新国立競技場問題が日本人に問いかけているもの

社会 文化

新国立競技場問題が示しているものはなにか。単なる公共工事の無駄遣いではない。東京の歴史と景観の継承こそが問われているのである。そして、この問題は今も東京中で持ち上がっているのである。

神宮外苑ぶち壊しへの驚愕

新国立競技場の建設見直しの動きが急である。

2013年9月7日、2020年のオリンピック東京招致が決まった時、たくさんの同胞日本人と一緒に、私も、これが日本をもっと元気にする動きになるのではないかと、心躍る思いをもった。

思い起こせば、私の期待はあまかった。

まずは、2013年の年末のころから、信じられない報道が現れ始めた。現在の神宮外苑の国立競技場に代わって建てられる新国立競技場が、その規模と高さにおいて従来の競技場を圧倒的に上回る高さ70メートルに及ぶ巨大な宇宙船のような形をしていると知って、驚愕した。

なによりも仰天したのは、神宮外苑が他ならぬ明治天皇の遺徳をしのぶ聖徳記念絵画館の直近の場にあり、外苑全体が東京にいくつか残る緑の拠点として長い年月をかけて東京都民が慈しんできた文化と自然の場所であり、それを本質的にぶち壊す案がいつの間にか決まっていたことであった。

反対運動に加わったものの

2014年の春に入ってから、インターネット上で「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」の動きを知り、その場で、参加のクリックを押した。「手わたす会」の共同代表の11名の女性は、都市計画と景観という観点で根本的な問題をかかえる東京において、明治期のデザインを保存した東京駅丸の内の再開発を粘り強く主張し、成功させた運動の中核になった方々だった。

槇文彦氏がすでに発表していた論考(13年8月)を読み返すところから始まり、やがて多方面の専門家が共同代表の周りに集まったこの市民運動において、いま新聞紙上にあふれる様々な問題点で当時提起し得なかったものはほとんどなかったと思う。私が感じた文化と景観に関する問題に加え、新案選択の奇奇怪怪たる手続的問題、スポーツ目的以外の音楽と共興をあわせる不可思議さ、そのことによる建設と維持のためのコストの莫大さ、総合開発実施に伴う周辺住民の様々な問題点、既存施設の活用により十全なるオリンピックは実現可能であることなど、課題はほとんどすべてが出そろっていた。

共通の友人から、「手わたす会」の11名の共同代表に紹介をいただき、なにかお役に立つことが有ればと時々お話しする機会をもった。当時の話し合いは焦燥感につつまれていた。ネット、マスコミを通ずる情報発信を進め、JSC、文科省、都庁などに共同代表や建築の専門家がアプローチしても、ほとんど実のある話合いにならなかった。そもそも本件を決定する最高責任者は誰なのか、その人の所にどうやって接触してよいかがわからない。外務省に勤務していた時代のつてを頼りながら、どなたにどういう方法で思いを伝えたらいいかを研究し、やれると思えることをすべてやったけれども、何らの手ごたえも得られなかった。

解体を止めることはできなかった

年が明けた2015年1月17日、もはや解体工事の開始を止めるすべが尽きたと覚悟した「手わたす会」の賛同者数百名は、寒風にコートの襟をたてながら、旧国立競技場に別れをおしむ最後の悲痛な行進を行ったのである。

それから2ヵ月足らずの3月5日、「手わたす会」共同代表は、「国立競技場の解体と神宮外苑の樹木伐採に抗議します」という決別の書を発表した。この短い文書は、「国立競技場将来構想有識者会議委員」の全実名を列記し、特にその中で主要な役割をはたした方の名前も明示し、競技場解体の責任を内外に宣旨している点で、また、自然と文化との柔らかな調和の中にのみ日本の未来があることを告知している点で、日本の市民運動の歴史に刻まれるべき痛烈な文書と看取される。

「私たちは100年近く守られてきた神宮外苑の森と、戦後復興の象徴である国立競技場を50年でとりこわし、未来のひとたちに手渡すことのできなかった悔しさを決して忘れない。そしてこの活動を通じて得られた知見を、次に生かしていくことを誓う」という決別の書の結論は、いまこの問題に責任を持つ立場に立つすべての方にかみしめていただきたいものである。

私が時折見解を発表している『月刊日本4月号』(3月22日発行)は、この決別の書を全文掲載するとともに、「巨大なゴミと化す新国立競技場」という見事な特集を掲載した。これまで市民運動派が中心にあった報道・論壇において、日本の正当右派の一派の論調が一つ加味されたのである。

「手わたす会」も、これからの活動の手始めとして、当面様々な角度から研究を続けることとし、「まだまだ終わらない公開勉強会」を開くこととなり、その第1回会合が5月11日開催され、私も、オランダにおける景観体験などについてお話しする機会をもった。

急展開の白紙撤回

けれども、この時点から、周知のごとく歴史は急変し始めた。

5月18日下村博文・文部科学大臣が舛添要一都知事と対談、2014年5月の基本設計時に1625億円と試算された総工費のうち、都に約500億円の負担を要請した。都に対するこの高額の負担要請にメディアの関心は一挙に高まり、更に6月29日、大会組織委員会調整会議で下村・文科大臣が総工費2520億円の額を提示したことによって一層の関心が爆発した。

しかしながら、7月7日のJSC有識者会議にて一端この2520億円の総工費が了承されたことが報ぜられた。「手わたす会」は直に7月9日「神宮外苑100年の森を守るために。2520億円の新国立競技場を許さない」という抗議声明を発出した。

息詰まる展開の中、マスディアの追及は治まらず、7月17日、ついに安倍総理の決断として事態は「白紙撤回」という大転換を迎えた。

「手わたす会」は直に7月18日、「進行中の新国立競技場計画の中止」を実行したうえで、「簡素で使いやすいメインスタジアムの計画に取り掛かってください」という3年越しの要求を、国会に提出する請願運動を開始した。

政府側は、有識者による新たな「新国立競技場整備計画経緯検討委員会」を設置、その初会合が8月7日に開催された。請願活動の対象となっている国会では、8月5日衆院文部科学委員会での審議で遠藤五輪相が「9月上旬までに総工費を整備計画の中で示す」と明言(『読売新聞』8月6日朝刊)、8月10日には参院予算員会集中審議で議論された。

新計画に期待をつなぐ

なにはともあれ、7月17日の安倍総理による「白紙撤回」の決断は実に大きな意味をもった。五輪大臣・文部科学省・JSCを軸に検討を進められている由の諸案の中から少なくとも、竜骨(キール)巨大スタジアム、音楽と共興を兼ね備えた多目的巨大スタジアムの案は影をひそめたようである。だが、どこまで、「簡素で使いやすい」ものに徹することができるかは、これからの審議にかかっている。

私自身は、6月20日の「手わたす会」の2回目の公開勉強会で森山高至氏が一案として説明された、64年東京オリンピック以前の原競技場のコンセプトを最新の技術によって再構築する案に非常な魅力を感じる。競技場の三面を斜めの芝生席にもどすこの自然との融合案こそ、21世紀の日本文明の再創造にふさわしい「簡素で使いやすい」案にみえるが、それは、これからの議論によって適切な結論を期待するほかはない。

同時並行、もう一つの景観問題

さて、国立競技場建設問題とは次元の違う問題ではあるが、来るべきオリンピックを迎えるに当たり、私にとってとても気がかりな問題がもう一つ進行している。港区高輪泉岳寺の中門横における高層8階建てマンション建設問題である。

泉岳寺中門横のマンションの建設問題は、一見、国立競技場の建設問題とはほとんど係りのない問題のように見える。この建設は、現在の日本の制度下では、民間の開発業者の方が現行法令を遵守した合法活動として行っているものである。公的な資金が使われているわけでもない。しかし、私には、この2つの問題は幾つかの点において、一緒に考えなくてはいけない問題点を含んでいるように思われる。

まず、私にはこれらの問題が、2020年のオリンピック招致と、共に密接な形で提起されているように見える。新国立競技場については、言うまでもない。競技場そのものが、日本が箱物オリンピックをやろうとしているのか、自然と社会生活と調和した21世紀文明を先取りしたオリンピックをやろうとしているのかについての最も明確な指針になる。しかし、オリンピックで外国人を迎えるのは、一人競技場だけではない。まさに、日本全体で、東京全体で、どのような「おもてなし」をもってお迎えするかが問われるのである。泉岳寺中門横のマンションンの建設は、正にその点を問うているのではなかろうか。

新国立競技場で私にとって先ず致命的と映じたのは、明治天皇の遺徳を偲び、都民がその緑の空間を慈しんできた、歴史と文化と自然を一挙に破壊することとなる恐ろしさであった。これと同じように、泉岳寺中門横の8階建てマンションによる景観の破壊は、赤穂浪士とそれを支えてきた武士道精神の現代日本人による破壊なのではないか。

さらに言うならば、神宮外苑の歴史が明治にさかのぼるとするならば、泉岳寺と赤穂浪士の物語は、それをさらにさかのぼること150年、江戸中期に花咲いた日本の精神文化の華である。私たち日本人にとって、歌舞伎・小説・映画によって幅広く庶民に愛されてきた物語である。日本を訪れる外国人にとって、赤穂浪士の墓ほどに、いにしえの日本をその現場において伝えるものはもはやそう多くはないのである。その義士の墓に対する冒涜を現代の日本人がやろうといしているのである。事態は軽視できないと思う。

赤穂義士の史跡への思いが運動に

かくて、2014年6月、周辺の住民を核とする建設反対運動が始まった。それは、そのような運動に参画するとは全く思っていなかったいわば素人の方々の集まりであり、そこに、日本の文化と国土の景観保全に関心のある人たちが参画して、少数ながら必死の運動が動き始めた。建設サイドへの説明要請・署名運動・HPの作成・マスコミや文化人、経済人への発信・港区議会への請願提出(9月19日採択)・審査請求・12月14日の義士祭を通ずる盛り上がりなど関係者は出来る限りの努力をしたのだと思う。

けれども2015年にいたるころから、日本の現行法令の枠内では、如何にしても本件マンション建設に違法性を見出すことはできず、景観法が予期する地方(港区)条例は未整備だという事実が顕在化した。反対運動は、そういう現実を考慮して、マンション建設予定地を然るべき公の機関が購入することによって、問題の解決を図ろうという方針を加えることとなった。衆目の一致するところ、その可能性を最も豊かに持っていたのは、港区役所であり、それからしばらくの間、港区役所、区議会、東京都、東京都議会、国会議員、政党関係者などへ、公的機関の介入と買い取りを念頭に置いた陳情と働きかけが行われた。けれども、結局のところ、港区役所は、「今の港区にはそのような場所を買うための論理はない」ということを繰り返し、それを上回る政治的意思が発露されることはなかった。国会質疑では、維新の党の松木けんこう議員が2回にわたって国土交通大臣、文部科学大臣との間で鋭い質疑を行ったが、それ以上の動きにつながることはなかった。

かくて、反対運動に携わる人の一部から日本国内・国外において、日本文化を敬愛し、本件敷地を自ら購入してもよいという個人・事業家・団体はいないかという視点が現れた。反対運動関係者が思いつく限り、10に近い数の方々との静かな接触がおこなわれ、なかには、真摯な関心を示す人たちもいたが、結局のところ、最終的にこれに応じた方は現れなかった。

反対運動関係者の焦燥をよそに、2015年春3月建設工事は若干の遅れを持ちながら始まり、8月の時点ですでに六階にいたる建物がその姿を現しはじめているのである。

史的景観を守りえない国

2020年、オリンピックに来訪するすべての方々に対し泉岳寺は、羽田空港からの交通の要諦にある品川駅の近郊に位置し、日本の文化と精神を自ずから示す最高の「おもてなし」の場となるはずだった。

しかしスポーツの合間に日本を探訪しようという外国人が、中門の真横に立つこの8階建てマンションを見て、これがわずか5年前に反対運動にもかかわらず立ち上がったものであることを知ったなら、泉岳寺はおそらく、真逆のメッセージの伝達者となるにちがいない。

泉岳寺は、伝統文化とそれが作る景観を守りえない現代日本人の浅薄さと経済利益に堕した象徴として、私を含む現代日本人の恥の象徴として、これから長い間語り伝えられていくことになるだろう。

救いの希望は皆無なのだろうか。この期に及んでも皆無だとは思わない。しかし、それには必要な2つの与件があると思う。まずは、これまでの動きを元にもどし、東京の新しい表玄関としての、品川高輪口から泉岳寺に至る地域を総合開発するビジョンとデザインと資金力を持つ開発者が現れることである。

こういう開発のコンセプトの成功例が、本稿冒頭に述べた東京駅丸の内口にある。東京駅丸の内口は、伝統と文化の聖地としての皇居を背景とし、保存するに値する建物としての旧東京駅が加わった。さらに、駅周辺の明治・大正期からの建物の外壁の保存と併せて独特の空間美がつくりだされ、空中権の活用による高層ビルの建設により、その資金源をまかなったのである。

泉岳寺については、伝統と文化の聖地としての泉岳寺が同時に保存に値する唯一の場所となる。そこは、周辺の高さと構築物を伝統文化に合わせる低層地域とする。そして、品川高輪口から泉岳寺に至る地域を、空中権購入による高層ビルの限定建設と、江戸期からの風景を再構築する緑と水の回廊を併設することにより、新しい東京の震源地としての独自の空間がつくりだされる。

しかしそのためには、東京をしてそういう場所を包摂する場所にするという強い政治的意思が必須だと思う。国立競技場建設の白紙撤回をなしえたのは、1人、内閣総理大臣安倍晋三であった。「日本をとりもどす!」ことに目標を立てた政権が、このような形で日本の最も大事なことを失わせてよいのだろうか。

安倍晋三総理を支える日本を愛する政治家の中に誰か1人でも、身を挺してでもこの動きを止めなくてはと考え、それを実行する方はおられないのだろうか。

狂気の建設ラッシュから東京を引き戻せ

オリンピック招致が決まった後東京の迷走が続いていると思う。どうして今の東京にこれだけの建設ラッシュが始まってしまったのか。私にはよくわからない利益誘導の太い流れが動き始めているようである。

しかし、日本文明の今後を考え、少子高齢化の下で、最も住みやすく魅力ある東京を創るために今必要なのは、空き地という空き地で繰り広げられている建設ラッシュではないはずだ。

今必要なことは、高度成長期から乱開発として続いて来た建設を止め、造りすぎた建物を壊し、かつての東京に有った、緑と水と風の回廊を縦横にとりもどし、それと調和した形での技術の粋を凝らした建築帯を、選択的に造っていくことのはずである。

そういう東京こそ、オリンピックにおける最高の「おもてなし」となるはずである。国立競技場の白紙還元の動きが、こういう最高の「おもてなし」への誘引剤となることを願ってやまない。

カバー写真=もはや更地となった神宮外苑の国立競技場跡地(提供・時事)

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