訪日旅行者を迎える「おもてなし」の実情:表と裏の顔

社会

観光庁は2020年までに、訪日旅行者を4000万人に増やす目標を掲げ、受け入れ態勢の整備を進めている。しかし実際には、東南アジアからやって来た観光客の受け入れには光と影がある。訪日旅行者を観光地に案内したジャーナリストが、実際に受けた接客サービスを通して、「おもてなし」の真相に迫る。

それは衝撃的な体験だった。東京有楽町のガード下、外国人観光客やサラリーマンでにぎわう夜、1組のインドネシア人観光客を連れて、リーゾナブルな料金でビーフステーキが楽しめる人気居酒屋の店先に立った。店員は忙しいのか目もくれない。仕方なく、近くの空席に取りあえず座った。実は足の不自由な人が含まれていたための着席でもあったが、手を振っても声を掛けても店員はチラリと一瞥(いちべつ)するだけで注文を取りにも来ない。近くに来た若い男性店員に声を掛けると、「誰がここに座っていいと言ったのだ、勝手に座られては困る」とのこと。そのまま通訳すると、一行は「信じられない」と即座に席を立った。「こんな店には二度とこない」と憤懣(ふんまん)やるかたない。周囲では「勝手に座る日本人」が相次いでいたのに、明らかに日本語が通じそうもない外国人への「冷たい仕打ち」に感じた。

訪日旅行者が出会った二つの顔

昨年の秋、筆者は相次いで2組のインドネシア人観光客の日本観光に同行する機会があった。1組目は7人で大阪、京都、名古屋、東京を観光、2組目は3人で東京、箱根、千葉を巡った。いずれも政府要人、国会議員クラスとインドネシアでは著名人だけに、顔が知られていない日本で普通の旅を楽しむための訪日だった。そこで彼らが出会ったのは、国を挙げて外国人観光客を温かく迎えようという「おもてなし」の精神にあふれた優しい日本人と、それとは正反対の外国人に対して差別的な醜い日本人だった。どちらが本当の姿なのか。通訳・ガイドとして同行した私自身より、当のインドネシア人が戸惑いを隠せなかった。

京都で宿泊した最高レベルのホテルではフィリピン人、中国人、インドネシア人などの外国人スタッフが流暢(りゅうちょう)な日本語で世界各国からのゲストを迎え、日本人スタッフ以上にホスピタリティーにあふれるおもてなしを見せていた。ところが、案内した一行が同ホテルに宿泊中、部屋の備品をとても気に入り、購入できるかどうかを私がフロントに午後10時ごろ尋ねることになった。フロントの若い日本人スタッフは即座に「えっ、そんなゲストは今までいなかったので無理です」と答えた。何度もお願いするが、最後は「担当者がこの時間にいない」「返事できても明日」と埒(らち)があかない。翌日のチェックアウトは早朝だ。

時間もなく焦っていると、シニアのスタッフが現れ、「分かりました。購入できるかどうかお調べいたしますので、お部屋でお待ちください」と丁寧な対応をしてくれた。30分後、部屋で待つ私たちに「実費××円でご購入頂けます」という。かつて帝国ホテルのインドネシア・バリ支配人を務めた知人は「いつ何時どんなことでもお客様の要望には即座に対応できないときは、一時お預かりして最善の方法を探る、それがサービスの基本というもの」が口癖だった。そんな接客の基本を、京都のホテルは忘れたように感じた。

一方、東京のホテル・オークラは一流の名に恥じない素晴らしい対応だった。ゲストの名前を予約時に宿泊記録などで確認。彼らがインドネシアではVIPであることを知った上で、支配人以下決して目立たないように気を配り、部屋の配置から、スタッフによる監視、気配りなど、ホテルの中では一切の失礼がないように「見えないところ」で素晴らしいおもてなしをしてくれた。そこに「客が誰であれ、可能な限り最善を尽くす」というホテルマンとしての真骨頂をみた。

本当のおもてなしとは

今インドネシア人に人気があるのが、静岡県御殿場市にある「御殿場プレミアム・アウトレット」。訪日インドネシア人は必ずといっていいほど富士山が見える御殿場に行きたがる。そのため同アウトレットの有名ブランド店「サンローラン」などにはインドネシア人スタッフが配属されており、レストランもイスラム教徒向けの食事「ハラル」をきちんと理解、配慮して作られている。

同アウトレットのイタリアンレストラン「トラットリア・ターヴォラ」でのこと。歩き回って疲労困憊(こんぱい)での食事だったので、メニューの検討もそこそこに早くできるものを注文した。すると、スタッフは混雑で分散していた一行に空いた席を確保して近くに座れるよう配慮してくれただけでなく、「すみません、ご注文いただいたこの料理、豚肉が使用されていますが、いかがしましょうか」と説明に来てくれた。インドネシア人である一行を見て、イスラム教徒と判断し、配慮してくれたのだ。これには一行は感謝感激で、もっと高価な料理へとメニューの変更をお願いしたのだった。キッチンに戻すという豚肉料理は非イスラム教徒である筆者がいただいた。

「ハラル」に関しては、昨春ジャカルタから成田に向かう日本航空機内での信じられない光景を思い出す。朝食メニューの「ベーコンオムレツ」を頼む隣の席のインドネシア人女性。ヘジャブを被っているので宗教は一目瞭然。配膳する客室乗務員(CA)に「豚肉ではない」と確認して食べ始めたこの女性、味に疑問を感じたのか、通り掛かった別のCAに再度質問すると「ベーコンですから当然豚です」。私も驚いて再度日本語で確認しても「豚です」。聞いたインドネシア人、周囲のインドネシア人も騒然となった。私がお節介を承知でチーフパーサーを呼んで事情を説明すると、地上の配膳担当に再度確認しますという答え。そして「失礼しました。間違いなくビーフです」というのだ。

しかしこれはその場だけの問題ではないと日本航空の知り合いの元広報担当者にメールで連絡すると、「社内調査で事実を確認。今後二度と同様事案が起きないよう教育を徹底しました」との返答だった。CA同士でメニュー内容を徹底周知し、イスラム教徒が多数搭乗する路線ではそれ相応の配慮をすること。これはおもてなし以前の問題だ。ライバルの全日空はその点は徹底しており、ジャカルタ線には「ポークのメニューはない」と明言している。これこそ配慮、気遣いというものだろう。

本当のおもてなしとは、日常の思いやり

石井啓一国土交通相は2016年に日本を訪れた外国人観光客が2400万人に達したことを明らかにした。政府は東京五輪が開催される20年には4000万人を迎え入れる目標を掲げている。そして民泊の活用、道路標識への英語導入、分かりやすい地図記号への変更、観光ビザ要件の緩和など、制度や設備・施設の面では「迎える準備」を着々と進めている。

しかし、インドネシア人は「日本という外国を訪れるのだから不便は承知」「分からないことは人に聞けば日本人はみんな親切に教えてくれる」「英語でなんとか解決できる、それも楽しみ」と話す。彼ら訪日旅行者が日本人に求めているのはごく普通の対応なのだ。相手を思いやる心がおもてなしの基本だと同行してつくづく感じた。

旅行者の国柄や宗教に気遣う心が必要

名古屋の大須商店街にインドネシア人一行を案内した時のこと。「婦人洋品・河悦」で婦人服を物色する女性陣、歩き疲れていると見た高齢の女性店員が椅子を用意してくれた。そして、「こちらでゆっくり休んでいってください」「別に買わなくてもいいですから」「どちらのお国ですか、インドネシアですか、暑いのでしょうね」と親切な言葉を掛けてくれる。その温かい対応で買い物はとても楽しいものになった。

同じ名古屋でのこと。国産ジェット旅客機MRJを生産中の三菱航空機にインドネシア運輸省の一行と訪れた時、ブリーフィングに登場した日本人の若いスタッフは「三菱は戦前あのゼロ戦を作った会社で、素晴らしい戦闘機だが残念なことに戦争には負けてしまった」と説明した。通訳は「残念なことに」を省いて説明したようだが、第2次世界大戦でインドネシアは戦場になり、少なからず犠牲者が出ていることも知らないのだろうか。あまりにも無神経な発言に苦言を呈すると、発言者は「私も言った瞬間にまずいと思いました」と反省してみせるが、インドネシア人には謝罪も弁解もしないままだった。

親日国といわれるインドネシア、熱心な仏教徒が多数のタイやミャンマー、戦争で多くの市民が犠牲者となったフィリピンなどから人々は安くはない旅行費用を捻出して、日本を訪れる。そんな人たちに私たち日本人は、その人の国や宗教に少しだけ思いを馳せるべきだろう。「おもてなし」の語源の一つは「表裏なし」であるということを忘れずにいたいものだ。

バナー写真:アフロ

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