沖縄ラーメンが台湾進出、好調な台湾人の沖縄観光が追い風に

文化

ラーメンブームが続く台湾

とんこつスープの「おとこ味」、塩味の「おんな味」というちょっと変わったメニューを出す沖縄のラーメン店「琉球新麺 通堂(とんどう)」が9月10日、台北市信義区のデパート「統一時代百貨」地下2階のフードコートに出店した。

翌10月には台北駅北側の地下にあるQスクエア(京站)で2号店がオープンし、行列ができるなど評判は上々だ。「通堂」は2002年8月から沖縄県内でラーメン店を展開し、台湾や香港の観光客に支持される沖縄のグルメスポットに成長。海外から沖縄を訪れる観光客が年々増加する勢いをエネルギーに変え、逆に沖縄から台湾への上陸を果たしたケースの一つだ。日系のラーメンブランドが今や当たり前になっている台湾で、沖縄発のラーメンはどこまで浸透するのか。沖縄県は東京五輪開催の翌年に当たる21年に観光客1000万人の達成を目指している。16年からの5年間で観光客を16.1%増やすことになるこの数字が現実のものとなれば、観光がもたらす経済的なポテンシャルは一層高まり、沖縄から海外に向かうベクトルもさらに強くなるかもしれない。

30代の台湾人女性は昨年、観光で訪れた沖縄で数軒のラーメン店に足を運んで味比べを楽しみ、「通堂が一番おいしかった」と感想を話した。通堂台北店も、オープンからそう日にちを置かずに体験した。私は台湾進出から約半月後の9月24日午後0時30分ごろに統一時代百貨の通堂を訪れたが、お昼時ということもあって、常時20人前後が順番を待っており、店に入るまでに15分ほどかかった。前述の30代台湾人女性のような「通堂派」ばかりがやってきたわけではないだろうが、同じフロアに並ぶ飲食店と比べて客足には遜色ない印象を受けた。

開店前から有名だった「通堂」

通堂を経営するオフィスりょう次(那覇市)の金城良次代表は、沖縄市出身。居酒屋から飲食業のキャリアをスタートさせており、ラーメンの修行で博多に赴いた経験も持つ。2001年3月には新横浜ラーメン博物館に出店し、「琉球新麺 通堂」の起点となった。同博物館への出店は1年間限定だったことから、翌年の2月に閉店し、その半年後に那覇市内で小禄本店を開店した。沖縄の通堂はこれが1号店で、現在は4店舗を数える。

台北の通堂は、「通堂」のブランドや調理、接客などのスキルを同社が台湾企業の「和時」(台北市、倉田友朗代表)に提供して営業。和時は台湾で約30人のスタッフを雇い、このうち3人は沖縄の通堂で1~3カ月トレーニングを受け、オープンに合わせて台北に戻ってきた。統一時代百貨の地下2階にある店舗には、プレオープンから行列ができ、9月9日の正式オープンを前に金城代表は「宣伝もしていないのに行列ができて、気持ちが引き締まった」と緊張気味に話していた。

通堂1号店開店の様子(撮影:松田 良孝)

台湾観光客がもたらしたSNS効果

沖縄には、本土のそばとは異なる独特の「そば」がある。「沖縄そば」「八重山そば」「宮古そば」といった具合に、地名を冠することも多い。本土から沖縄にやってくる人の中には「せっかく来たのだから、沖縄のそばを食べよう」と考える人も少なくないだろう。金城代表はラジオパーソナリティーからのインタビューで、沖縄で通堂を始めたころは「沖縄そばがあるのに何でラーメンなの?と、よく言われた」と答えている。そして、狙ったわけでもないのに、台湾などから沖縄にやってくる外国人観光客の間で人気を得ていく。

沖縄県のまとめによると、16年に沖縄を訪れた観光客は、前年より85万100人(11.0%)多い861万3100人を記録。このうち海外からの観光客は同年、初めて200万人を超えた。4人に1人は海外からの観光客が占める割合だ。台湾からの観光客は外国人観光客の中で最多の60万7300人で、外国人観光客全体の29.2%、観光客全体の中でも7.1%を占めた。東日本大震災の翌年の12年と16年を比較すると、沖縄の観光客は全体でも1.5倍近い伸びを示し、海外からの観光客は5.5倍も増加。台湾は4.3倍増となり、けん引役の一翼を担っていると言える。

大型水槽でジンベイザメなどを悠々と泳がせる「沖縄美(ちゅ)ら海水族館」(本部町)や世界遺産の「首里城」などが観光客の人気を集めている。PRしていないのに、台湾人観光客がたくさんいる場所もある。例えば、浦添市内の公園にある長さ90メートル、高低差12メートルの大型滑り台でも台湾人の姿が多数見られる(2016年2月29日付「沖縄タイムス」)。

沖縄県などが行った観光に関する調査結果では、通堂小禄本店でラーメンを食べたとみられる客のツイッターを紹介しており、「通堂拉麵」(通堂ラーメン)というハッシュタグで投稿されたコメントには「沖縄第一餐(沖縄で最初の食事)」とあった。小禄駅はモノレールの那覇空港駅からたったの二駅なので、沖縄到着早々に通堂に駆け込んだとしてもちっとも大げさじゃない。あるいは、最初のランチは通堂と狙いを定めておき、那覇空港周辺でレンタカーを借りてすぐ向かったのかもしれない。別のアカウントからの投稿には「去到好多人排呀……通堂(来てみたら、すごい行列)」。黒々と連なる頭の向こうに店の入り口を眺めながら、うらめしそうな表情をしながら打ち込んだのだろうか。勝手な想像が膨らんでしまう。

それはともかく、読者のみなさんはすでにお気づきの通り、通堂をめぐる喜怒哀楽がいちいちSNSで発信されているという点が重要だ。投稿が1件ずつ積み重なり、通堂の台湾進出に必要な知名度を上昇させていったのである。

通堂が台湾人に好まれたわけ

台湾から沖縄を訪れた観光客の間で、なぜ通堂が受けたのか。はっきりコレと言える理由を探すのは難しいが、台湾での韓国料理店展開や台湾からオーストラリアへの飲食業進出に携わった経験を持つ和時の倉田代表は「おいしいという感覚は主観なのですが」と断ったうえで「日本のラーメンは(一般的に)、たぶん台湾の人にはしょっぱいと思うんです。通堂のはそんなにしょっぱくないですよね」と話す。金城代表は、そもそも台湾人観光客を狙って店づくりをしていたわけではないので、人気の秘密がピンときていなかった。台湾人の間で人気が出た後に「(倉田代表らから)台湾の方が好まれる味だと聞いて、台湾の人は塩っ辛いのがダメなのだと知りました」。

沖縄にやって来た台湾観光客(撮影:松田 良孝)

そもそも、台湾人の味覚はラーメンをどのようにとらえているのだろうか。前述のツイッターには、「美食攻撃!味道好豬喔」(グルメに挑戦。うまいとんこつ)」といったコメントもあったが、知人に尋ねてわかったのは、どうやら、とんこつが好きなのはこの投稿者に限ったものではないらしいということである。

日本のラーメンは台湾人にとって、しょっぱいのも確かだろうが、解釈にはいろいろとある。台湾に進出している日本の著名なラーメンブランドで食べてしょっぱかったという20代女性は、日本人の知人の助言でスープを飲まないようにしたところ、「ラーメンを塩辛いとは感じなくなった」と話す。40代男性の意見は「(知人は)食べるたびにしょっぱいと言うのに、次もまた同じよう食べている」とコメント。ラーメン好きは結局ラーメンから離れられないという意味で、台湾には固定客がいることと同義だ。

「ラーメン=塩辛い」とのイメージができているところに、「塩」や「醤油(しょうゆ)」といった文字を見たら、余計にしょっぱい感じがして、「それもとんこつが好きな理由かもしれない」と、とんこつの相対的優位を指摘する30代女性もいた。

台湾側の関心を集めることになった通堂には、10年ほど前から台湾出店を働き掛けるアプローチが舞い込み始めた。倉田代表は沖縄の知人の勧めもあって那覇市内の通堂でラーメンを食べ、県台北事務所の仲介で金城代表に会うと、「この味を台湾に伝えたい。台湾でも人が多く集まる場所に通堂を出店したい」と口説き、昨年始めごろから台湾進出に向けた動きを具体化させた。

沖縄の味を再現するまでの苦労

台湾では日本ブランドのラーメンが珍しくない。通堂はそこへ参入したのだ。金城代表に勝算を尋ねると、「他店がどうこうというのは、僕らはあまり見てないですね」。オープンセレモニーのあいさつでも、ライバルを圧倒するような雄々しい言葉はなく、「通堂の家族が台湾にもできました。すごくうれしい。今日の日を原点として、一杯のラーメンに思いを込めて、お客さんに伝わるように一生懸命頑張っていきます」と締めくくった。「初心忘るべからず」を地でいくような言葉だが、沖縄で出していた味を台湾でそのまま出すにはどうするかで頭を悩ませたからこそ出た言葉とみることもできる。

金城代表によると、台湾の輸入規制の影響で、沖縄の通堂で使っている食材をそのまま台湾で使うことはできず、しょうゆ一つを取っても輸入許可を得るのに、かなりの時間を要している。製麺に使う小麦粉は、沖縄製粉(那覇市)が通堂の台湾店用に約2カ月という短期間で仕上げた特注品。輸出は沖縄物産企業連合(那覇市)が取り扱っている。沖縄製粉の安慶名浩広域流通事業部長は「(出店に間に合って)ほっとしている。進出する店舗と商社、製粉会社が全て沖縄の企業という点は意義があるのではないか」と話した。

「琉球新麺 通堂」(撮影:松田 良孝)

輸入規制の枠内で食材を調達したうえで調理方法を工夫した倉田代表は「沖縄で食べる味とほとんど同じ味を提供できると思う」と自信をみせる。

通堂の台湾進出を理解するうえで、沖縄の観光ブームは重要な鍵を握る。台湾からの観光客が評判を拡散させたおかげで知名度が上がり、通堂はこれを土台に台湾へステップアップしたのだから、台湾人の貢献度は高い。その後、台湾側から持ち上がった誘致話が沖縄県側の仲介で熟成され、沖縄のメーカーや商社のバックアップによって実際の店舗運営は成り立っている。台湾でラーメンが「日本食」として受け止められ、なじみの人気グルメとして定着していた素地(そじ)も忘れてはならないだろう。こうした背景があって、沖縄発のラーメンは台湾人の元へと「出前」をしてきたのである。

バナー写真=通堂に並ぶ人々(撮影:松田 良孝)

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