように違うかを教えてくれた。新聞社では伝えきれない視点や評論も含めて週刊誌では報道する。それは事実のみをそのまま伝える作業ではなく、ナマの情報に切り口を入れてニュースに一定の枠組みを与えてくれるのだ。

マスメディアで築き上げられてきたこれらのノウハウはネット時代にも活用する必要があるのは明白である。現時点では、それがどのような形で現実的に可能なのかが、いまだ不透明である。

(2)千葉県、33歳、女性。フリーランスライター

簡単に情報が手に入るネット時代において、ニュースも速報性が一層求められている昨今。しばしば取材先の会見場でもパソコンを打つ音ばかりが目立ち、記者の質問に関しても的を射ていないとの指摘をSNS上でも見かけるようになりました。

そうした時代にあって、百戦錬磨の卓越したジャーナリストであるメディア塾の講師の方々は、「楽して情報を手に入れよう」とする傾向に警鐘を鳴らしているように感じました。情報に対する慎重で真摯な向き合い方、知識を吸収するためのたゆまぬ努力、ときに泥臭く取材対象者と人間関係を築く姿勢、一つひとつのエピソードからメディアの世界で生き抜くヒントをいただくことができました。

私はライターとして6年間、ほぼ毎日のように取材に出向いており、書くことよりも人の話を聞くことが好きでこの仕事を選んだようなものですが、メディアで生きていく基本の心得をいまさらながら学んだような気持ちです。それぞれの講師の皆さんの後輩や部下だったら、講義でお話くださったような内容をもとに、厳しく鍛えられたのかもしれないとうらやましさも感じました。フリーランスなので正直どこまで取り入れられるかなと思うところもありましたが、取材対象者との向き合い方など、すぐに活かせるエッセンスもたくさんいただけました。

懇親会の折、同じく現在フリーランスで活動されている講師が、「身体が動く限り仕事をしていたい」と微笑みながら話されていたのを目にしました。ジャーナリストとはやはり職業の枠を超え、人生を賭して充分な、やりがいのある仕事なのだなと背中を押される思いでした。

書く作業に誠実であれ

(3)東京都、22歳、男性。慶応大学3年

メディア塾に参加して、メディアを取り巻く状況が大きく変化してきたことを実感した。かつては大手新聞社やテレビ局などの大規模な組織に所属しなければ、広く情報を発信することは事実上不可能だった。しかし、インターネットの普及によって個人が情報を送り出す側に回ることができるようになった。現在では、インターネットが存在しない時代を想像することすら難しいが、かつてのメディアの形態を知ることで、いかに激しい技術的な変動に見舞われてきたのか改めて考えることができた。

情報通信技術の発達はジャーナリストの働き方をも変えたようだ。携帯電話や電子メールのない時代にあっては、記者は常に電話機の在りかを頭に入れていた、というエピソードは今の時代では信じられない。また、国際環境の変化も報道の在り方に影響を与えていることを痛感した。冷戦の時代が終わり、新たな「テロとの戦い」の時代に移行するなかで、戦場ジャーナリストは“公共財”であるという従来の共通認識が失われ、かつてのような戦争報道の形式が成り立たなくなった、という指摘は新鮮なものだった。

しかし、このようにジャーナリストのおかれた環境が大きく変化しても、講師の方々が重視していることは変わっていないように感じた。何よりも印象に残っているのは、「書くこと」と「人に接すること」を非常に重視している姿勢だった。

最終的な完成品が新聞記事であれラジオの音声であれ、読者に対して書き手の意図が伝わり印象に残る、明快かつ美しい文章を書くことに、これほど注力せねばならないとは知らなかった。かくも「書く」という作業に対して誠実であらねばならないのかと驚いた。

また、取材を通じて多くの人々と人間的な信頼関係を築き、そこから得る刺激を大切にしていることに感銘を受けた。いかにメディアを取り巻く環境が変化しても、雑多な情報の山の中から真に価値をもつ記事を作るためには、様々な人間と交流していくことが不可欠であることを学んだ。

メディア塾を通して、ジャーナリズムの世界におけるプロフェッショナルの方々から、同じ空間で直接お話を伺う機会があったことを幸運に思う。

検察特捜事件をテーマに講義する小俣一平講師(第4回講座=2018年11月9日)

(4)東京都、20歳、女性。東洋大学3年

受講した感想を一言でいうと、贅沢すぎる人たちに囲まれた時間でした。

「人に伝える、伝わるにはどうしたら良いのだろう」というシンプルな興味から参加を決めたメディア塾。講義にはメディアの第一線で活躍されてきた方々が毎回登壇し、受講生の方々の熱量も凄まじい。そんな環境にいさせてもらえた事が、何よりも自分の財産になったと感じています。講義をされる先生方は、実際に現場でご活躍されていたわけで、その話の厚み・臨場感に毎回引き込まれていき、好奇心をかき立てられました。

普段、当たり前のように接しているメディアの新しい世界をのぞいていくうちに、メディアに対するとらえ方が広がり、どんどん楽しくなり、もっと知りたいと心から思うようになりました。これからは教えていただいたことをアウトプットとして実践していきながら、より学びを深めていきます。そして、私も皆様の様にプライドを持って仕事ができる、かっこいい大人になれるよう今から精進してまいります。

(5)京都市、33歳、女性。

周囲の風景に圧倒されながら、なんとかすべて受講することができました。「ジャーナリズムってなんだ?」と自問自答して、頭の中がぐちゃぐちゃになる毎日を、12月になっても繰り返していました。「ジャーナリズム」の「型」を見つけようと必死だったのかもしれません。

6回の講義を終えてはじめて、先生方にはそれぞれ個性があり、手法も文体もキャリアもさまざまで、決まった「型」などないのかもしれないと思うことができました。メディア塾に参加していろいろな経験をさせていただきましたが、私にとって最大の収穫はそうやって自縄自縛から、少しだけ逃れられたことだと思います。

経験豊富な記者から学ぶのが最善

(6)フランス人、27歳(パリの大学で日本語を学ぶ)男性。都内の旅行会社勤務

私にとって、セミナーは経験豊富なジャーナリストから多くのことを学び、知識を得る良い機会で、とてもエキサイティングでした。ジャーナリズムのたくさんのスタイル、取材方法を見つけることができたと思います。私は、ジャーナリスト志望者が専門家から直接、経験について学ぶことは非常に重要だと思いました。

まず、手嶋さんのセミナーでは、グアンタナモ米海軍収容基地の施設のドキュメンタリー作成に関する興味深い見解が示されました。グアンタナモは一般の人々にはあまり知られておらず、少しタブーなのですが、多くのことを学ぶことができました。難しいテーマについてドキュメンタリーを作るには、客観的な取材姿勢が必要ということもわかりました。2回目の谷講師のセミナーは通信社の機能についてだった。通信技術の進化が現代世界におけるジャーナリズムの形成にどのように影響を与えたかを説明してくれました。

野嶋さんのセミナーでは、戦争地での記者たちの取材方法について説明されました。ジャーナリストが戦争の場でどのように生活し、働いているかについて、非常に印象的な話でした。小俣さんのセミナーでは、ジャーナリストと検察官との付き合い方について、興味深い逸話を聞かせていただいた。

斉藤さんのセミナーは事実を刻む方法に関するものでした。斉藤さんのジャーナリストとしてのバックグラウンド、特に正しい方法で事実を伝える方法について聞いたことは、私にとって良いことでした。なぜなら、インターネットの時代には事実が刻まれておらず、新聞ジャーナリストは依然として取材に関する意見を表明できるからです。四方田さんのセミナーでは、雑誌ジャーナリズムと、インターネットや新聞ジャーナリズムの違いや、文章の書き方などについて、新世代の記者たちが役立つ詳細な情報を提供してくれました。

私は、経験豊富なジャーナリストから直接の指導を受けることが、ジャーナリズムについて学ぶ最善の方法の一つであると考えているので、今後、より多くのセミナーに参加することを楽しみにしています。

(7)東京都、22歳、女性。聖心女子大学4年

メディア塾へは、就職内定先でのスタートアップのためにと思い参加を決めました。メディア業界の最前線で活躍していらした方々の貴重なお話は、決して難しいものではありませんでした。タイムリーな話題を通して、全ての仕事・物事に共通する本質的なもので、人との向き合い方や仕事に対する姿勢などを学ぶことができたと思います。

また、様々な経歴の方々からお話を伺うことで、視野を広げることができ、己の無知さや情報リテラシーの低さを痛感しました。メディア塾で学んだことを活かして、就職後は情報を扱い発信していく身として、信頼される、丁寧に物事に向き合う人となれるよう精進していきたい。

今回のメディア塾は下記のテーマで各分野の講師が、10数人の受講者や聴講者とメディア、ジャーナリズムについて、毎回2時間余り熱心に語り合った。受講者が参加しやすいよう、受講料は無料だった。

  • 第1回「映像ドキュメンタリー」 手嶋龍一・元NHKワシントン支局長
  • 第2回「通信社の機能―経済取材を中心に」 谷定文・元時事通信編集局長
  • 第3回「戦争取材」 野嶋剛・元朝日新聞台北支局長、イラク戦争従軍記者
  • 第4回「検察特捜事件」 小俣一平・元NHK社会部検察担当
  • 第5回「事実を刻む―昭和最後の日」 斉藤勝久・元読売新聞社会部皇室担当
  • 第6回「雑誌ジャーナリズム」 四方田隆・元週刊新潮編集部副部長

(文責・メディア塾事務局、ジャーナリスト 斉藤勝久)

バナー写真:斉藤勝久講師による第5回講座(2018年11月30日、東京・虎ノ門のニッポンドットコムで)

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