拝啓アギーレJAPAN殿—日本代表進撃の要は「北斎ブルー」の活用にあり

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迷路から抜け出せない日本代表チーム

2010年の南アフリカ・ワールドカップでは、日本は守備的に戦ってベスト16に残ったものの、攻撃的なサッカーを志向した2014年のブラジル大会では、1分2敗とグループリーグで敗退した。

2014年10月、会見に臨むハビエル・アギーレ監督(写真提供=時事)

イタリア人のアルベルト・ザッケローニの後任として新たに日本代表監督に就任したのは、メキシコ人のハビエル・アギーレ監督だった。新監督を迎えたサッカー日本代表チームは、2014年9月5日、9日の試合で2018年のロシア大会に向けて再スタートを切ったところだ。しかし、いま、日本サッカーは進むべき道を見失っているように思える。

「テクニックがあり、規律もよく守るが、スピードと高さとパワーが決定的に不足している日本は、どのような戦術で世界と戦っていけばいいのか?」—日本代表チームは、その問いに答えを出せていない。

監督は重要だが、監督を替えれば勝てるというものでもない。日本代表チームの欠点は、はっきりしている。フォワード、センターバック、ゴールキーパーに人材が乏しい。

チームへの忠誠心、長所・短所の両面はらむ

日本の長所は集団への忠誠心である。自己中心的な選手が少なく、与えられた役割を全うできる。しかし、それは短所にもなり得る。瞬間的に自己判断して動くことができないからだ。

打ち合わせとは異なるポジションに走り込むフォワードや、自分のマークを捨ててでもシュートを防ぎに行くセンターバック、ゴールをガラ空きにしてもディフェンスラインの背後のスペースを1人で守り切るゴールキーパーがいないのである。

日本サッカーの欠点は、日本人全体の欠点でもある。日本には「出る杭は打たれる」という諺がある。他人と異なる振る舞いを繰り返せば、周囲から非難され、排除される。だから周囲をよく見て、周囲に合わせて行動しなさい、という意味だ。

日本は細長い島国であり、しかも国土の70%は森林である。海に守られているために大陸からの侵略を受けることなく、狭い島国で平和に農耕を営んできた日本人は、強い個性を持つ人間を排除し、周囲の人間と調和できる人間を好む傾向がある。強烈な自我を持たない日本人が、ゴール前という戦場で弱さを露呈するのは当然なのだ。アギーレ監督は、敵と戦う以前に日本人の本質と向き合わなくてはならない。

リーダー不足に苦しむ日本サッカー協会

代表チーム以上に大きな問題を抱えているのは、日本サッカー協会である。蛮勇を奮ってJリーグを創設した川淵三郎以後、日本サッカーに真のリーダーは存在しない。「日本サッカーはこうあるべきだ」という理想と信念を持ち、実行に移す男がいなくなってしまったのである。

4年前、強化担当の技術委員長としてザッケローニ監督を選んだ原博実は、ブラジルワールドカップ惨敗の責任を何ひとつ取らないまま、アギーレ監督を日本代表監督の後任に据え、さらに子飼いともいうべき霜田正浩を後任の技術委員長に据えた。責任の所在をはっきりさせない、いかにも日本的な人事というほかない。

サムライブルーの「青」は何を表すのか

日本サッカーの理念のなさを端的に示すのが、日本代表のユニフォームである。

〝サムライブルー〟と呼ばれるようになったのはここ数年のことだが、日本代表のユニフォームはすでに1930年代から青を基調にしてきた。

サッカージャーナリストの後藤健生(ごとう・たけお)の労作『日本サッカー史―日本代表の90年』(双葉社/2007年)によれば、サムライブルーの起源は、1930年に東京で行われた極東選手権に日本代表として東京帝国大学(現在の東京大学)のチームが出場し、そのユニフォームがライトブルーだったことにあるという。しかし、日本代表のユニフォームの色は近年になってどんどん濃くなり、ほとんど群青色になってしまった。

フランス代表にはフランスの青があり、イタリア代表にはイタリアの青がある。スタジアムの最上段から見ても、2つの違いははっきりと分かる。国家代表のユニフォームとは、このようなものでなければならない。

一方、我が日本代表のユニフォームには「サムライブルー」という名前だけがあって内実がない。日本サッカー協会は「サムライブルー」の色を決められないのだ。間抜けな話である。

日本人がこよなく愛する国民的スポーツ「ベースボール」

日本のプロスポーツの歴史を振り返ってみると、長年にわたってその王者に君臨してきたのは、野球(ベースボール)だった。

公共放送のNHK(日本放送協会)は、春と夏に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開かれる高校生のトーナメント全48試合を完全生中継している。日本は47のエリア(都道府県)に分かれているが、それぞれのエリアでは多くの地区予選の試合が中継されている。高校だけではない。大学のリーグ戦も、企業のチームに所属する選手が戦う都市対抗野球も多くの観客を集めている。

もちろん、プロ野球は圧倒的な人気を獲得している。12チームが2リーグに分かれ、秋には日本一のチームを決める〝日本シリーズ〟が行われる。選手のレベルは当然高く、メジャーリーグを除いて世界で最も高いレベルの試合を年に144試合行っている。

日本人はベースボールを心から愛しているのだ。

日本のベースボールは新聞および放送メディアと強く結びつくことによって発展した。春に行われる高校野球の主催者は毎日新聞であり、夏の大会の主催者は朝日新聞である(いずれも日本高等学校野球連盟との共催)。

プロフェッショナル・ベースボール最大最強のチームであり続ける読売ジャイアンツは、その名の通り読売新聞が所有している。読売新聞の系列会社である日本テレビは、長らく読売ジャイアンツのホームゲームを独占中継してきた。

毎日、朝日、読売はいずれも日本を代表する新聞社であり、多くの民放テレビ局、ラジオ局にも強い影響力を持っている。日本スポーツ界において、メディアと結びついた野球の存在はあまりにも大きく、他のスポーツを圧倒してきた。

プロリーグ創設で活況を呈するサッカー

しかし1990年代初頭にプロリーグが創設されたサッカーによって、日本のスポーツにおける野球の地位は脅かされつつある。

日本サッカーは100年近い歴史を持つが、プロ化以前はマイナースポーツにすぎなかった。目立った活躍といえば、1936年のベルリンオリンピックで優勝候補のスウェーデンに勝ったことと、1968年のメキシコオリンピックで3位に入ったことぐらい。1990年代後半まで、ワールドカップに出場したことは一度もなかった。

日本代表は弱い。弱いから試合に勝てない。勝てないからつまらない。つまらないから観客席は閑散とし、才能あるアスリートもサッカーに集まらない。優秀な選手がいないから日本サッカーは弱い。

日本サッカーは、こうした負のサイクルをどこかで断ち切る必要があり、それこそがプロリーグ創設という決断となった。

トップリーグのプロ化の決断を危ぶむ声は大きかった。それは「プロ野球でさえ、赤字経営を免れないのに、プロサッカーチームの採算がとれるはずがない」という、実にもっともな理由だった。

すべての反対意見を押し切ってプロリーグの創設を決断したのは、川淵三郎だった。1964年の東京オリンピックでアルゼンチンからゴールを奪った川淵は、毀誉褒貶の激しい男ではあるものの、傑出した人物であることに疑いの余地はない。日本サッカーをそれまでとはまったく違う次元に引きあげた最大の功労者なのだから。

1991年11月、「Jリーグ」法人設立を発表する初代チェアマン川淵三郎氏(写真中央。写真提供=時事)

1993年5月に日本プロサッカーリーグ(Japan Professional Football League/通称Jリーグ)がスタートすると、すべては劇的に変わった。日本国民は、ワールドカップ本大会に出場するためにプロ化を決断した川淵三郎および日本サッカー協会を強く支持し、サッカーを応援した。以後、日本のサッカーはあらゆる面で長足の進歩を遂げた。選手も審判も観客も、そして試合会場のレベルも急速に上がった。

1989年8月にアレックス・ファーガソン率いるマンチェスター・ユナイテッドが来日して日本代表と戦った際には、なんと人工芝の神宮球場が使われた。日本サッカーのレベルは、世界的な名門チームに野球場でプレーさせる程度のものだったのである。しかしJリーグ発足後は、プロチームの試合が天然芝のグラウンド以外で行われることは一切なくなった。プロの選手が人工芝の野球場でケガを恐れつつ試合をするような悲喜劇は、未来永劫起こらないだろう。

1996年のアトランタ・オリンピック、1998年のフランスワールドカップ以降、日本代表チームがオリンピックおよびワールドカップへの出場を逃したことは一度もない。4年に一度行われるAFCアジアカップでは、1992年以降に行われた6大会のうち日本が4回優勝している。

イタリアのインテルやACミラン、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドといった世界的に有名なチームでプレーする選手も現れた。現在の日本は、自他共に認めるアジア最強国である。サッカー日本代表の試合は7万人近い観客を集め、他のどのスポーツよりも高いテレビ視聴率を獲得している。

この20年間、世界で最も進歩した日本サッカー

わずか10チームでスタートしたJリーグも、21年後の2014年現在では、2部、3部リーグを含めて51チームを数える。すべてのエリア(都道府県)にプロチームが誕生するのも時間の問題だろう。

日本の野球人気は根強く、長らく不景気も完全には解消していない。地方クラブは少ない観客数と予算の中で悪戦苦闘を続けている。しかし、世界的にみてもJリーグはフェアプレーが徹底され、不正行為もまったくなく、戦力の拮抗(きっこう)した安全で素晴らしいリーグといえるだろう。日本代表よりもずっと深く地元のチームを愛するサポーターの数も確実に増えている。世界中のサッカー関係者は「この20年で最も進歩した国は日本だ」という見解で一致している。

だが、順調な歩みを続けてきた日本サッカーにとっても世界の壁は厚い。日本が世界的なフォワードやセンターバックを生み出すためには、長い時間がかかるだろう。

今こそ「サムライブルー」デザインの公募を

しかし、今すぐにできることもある。それは「サムライブルーとはどんな色なのか?」を決め、日本代表のユニフォームを公募することだ。

大きな波の向こうに富士山が見えるという大胆な構図を持つ葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)は、おそらく世界で最も有名な日本画だろう。サムライブルーは、この絵で使われている青、水色、白のコンビにすればいい、と筆者は考える。

葛飾北斎「神奈川沖浪裏」(提供=福間秀典・アフロ)

かつてブラジル代表のユニフォームは白一色だった。しかし1950年、自国開催のワールドカップ決勝でブラジルはウルグアイに敗れた。有名な〝マラカナンの悲劇〟である。この直後、ブラジルサッカー協会は白いユニフォームを廃して、新しいユニフォームを公募した。条件は国旗に登場する黄色、緑、青、白を使用するというものだった。その結果選ばれたのが、有名なカナリアユニフォームである。このように、ブラジルが色だけを指定してユニフォームを公募したのは実に賢明だった。

日本サッカーはブラジルから多くを学んだ。ユニフォームについても学ぶべきだ。北斎の「神奈川沖浪裏」に登場する青、水色、白をカラーチャートで厳密に指定した上で、デザイン自体を全世界から公募するのである。

審査員も重要だ。歴代の日本ユニフォームを眺めるに、日本サッカー協会上層部にはデザインセンスが欠如していることは明白だからだ。

審査員は思い切り豪華なメンバーにしよう。建築家のSANAA(妹島和世+西沢立衛/せじま・かずよ+にしざわ・りゅうえ)、アニメーション作家の宮崎駿、まんが家の尾田栄一郎(代表作『ワンピース』)、井上雄彦(代表作『スラムダンク』)、高橋陽一(代表作『キャプテン翼』)現代美術の奈良美智、歌手のきゃりーぱみゅぱみゅといった、ビジュアル面で世界的な評価を受けている人たちに審査してもらえば、誰もが納得するだろう。

キャッチフレーズはこれだ。

「サムライブルーのユニフォームは、ホクサイとあなたが決める!」

 インターネットを使った応募もOKにすれば、それこそ世界中から応募がくるはずだ。賞金は3000万円。それだけの価値は十分にある。

 このプランが実現したら、nippon.comの読者の皆さんもぜひご応募ください。

(タイトル写真 [左] 葛飾北斎「神奈川沖浪裏」/提供=福間秀典・アフロ。[右] 2014年9月5日、キリンチャレンジ杯・日本‐ウルグアイ戦で円陣を組む日本代表/写真提供=時事)

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