「鉄のカーテン」の向こうの日本料理

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旧東ドイツで体験できた唯一の日本の味

自分の店でのロルフ・アンシュッツ。(Gabi Roeszler氏提供)

ドイツ民主共和国、すなわち社会主義政権下の旧東ドイツ、そこにあった人口3万人ほどの田舎町を想像していただきたい。首都ベルリンから南へ300キロ以上離れた山岳地帯に位置し、世界の情勢や国際的な物品の流れなどからほとんど隔絶され、しかもあらゆる締め付けや統制が厳しかった時代のそんな町に、日本食のレストランを開くというのはかなり奇想天外な発想のように思える。しかし、この奇跡のような出来事が、1970年に実際に起きたのである。それは、その町に住むロルフ・アンシュッツという人物による、創意あふれるひたむきな努力が生んだ奇跡だった。

アンシュッツは料理人の家系出身で、当時、現在のテューリンゲン自由州に含まれるズールという小さな町でレストランを経営していた。彼は自らの夢をかなえるため、自分の店を「日本旅館風レストラン」というものに改造したのである。完成した店は、その後1981年に至るまで、東ドイツで唯一の日本料理店であった。この物語は最近ドイツで映画化され、2012年10月に封切られて大きな反響を呼んだのだが、この映画の最大の意義は、何よりも、この信じられないようなサクセスストーリーを広く世に知らしめたことであった。

情熱あふれる工夫に富んだ日本体験

映画のタイトルは『Sushi in Suhl』。いわゆる「鉄のカーテン」の内側に住んでいたアンシュッツは、それまで当然、日本を訪れたことも、ましてや日本料理を見たこともなかったのである。経験がない部分は情熱で埋め合わせるしかないと、彼は手に入るかぎりの日本と日本料理に関する情報を手当たりしだいに読み漁った。社会主義の統制経済の下では食材も極端に乏しく、そこで日本料理を提供しようというのは大きな賭けだったはずだが、アンシュッツはあらゆる種類の代用品を工夫していったのである。

店の前で。ロルフ・アンシュッツとスタッフ。(Harry Krieg氏提供)

醤油の代わりにはウースターソースを使い、海苔がないのでほうれん草の葉を使って巻き寿司を巻くなどした。やがて店の経営が軌道に乗り、日本人を含めた外国人観光客にとっても、アンシュッツの店が重要な観光スポットであると当局が認めた後は、西ドイツのデュッセルドルフから本物の日本食材を輸入することが許可されたのである。デュッセルドルフは当時、好調な日本経済の欧州拠点として、1万人以上の日本人駐在員とその家族が住んでいた。

アンシュッツは、まれに興味を持って店を訪れる日本人客から助言を受け、実際に助けてもらいながら、自分の日本料理の腕をひたすら磨き続けた。しかしやがて、店をさらに発展させ、自己流料理をもっと客に喜んでもらうためには、日本を丸ごと味わってもらうことが不可欠だ、そうアンシュッツは考えたのである。そこで彼は、日本の着物を着た女性による接客というアイディアを思いつき、アルバイトに雇い入れた地元の若い女性達を「日本の女性」へと教育していった。着物はほとんどが手作りであったが、一度など、歌劇『蝶々夫人』の直近の公演で使われた衣装を譲り受け利用した。アンシュッツが、店で着物を着てサービスする女性達は、日本風のウエイトレス兼エンターテイナーであると懸命に売り込んだため、やがて人々は彼女達を「パートタイム芸者」と呼ぶようになる。また、施設内に大きな日本式の風呂を作り、客はみなカクテルを手に風呂を楽しみ、その後、浴衣を着て食卓につき、主人のアンシュッツはそこで箸の使い方を説明し、日本流エチケットの基本を教えたのである。伝統的な日本旅館をまねたというこの「おもてなし」スタイルは、東ドイツの人々を完全に魅了した。

あの当時、日本へ行きその本当の姿を知ることなど夢のまた夢であった東ドイツの人々は、そうした異国情緒を味わいたいと心から願っていたからだ。彼の店は非常な人気を博し、1カ月の平均的家賃よりも高い、ひとり100ドイツマルク(東)という値段にもかかわらず、予約は2年先までいっぱいとなり、客は引きも切らなかった。テューリンゲン版日本旅館の「おもてなし」を4~5時間たっぷりと味わった人々は、後々までその思い出を楽しそうに語るのであった。やがて年に一度、首都ベルリンから日本大使も店を訪れるようになり、そのことも、当局がこの個性的・個人的な事業を大目に見る十分な理由となったのだろう。しかし、1980年代後半、独立心の強かったアンシュッツはしだいに圧力を受けるようになり、ついに店の経営から身を引くこととなる。

共産主義的過去に対する映画のかかわり方

地元の「パートタイム芸者」から箸の使い方を教わる客たち。(Christel Anschuetz氏提供)

完璧主義ともいえるアンシュッツの努力をドラマ化したこの映画は、娯楽的な実話物語として多くの人々に歓迎された。時として荒唐無稽ではあるが、大いに笑いを誘ってくれると同時に、物語は過去の現実にも即しており、全てが十分に納得できると評価されたのである。たしかにこの映画は、全体主義的抑圧の下で自分のビジョンを持ったひとりの男が、あらゆる苦難を乗り越えて夢の実現に向かう姿を生き生きと描写している。その一方で、旧体制のかたちが露(あら)わになる映画の場面からは、昔を回顧し懐かしむような空気が感じられるとの批判もあった。それは例えば、当時国民に対して厳しく冷酷な態度を示していた権力側の人物が、日本料理に初挑戦する場面では、罪の無いひょうきんな人物として描かれている点などである。

映画を見た者が旧西ドイツ出身か東ドイツ出身かで、当然のように受け止め方が違ってくるであろうし、過去における個人的な体験にも大きく左右されるため、社会主義政権下の生活を扱った映画には、どうしても異論が出てくるようだ。映画というジャンルが過去と誠実に向き合うためには、一体どうすればいいのだろう? それは単に過去を回顧するための「古着」なのか、それとも、当時の社会生活の様態をまじめに正確に伝えるべきものなのか? どちらが正しいにせよ、『Sushi in Suhl』という作品は、特異でいささか珍妙な、同時に感動的な実話を下敷きとした、大いに楽しめる娯楽映画であると言えるだろう。

アンシュッツが始めた日本料理店は、東西ドイツの統一後に閉店した。のちにテューリンゲン州の日独協会会長となったアンシュッツは、日本政府から勲章を授与され、2008年にこの世を去った。

『Sushi in Suhl』の予告篇はhttp://www.sushi-in-suhl.de/

(2013年1月16日、原文英語掲載)

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