市民の抗議デモとグローバリゼーション

政治・外交

世界各地で、市民運動の火の手があがっている。中東のジャスミン革命に始まる「民主化」の波。中国における抗議デモ。ロシアの選挙にからんだ市民の抗議運動。アメリカはウォールストリートでの決起集会。

こうした市民運動の背景はさまざまだ。権威主義的政治手法に対する反発もあれば、政府や党の幹部の腐敗を糾弾するものもある。一方、グローバリゼーションの進展と並行して起こっている社会的格差の増大に対して、その是正をもとめる動きもある。自由主義経済原理の行き過ぎを非難する声もある。また、民主化の発展が、宗教の政治への介入を広げるという逆説的現象が生じているところもある。さらには、欧州のように、伝統的に階級意識が強いところでは、格差是正の問題が反体制運動と結び付いて、極右と極左の両極端の運動を惹起しているところもある。

“グローバリゼーションへの反発”は表面的考察

これらもろもろの動きの、いわば共通の引き金となっているものは、多くの国での経済成長の鈍化と格差の増大による市民の不満の鬱積であろう。そして、格差そのものもさることながら、社会的流動性が多くの国で減少している兆候があり、それが、教育機会の不平等と結び付いているところに問題がある。

こうした問題はなぜ生じたのか、あるいは、なぜ深刻になってきたのか。

言うまでもなく、その基本的原因の一つは、グローバリゼーションの進展であろう。市場原理の普及と民主主義の広がりは、経済的にも、政治的にも自由競争の強化につながり、競争に敗退したものの不満が鬱積してきたことは否定できない。しかし、現在の世界的現象を、グローバリゼーションで拡大した格差とそれに対する不満の動きととらえるのは、いささか表面的考察ではないかと考えられる。

もともと、グローバリゼーションは、世界的規模での同化と統合への過程であるが、この過程はその裏側として、排除と疎外の過程を伴わざるを得ない。市場原理にそぐわないものや民主化に適合しないものを、排除ないし捨てさらなければ同化と統合はあり得ない。市場原理に反するものは、市場で敗退するというよりも、市場から排除される場合も多い。失業者の中には、雇用市場での競争に負けて失業した者もいようが、それ以上に、いろいろな理由(たとえば低学歴や外国籍)によって、市場から排除されている者も少なくないはずである。このことは、政治的にも言えることである。たとえば、民主化が世俗化を伴わなければならないとされているところでは、宗教と政治とが密接に結び付いた運動は、「民主的」政治のプロセスから事実上排除されがちである。

「排除と疎外」の根本にメスを入れる

このように見てくると、現在世界を覆っている市民運動のかなりの部分は、グローバリゼーションへの反発とその歪みの是正運動というよりも、もともとグローバリゼーションがかかえている問題、すなわちグローバリゼーションは本来、相互依存の深化と同化の進展であると同時に、排除と疎外の過程でもあることにその根本的原因があると言えるのではなかろうか。

そうとすれば、グローバリゼーションに反対したり、競争の敗者を救済するという発想ではなく、そもそもグローバリゼーションの持つ疎外と排除のメカニズムそのものにメスを入れることが大切ではなかろうか。(2012年2月9日 記)

民主主義