日本の教育の価値を考える “Think different”

社会

「この国のあらゆる社会階級は比較的平等である。金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。本物の平等精神、我々はみんな同じ人間だと心そこから信じる心が社会の隅々まで浸透している」(藤原正彦『日本人の誇り』[文春新書、2011年])

これは著名な日本研究者として知られているイギリス人学者バジル・チェンバレン先生(1850~1935)が残した言葉である。そして、日本は、今もその平等精神を実感できる社会であり続けている。しかし、日本における“平等の精神”の元となっているのは何なのだろうか。

日本における「平等」と「教育」

私は福沢諭吉のある言葉を思い出した。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」

時は明治時代。ベストセラーとなった『学問のすすめ』という作品で、福沢諭吉が記した言葉である。

日本社会の平等精神、そしてその元となるものは、どうやら「学問ハ身ヲ立テルノ財本だ」という哲学だったのではなかろうか。140年ほど前に書かれたこの作品で、国の未来を拓くのは、経済発展でも、資源開発でもなく、「知識」とその担い手の育成であると、福沢はすでに悟っていたのである。

福沢の深い言葉を読み返しながら、私は今のアラブ世界の混沌とした状況を考えずにはいられなかった。

アラブ諸国に日本の「知」を求める競争

気がつけば、日本に来てから今年で18年目になる。「早いもので」と言いたいところだが、早く感じるほどの月日ではなく、自分にとってまさしく波瀾万丈の18年だったのである。想像を遥かに超える事態に翻弄された最初の十年は苦労しながらも尊いものだった。その後も、様々な巡り合わせがあり、私はここにいる。

そんな私のところに、今勤めている大学からある依頼が舞い込んだ。アラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビで開催される「ナジャーハ」という留学&高等教育フェア(主催はUAE政府)で、東海大学や日本の教育を紹介してほしいというのである。

かつて、人類の長い歴史のなかで「知」の発祥の地として名高かったアラブ世界の国々は、かつての栄光を取り戻そうと躍起になっている。探し求めているのは、これまでのアラブ世界とは違い、欧米型の成長や教育モデルとも異なる新しいモデルだ。そして、多くのアラブ諸国がたどり着いたのが、日本型の成長や教育モデルである。

そう、今では多くのアラブ諸国が日本の「知」を手に入れるレースをスタートしている。その結果、アラブ世界で急激に日本熱が高まっている。特に、アラブ世界の熱い眼差しの先にあるのは日本の科学技術であり、その習得の過程である。

日本が世界に届けたい教育とは何か?

アラブからのラブコールに対して日本もまんざらではないようだ。国際化の波に乗って、日本政府や高等教育の関係機関が日本の「知」を世界に届けようと必死になっているのも事実である。そして、「2017年までに留学生30万人を増やす」という壮大な計画を打ち出し、世界中から多くの優れた留学生を受け入れようとしている。

しかし、日本はどんな教育を売ることができるのだろうか。つまり、留学してまでの価値は何かということである。

アブダビで開催されたフェアには日本から10を超える大学が集まり、それぞれの特色や教育モデルを力強くアピールした。しかし、訪れた人たちの反応を見ると「今ひとつ」というような印象が強く見えた。「地理的距離がある」「言語が難しそう」など理由はいろいろあるにせよ、欧米諸国ではなく「遠い日本」にまで留学しようという気持ちにさせるほどの価値は見えなかったのだ。

日本自身が世界に届けたい教育にはどんな価値があるのかについて改めて考える必要があると思う。

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