「文化の安全保障」の時代

政治・外交 文化

再度パリを襲ったイスラムテロ、そしてユネスコを舞台にした日中韓の歴史対立、いずれも文化が国際的な対立の火種となってしまっている。

思い起こすべきユネスコの理念

第二次世界大戦後に、戦争の惨禍を繰り返すまいと設立されたユネスコ(国連教育文化科学機関)の基本精神は、次の通りにユネスコ憲章の前文に規定されている。

「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない。(中略)政府の政治的及び経済的取極のみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的、精神的連帯の上に築かれなければならない。(中略)

世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、且つその憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する」。

つまり、文化の交流と相互理解を通じてこそ、真の平和が構築されうるという考え方がここにはある。実際、国家間の関係が悪化した際、フランスの外交史家モーリス・ヴァイスが指摘するように、文化の相互交流は国際関係における「ディフェンシブな役割」を果たし、関係が冷え込んだ際にその悪化に歯止めをかける。

たとえば1960年代から始まった仏独間の青少年交流の緊密化は、仇敵であった両国間の相互感情の草の根レベルでの融和を進め、その後、政治レベルで意見の隔たりや摩擦が生じた際もそれをきわめて限定的なものにとどめた。日本外交においても、1980年代の「大平学校」による日中交流が当時の両国間の関係強化の足場を支えたなど、成果をあげてきた事例も多い。

しかし、2015年1月と11月のパリでのテロの背景にある西欧的価値観とこれへの反発、さらに日韓・日中の間でのユネスコ世界遺産登録をめぐる確執の深刻化など、いずれも文化が政治利用される、あるいは摩擦の暴力化を促しているという点では共通している点があり、これは換言すればユネスコの理念とはまったく逆に、文化が対立や戦争を導いてしまっているということにならないだろうか。

世界遺産登録をめぐる東アジアでの確執

ユネスコは2015年7月、日本政府が推薦した「明治日本の産業革命遺産」を、ユネスコ世界文化遺産に登録することを決定した。この登録をめぐっては、韓国政府が反発し、この産業施設で朝鮮半島出身の「徴用工」に「強制労働」があった点を強調し、世界遺産には相応しくないと主張した。歴史認識に絡ませて日本から「強制労働」の存在を認める言質を引き出したい韓国と、それを避けて登録を完了させたい日本側とのせめぎ合いとなった。松浦晃一郎・元ユネスコ事務局長も、「本来、政治的な要素を除き、文化的な側面に焦点を当てるべきだが、残念ながら現実には避け難い」(『朝日新聞』2015年7月6日)との認識を示すように、文化的要素と政治が絡み合って対立が引き起こされていた。

そして同年10月には、中国が申請を進めていた1937年の南京事件に関する「南京大虐殺の記録」について、世界記憶遺産への登録が決まった。日中の戦争をめぐる歴史認識に関し、中国が自国の認識の正統性を国際社会にアピールするためのユネスコの「お墨付き」を手にすることをおそれ、日本政府は登録の阻止を働きかけてきた。こうした「記録」は、歴史家の研究によってその意味が学術的に明らかにされるものであるが、ここでは歴史資料という文化要素が政治の場での摩擦の原因としての役回りを担ってしまった。

パリでのテロと西欧的価値観

文化の意味する範囲は広いが、これを価値観や思想・信条という側面に注目して理解するならば、2015年1月と11月にパリで起こった連続テロも、文化の役割から検討することができよう。

1月のシャルリーエブド紙の編集部襲撃については、同紙が風刺画によってイスラム教への厳しい批判を行っていたこと(一宗教への中傷だというヨーロッパ内からの批判もあった)に対するムスリムからの反発が、一部の過激主義者による暴力につながったという背景がある。しかしマクロに見るなら、ここには表現の自由、言論の自由といった西欧的価値観の根幹をなす「自由」と、イスラムの教義を厳格に解釈して偶像崇拝を否定する論理との衝突が起こっていた。

フランスでは、全身を覆う形態でムスリム女性が用いるブルカの公共の場での着用禁止を2011年に法制化したが、これも男性による女性の権利を剥奪する行為であるとみなし、ジェンダー平等を重要な価値と据える西欧の論理と、イスラムの教義に基づく当然の服飾文化だとみなす立場の間での大きな価値観のズレがあった。こうした価値観のズレが摩擦を生み、暴力として吹き出した事例として理解することが可能であろう。

11月の同時多発テロについては、 1月とは異なり不特定多数の市民を狙ったものであるが、イスラム原理主義を結節点として暴力による示威行為を是とする犯行グループが、西欧的価値観を体現するフランス社会で生活を営む市民に対して攻撃を加えたという点では、1月の事件と軌を一にしている。ただしここでは、9月に始まったフランスによるシリア空爆を背景に、IS(イスラミック・ステート)による反撃がなされているという文脈が立ち現れていることも見逃すことはできない。

しかしいずれも、イスラム教が支配的な地域の出身者ではなく、西欧的価値観が支配的なフランスや隣国ベルギーなどヨーロッパの出身者が、過激な思想に染まってテロ犯罪に走ってしまっている。これは2001年9月のアメリカでの同時多発テロの容疑者にも同じような状況があったが、2015年のパリでのテロの場合は、まさに「現地」の出身者がそうした犯罪の担い手だったことは新たな側面と言えよう。ここには、グローバル化の進展のもとで競争社会の弱肉強食な性格が一層際立ち、その競争からこぼれ落ちた若者を救い上げるべきセーフティネットが機能不全に陥り、表面上は豊かさに彩られる社会からの疎外感と閉塞感にさいなまれる若者がこうした過激思想に引きつけられてしまうという構図がある。つまりここでは、価値観という文化的要素が、若者を暴力行為へと走らせるための「道具」として利用されてしまっているのである。

文化外交の光と陰

今日、主要国はこぞって文化外交、ないし広報文化外交(パブリック・ディプロマシー)に力を入れている。その国の持つ魅力を他国の市民に直に訴えかけて引きつけ、政府や外交官ではなくむしろ一般市民を「味方」に付ける手法である。たとえばフランスではフランス院(Institut Français)がその任を担い、世界中にブランチを設置してフランスの文化発信を進めている。フランス語や芸術の普及だけでなく、フランス発の思想や学術、テクノロジーも含めてその魅力をアピールすることに余念がない。日本も予算や人員などの規模はフランスに及ばないが、外務省の所管する独立行政法人国際交流基金がその役割を担っている。

ところでこの文化外交は諸刃の剣となりうる。自文化を積極的に発信し、その魅力を広めてソフトパワーを強化していくことは有効な外交手段となる。しかしその発信戦略において、政治的な対外的権力追求の色彩が前面に出すぎると、かえって受入側の反発を買い、ソフトパワーも損なわれてしまう可能性がある。

これは、植民地の旧宗主国が、旧植民地国を対象に進める場合、かつての支配・被支配の関係を背景に「押しつけ」のスタイルで文化を発信する際に、しばしば見受けられる。フランスや欧米全般としての文化発信は、対象とした国や地域の市民に対して魅力を与えているのみならず、人権や民主主義といった文化規範をグローバルレベルで構築するという成果をも生み出してきている。

しかしこの価値観の発信が「強すぎる」、つまり権力や歴史的関係性を背景とした「押しつけ」の様相を呈する場合(少なくとも受入側からそう認識される場合)、強い反発がはね返ってくる。軍事力をも用いた「押しつけ」がエスカレートすると、これに対する反発は激しくなり、その手段としてときにテロリズムにつながってくるという構図が想像できよう。この構図は日本にとっても他人事ではない。

文化の安全保障の時代

社会に根付いている伝統、習慣、規範などの文化要素は、人々が「生きるための工夫」(designs for living、クライド・クラックホーン)として年月をかけて築き上げてきたものであり、守られるべきものである。しかし、敵対する規範を有する国や社会への攻撃の道具として文化が用いられているとすれば、これを保持する国や社会が適切にコントロールすることが必要なものだという見方も可能である。文化を守り、同時に文化から人々を守らなくてはならないというパラドクス的な状況であり、これが実際に立ち現れているのである。つまり現実問題として、安全保障の大きな部分を、文化が担うようになってきているのであり、「文化の安全保障」の観点に立った思考や行動が必要になってきている。

冒頭に見たユネスコの理念は崇高で、その意義は損なわれるどころか、むしろますます高まっている。それは、文化が、危険性を併せ持ちつつも、平和の創出と維持のための中核的要素として、これまでになく重要性を増しているからである。日本としても、上述の「南京大虐殺の記録」の世界遺産登録に反発してユネスコからの脱退をにおわす姿勢も見られたが、むしろこうした状況であるからこそ、これまで以上に積極的にユネスコの事業を支援し、「文化の安全保障」の観点から国際的な貢献をしていくことが肝要であろう。

カバー写真=11月13日金曜日にパリで発生した同時多発テロ(提供・AP/アフロ)

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