対ロシア外交に独自色強める安倍首相の意欲と誤算

政治・外交

プーチン・ロシア大統領訪日の可能性はまだ消えていない。欧米とともにウクライナ問題で対ロ制裁が続く中、安倍首相は独自路線を探っている。その目算とは?

山積する外交諸課題のうち、安倍晋三首相にとってトップアジェンダの1つは、間違いなくプーチン・ロシア大統領の訪日実現だろう。単に北方領土問題を進展させたいとの思いばかりではない。対ロ関係は、安倍戦略外交の幅を広げようとする重要なパーツの1つだからだ。巨大国家・中国が海陸両翼に影響力を拡大する膨張路線を突き進む中で日本は対ロ外交と対中外交とを連動させて戦略的に展開する必要がある。安倍首相が対米、対中をにらみながら、対ロ外交に独自色を強めようとする、その真意は何か、ロシアの思惑との齟齬を探ってみる。

米大統領も〝黙認〟した首相の決意

話は3ヵ月余り前にさかのぼる。

場所はワシントン。4月28日、安倍晋三首相がオバマ米大統領と会談した席での発言だ。関係筋が明かす。

「安全保障上、日ロ平和条約が必要だ。プーチン・ロシア大統領の年内訪日を、既定方針通り実現したい」――首相は席上、極東で再び活発化し始めたロシア空軍の動きを指摘した上で日ロ関係に言及、オバマ大統領の反応を待った。日米外交当局が実務者同士で事前に調整し積み上げてきたシナリオでは、ウクライナ問題でG7(主要国首脳会議)の足並みの乱れを極力抑えたい米側は、大統領自身が首相に対して日本政府の方針に釘を刺すと想定していた。だが、大統領は安倍発言に対して直接応えず、話は次に展開していった。

プーチン大統領の年内訪日計画に関する安倍首相の伝達に対して、オバマ大統領は実質的に何の注文を付することなく、事実上、無条件でそれを黙認する形になったわけだ。この場面での大統領の対応に慌てたのは、米側の外交当局者だった。首脳会談終了後さっそく、米政府の立ち位置が、改めて日本側に伝えられた。「対ロ外交はG7の結束が最重視されるべきであり、プーチン訪日実現に当たっては、ウクライナ情勢の区切りがつくまで慎重に対応してほしい」。

しかし、安倍首相は取り合おうとはしなかった。「会談での大統領の対応がすべてだ」。日本側は、6月上旬の独エルマウ・サミット(主要国首脳会議)で日米両首脳が接触する場面が必ずあり、その際は立ち話ででも大統領が改めて慎重論を首相に直接伝えるのではないか、と身構えた。だが、2人の間には何も起こらなかった。

年内のプーチン来日実現に向けて安倍首相が決意を一段と強固にしたのは、こうした4月末の日米首脳会談などによって〝事前通告〟は完了していると見なしているためだ。

5月下旬、「日本・ロシアフォーラム」出席のため来日したナルイシキン下院議長は、プーチン大統領の訪日に意欲を示した上で「我々は前に進む準備ができており、球は日本側にある」と日本が実現に向けて積極的に対応するよう強く促した。

約1ヵ月後(6月24日)、安倍首相はプーチン大統領に電話した。この中で、両首脳は大統領の年内訪日に向けて対話を継続していくことで合意。首相は本格的な準備として岸田文雄外相の訪ロの早期実現を伝えた。

首相がプーチン年内訪日にこだわるわけ

安倍首相が独自の対ロ外交にこだわるのはなぜか。

そこには、ロシア訪問(2013年4月)以来積み上げてきた対ロ外交を踏まえてプーチン訪日を実現し個人的信頼関係を繋げておかなければ、最大懸案(北方領土問題)に新たな展望は開けないとの危機感がある。加えて、対中外交を始めとする東アジア外交に幅を持たせたいとの戦略的判断が働いているのも確かだ。

例えば、隣国の中国、ロシアという大国と最前線で向き合わなければならない地政学的宿命の中にあって、日本がロシアを中国寄りに必要以上に追いやれば、同盟関係にある日米に対して、中ロ両国は結束を強めて真っ向から対峙する一大勢力となり得る。とすれば、東アジアの安全保障にとっては、朝鮮半島の「冷たい平和」という不安定な現状ばかりでなく、新たに本格的な冷戦再来を生み出す要因を持ち込みかねないというわけだ。

2014年2月のソチ冬季五輪開会式——。ロシアの同性愛宣伝禁止法や人権問題を理由に欧米主要国首脳が軒並み欠席する中で、安倍首相は独自の判断で同五輪開会式出席に踏み切った。この時、プーチン大統領は首相を別荘に招き、「他の首脳に対してはほとんど記憶にない食事を供するなど異例の歓待」(日本外務省筋)で持て成した。首脳外交では、個人的な信頼関係が国家関係の進展に当たっても重要なファクターになり得るが、こうした安倍・プーチンの蜜月関係は、日本の対ロ外交の推進力としてしっかり機能していた。

第2次安倍政権になって、首相がプーチン大統領と初めて会談したのは2013年4月だった。そして翌14年2月のソチ五輪開会式までの間、わずか約10ヵ月で2人の会談は実に5回も行われた。が、3月のロシアのクリミア半島併合=「力による現状変更」によって事態は暗転、2人の蜜月関係も低位安定のレベルへと下降した。

ウクライナ危機によって一頓挫を余儀なくされた安倍・プーチン主導の日ロ外交だが、両首脳は昨年11月、仕切り直しで合意した。そして、安倍首相は今年4月の日米首脳会談後、プーチン訪日の年内実現に向けて本格的な準備開始のタイミングを計ってきた。谷内正太郎国家安全保障局長のロシア訪問(7月)はその仕上げに向けた下地づくりだった。

中国流「弱い輪を狙え」を想起させる対日外交

では、ロシアが、これほどまで熱心に日ロ関係の進展を働き掛ける意図、思惑はどこにあるのだろうか。

当然、エネルギー分野を始めとする日本との経済協力の拡大に大きな狙いがあるのは確かだろう。また、安全保障の観点からすれば、宿敵米国と対峙するには、中国との連携が必要になる。しかし、経済力、人口力にものを言わせて影響圏を中央アジア、極東に拡大しようとする中国は、ロシアにとっては常に脅威感が付きまとう油断ならぬ隣国なのだ。このため、ロシアが日本カードを、対中外交を進める上での有効なカードになり得ると位置付けていても不思議ではない。

が、ここで、より留意しておかねばならないのは次の点だ。

ロシアが、現在の局面で全力を注いでいるのは、ウクライナ問題での対ロ制裁によって構築された欧米による包囲網を突き崩すという目標だ。

例えば、プーチン側近の一人、前述したナルイシキン下院議長が日本訪問の際に残した言葉を思い起こすといい。「(日本は対ロ制裁を)続ければ続けるほど、日ロ関係に与える損害は大きくなる。このような政策は終わりにすべきだ」

北方領土問題での進展が欲しかったら、対ロ制裁を解除せよ、という恫喝にも聞こえる揺さぶりだと言えるが、揺さぶりは、このナルイシキン発言に止まらない。行動が加わる。8月22日には、メドベージェフ首相が択捉島で開催する若者の愛国心育成を目的にしたサマーキャンプに出席するため、北方領土を訪問した。

ロシア側の一連の言動は、天安門事件(1989年)後、西側諸国が科した対中制裁に中国側が取った手法を想起させる。その時、中国の民主化運動弾圧を理由に科した西側の制裁包囲網を打破するため、中国は、日本を「西側の対中制裁の連合戦線の最も弱い輪」と見て、日本側に陰に陽に揺さぶりをかけた。中国副総理兼外相・銭其琛の回顧録には次のように綴られている。

「(日本への働き掛けは)西側の制裁を打破する際におのずと最もよい突破口となった。当時、われわれは日本がこの方面で一歩先んじていくように仕向けていた」。

対米批判に歴史カード持ち出すロシア

包囲網を崩すには弱い部分を狙えという鉄則通り、対中制裁に元々消極的だった日本に照準を絞り、一点突破を図ったのが天安門事件後の中国の対応だった。安倍首相が志向する対ロ独自外交に着目した今回のロシアの対日外交にも、ロシア包囲網を突破しようとする思惑が滲み出てくる。

6月、独エルマウG7サミットの閉幕数日後、プーチン大統領は同サミット参加国イタリアに飛んだ。レンツィ首相との日伊首脳会談のためだった。ロシアは、西方(欧州)で最も弱い部分としてイタリアを狙って包囲網に風穴を空け、東方では日本を包囲網突破の舞台に仕立て上げようとしているのではないか。

5月の東京滞在中、ナルイシキン下院議長が口にした「米国の原爆投下=人道に対する罪」発言——そこからは、対米歴史カードを駆使、戦後70年に引っ掛けて日本の国民世論に反米ナショナリズムを掻き立てて日米分断を図ろうとする思惑が感じられる。同議長は、2014年12月に行われたロシア歴史学会の幹部会で、米国の原爆投下(ヒロシマ、ナガサキ)について軍事的合理性はなく、検証と併せて「法的評価」が必要と強調した(国営イタル・タス通信)。プーチン大統領は、モスクワから極東を眺望し、日本列島の彼方に超大国アメリカを見据えているのではないだろうか。

安倍首相が意欲を示すプーチン大統領訪日の年内実現は、父・晋太郎が果たせなかった夢——北方領土問題解決への思い入れが写し絵のように重なってくる。だが、ウクライナ危機が進行するこの間、国内政局や両国を取り巻く環境の劇変と併せて、それに伴う日ロ両国の外交戦略目標のズレと安倍・プーチン関係の限界も見えてきた。

カバー写真=2014年11月、北京APECで首脳会談を行う安倍首相(左)とプーチン大統領(提供・時事)

安倍晋三 中国 ロシア 北方領土 オバマ