ドン・キホーテと日本

文化

『ドン・キホーテ』への愛

日本では、スペイン文学の中で最も世界的な作品である『ドン・キホーテ』の魅力を19世紀から楽しむことができた。1893年以降10通りの翻訳が出版されており、日本の読者は注釈満載の学術的で正確な翻訳を手にすることができる。また、日本語特有の表現を駆使して原文のおどけた調子を反映している翻訳もあり、巨匠、ミゲル・デ・セルバンテス(1547〜1616)もきっと喜ぶに違いない。セルバンテスが没したのは1616年の4月。今年は没後400周年を記念してさまざまな行事が予定されている。

日本の子ども向けには挿絵入りの多くの要約版も出ており、インターネットではマンガ版も登場している。また、このスペイン黄金世紀の最高峰に位置する小説の主人公の名を冠する人気ディスカウント・ストアを訪れる多くの人たちは、毎日のようにドン・キホーテの名を耳にしていることだろう。

最近では、バレエ「ドン・キホーテ」は日本のバレエ・スクールやバレエ団の人気演目の一つである。有名俳優の仲代達矢は全国の劇場で100回もドン・キホーテを演じるために郷士の衣装を身にまとい、歌舞伎界のスター松本幸四郎はミュージカル『ラ・マンチャの男』を1200回以上主演し、73歳の今も精力的に主題歌『見果てぬ夢』を歌い続けている。

日本の大学のスペイン語学科では『ドン・キホーテ』の読解が必須とされているところもある。また、未確認ではあるが今年新訳本が出版されるという噂もある。

ドン・キホーテ、新宿。

すでに10通りの翻訳、まだ続く新訳

西欧での最初の近代小説であり、歴代最も多くの言語に翻訳されている作品でもある『ドン・キホーテ』の初版は1605年に出版され、その7年後には早くも英語に翻訳され、以降他のヨーロッパ言語への翻訳が続いた。

日本からスペインへの最初の外交使節であり、マドリードの宮殿での国王フェリーペ3世との謁見(えっけん)のためにラ・マンチャの谷間を縦断した支倉常長(1571〜1622)が、この小説の人気の高さを耳にした可能性も十分に考えられる。

セルバンテスは、乾いて肥沃で、風が強く風車が多く見られるこの地を、あまりに多くの騎士道小説を読み過ぎたために気が狂い、現実と幻覚の区別がつかなくなった老郷士の物語の舞台に選んだ。そして、社会の大変革の時代を生きる矛盾を、洞察力に富んだ社会学者の明晰(めいせき)さをもって分析しようとしている。

しかし、支倉常長と同じ日本人がドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの冒険の読めるようになるまでには、松居松葉(まつい・しょうよう)による英語からの翻訳要約版が完成する明治の中頃まで約200年間待たねばならなかった。

それ以後『ドン・キホーテ』は9回日本語に翻訳されており、部分的な翻訳や、スペイン語以外の言語からの翻訳、改版された二次出版などさまざまである。

昭和天皇没後の平成(1989年~)に入ってからは、6年に一度のペースで4通りの翻訳が出ている。さらに出版間近の新訳もあるという。

物語の宝庫

数年後には、日本の読者は少なくとも5通りの翻訳版、言い換えればひとつの物語を新たな5つの異なる語り口で楽しむことができるようになる。「たったひとりのキホーテに対して、そんなに多くのセルバンテスが必要なのか」。豊富な英語訳のキホーテを持つ英語圏の人たちが抱く素朴な疑問が頭に浮かぶ。

作品の賞味期限を考えた場合には、答えはイエスである。400年後に読んでも『ドン・キホーテ』は我々に、愛や宗教、戦争や政治というテーマに対する人間の振る舞いはほとんど変わっていないことを確認させてくれるからだ。

『ドン・キホーテ』の中で描かれる愛は盲目的で、情熱的、報われず、こっけいでもある片思いである。また、作品中には現代社会に通じる部分が数多くある。貴族や農民、賢者、戦士、カトリック、イスラム、ユダヤ教徒がそれぞれ偉大な良識をもって発言しているのだ。犯罪者も出てくれば、戦いも、海外や幻想の世界への旅も、ロボットのような木馬、生きたライオンが主人公の場面まである。

そうした意味で『ドン・キホーテ』は、現代文学はもちろん、映画、演劇、テレビ、ゲームなどのクリエータたちを触発する発想の宝庫でもある。

ドン・キホーテとサンチョ・パンサの行脚は良質な映画の脚本のような軽やかさで語られ、当時のスペインの埃っぽい道中を通して繰り広げられる多くのストーリーが絡んだロードムービーとも言うべき素晴らしい物語である。

さらに、『ドン・キホーテ』が書かれたのが、カスティーリャの地方言語だったものが、今では世界中で数億の人々に話されるスペイン語という形を取り始めた時期だったことは、スペイン研究家にとってはたまらない魅力となっている。

多様な日本語訳

ドン・キホーテは、文学作品を翻訳で読むことをフランドル地方のタペストリーを裏から見ることに例えて「姿は見えるが、その姿は陰影を紡ぐ糸で曖昧模糊(もこ)としている」と言っている。従来、ほとんどの日本人翻訳家たちはおそらく、この発言が気になって、その背景を解明することに注力してきたのだろう。

清泉女子大学文学部(スペイン語スペイン文学科)の吉田彩子教授によれば、日本人翻訳家のこの作品に対する過剰な情熱が訳文に個人的な解釈を加えることになって、結果的にページ数の増加につながっているという。

日本語訳のユニークさは、例えば、高齢男性の話し方を区別するような場合に使われる代名詞の「わし」という表現で、原文にない独特な味わいを生み出していることもあると、2000年から『ドン・キホーテ』の読解授業をしている吉田教授は言う。

セルバンテスと並び称されるスペイン黄金世紀の作家であるルイス・デ・ゴンゴラ(1561〜1627)の専門家である同教授が指摘するもうひとつの面白い例は、サンチョ・パンサの田舎者らしさを表現するために、日本人翻訳家は日本独特の方言を当てていることだ。中には創作された合成方言があったりして、そこから『ドン・キホーテ』を読むとあたかもそんな地方が日本にも存在しているように錯覚してしまう。

インターネット書店の検索によれば、最も豪華な翻訳版は新潮社から2005年に出版された荻内勝之訳、堀越千秋挿絵の全4巻である。これまでで最も面白く、親しみやすくて、流麗な文体を持つ荻内教授の翻訳は、黒澤明監督の『乱』や『影武者』の主人公を演じた俳優の仲代達矢が『ドン・キホーテ』を舞台作品とする契機を作ったと言われている。

吉田教授は、Twitter世代が何百ページもの作品を読む難しさを理解した上で、自分の教え子にほんの1文とか1段落を読むことを薦めない。その代わりに、気が向いた時に『ドン・キホーテ』を開き、そこで出会った1節を読むことを奨励する。それはどこを読んでも予期しなかったことを発見できると確信しているからである。セルバンテス没後400年である今年、われわれはこの本を開き、そこに驚きを見出すであろう。

(バナー写真:スペインのアルカラ・デ・エナーレス市にあるドン・キホーテとサンチョ・パンサの像)

スペイン 文学