「台湾バナナ」が描き出す日本と台湾のフルーツ産業史

政治・外交

食生活に浸透しているフルーツ

台湾人の食生活に欠かすことができないもの。それは肉でもなければ魚でもなく、米や麺類でさえもなくて、フルーツだ。

精肉店や鮮魚店、青果店が並ぶ庶民の台所とも言える伝統市場で、色彩豊かな種々のフルーツが山と盛られたコーナーはひときわ人目を引く。日本でもよく見かけるものに加え、マンゴー、パパイア、グアバ、ライチ、リュウガン、レンブ、ドリアン、スターフルーツ、ドラゴンフルーツなど南国ならではのフルーツも枚挙にいとまがない。直接カットして食べる他、牛乳と混ぜて飲み物にしたり、ドライフルーツやシロップ漬けにしたりと食べ方もさまざまだ。旬のフルーツは誰かを訪ねる際の最も手っ取り早い手土産にもなる。夏場はマンゴー、秋の中秋節にはブンタンを、互いに贈り合って気持ちを伝える。

フルーツを使った料理も数多い。僕の台湾フルーツに関する最初の思い出は9歳のとき、父に連れられて参加した台湾ツアーで食べたメロンのスープだ。それは半分に切ったメロンで、くり抜いた果肉の部分に、スパイスの効いたとろみのある熱々のスープが注がれていて、エビや肉などの具が浮いていた。その場で他に食べたものは全部忘れたが、スープだけは鮮明に覚えている。というのも、最初の一口で身体が受け付けなくなるほどまずかったから。こしょうの香りと温かい果肉の組み合わせがどうしてもだめだった。同行者たちも同様で、完食したのはただ一人、僕の父だった。

それから20年余りが流れ、僕は今、グルメの都といわれる台南で6年目の台湾生活を送っている。台湾人である妻の母がよく作ってくれる料理の一つは、よく熟れたパイナップルとサーモンのチャーハン。僕が経営しているそば店「洞蕎麦」では、週替わり特別メニューとしてエビとマンゴーの冷やしそばやパパイアにパッションフルーツのソースをあえた冷やしそばなどを提供したこともあり、予想以上に好評だった。

例のメロンスープは「密瓜盅」と呼ばれていることを後で知ったが、いまだ再会は果たしていない。今ならおいしく食べられるかもしれない。鴨血(アヒルの血を固めたもの)や雞腳凍(ニワトリの足を煮込んだもの)やその他初めは苦手だった料理が、不思議にもある日を境に大好物へと変わった体験をして、人が何かを「まずい」と感じるのは時として味覚の未発達に起因することを学んだからだ。

このように台湾の食文化にフルーツは浸透しているが、実は台湾で今日栽培されているものはほぼ全て、17世紀以降に海の向こうからもたらされたものだ。僕にとって台湾がもつ最大の魅力は多様性で、それは民族や言語のみならずフルーツについても当てはまる。

さまざまなフルーツが移植栽培された台湾

島としての台湾は過去400年にわたり、代わる代わる外来勢力に統治されてきた。その間、数え切れないほどの穀類、野菜類、果物類および多数の観葉植物が、時の政権によって移植栽培されたり、故郷の味をいとおしむ移民たちによって持ち込まれたりしてきた。これにより、一面において台湾の生態系は絶えず人の手に起因する変化を強いられ、一面において人間の生活と直接的に関わる植物が時代を追うごとに増えていった。

1624~62年までのオランダ統治期には、大航海時代の荒波に乗ってインド原産のマンゴー(小ぶりで皮が緑色の土マンゴーと呼ばれる品種)やマレー半島原産のレンブ、さらにアメリカ大陸原産のトマト、ドラゴンフルーツなどが台湾にもたらされた。ちなみに台湾でトマトは、フルーツと野菜の中間程度の位置付けにある。

鄭成功が62年にオランダ勢力を駆逐して樹立した鄭氏政権統治期および83~1895年までの清(しん)朝時代に移植されたフルーツは、清朝が海禁政策をとっていたため、梅、柿、桃、スモモ、ブンタン、ライチ、リュウガンといった中国原産の種が多い。この他バナナ(マレー半島原産)、パイナップルおよびパパイア(熱帯アメリカ原産)もこの時期のものだ。これらは中国の福建・広東地方で栽培が定着した後、移民の手で台湾に持ち込まれた。

台湾では昔からあるマンゴーとパイナップルの品種を、それぞれ「土芒果」「土鳳梨」と表記する。一方、パパイアは「蕃木瓜」、グアバは「蕃石榴」、トマトは「蕃茄」と書く。土は「土着の」、蕃は「外来の」という意味だ。マンゴーもパイナップルもさまざまな品種があるので、最も古くからあるものを他と区別するために「土」という名が付けられたのだろうが、時期の差こそあれ、外来のものであることに変わりはない。なお今日、一般に土鳳梨と呼ばれているパイナップルはスムースカイエン種といい、日本統治期に缶詰製造のためハワイから移植されたものである。清朝時代からのパイナップルは、スムースカイエン種に淘汰(とうた)されて今ではほとんど栽培されていない。

黄金の果実「バナナ」

台湾フルーツの代表選手を挙げるとすれば何だろうか?

今ならマンゴーを選ぶ人が多いだろうが、一昔前はバナナ1択だった。昭和の半ばまで、台湾バナナといえば見舞いの手土産などで、たまにありつけるくらいの高級品だった。ちょうど現代の日本で台湾産アップルマンゴーが高級品として扱われているのと同じように。

バナナを積んだトラック、台湾南投県集集鎮(撮影:大洞 敦史)

台湾のバナナ産業の足跡をたどってみよう。

1950年代から60年代が台湾バナナの最盛期だった。60年代後半には年平均35万トンが日本へ輸出され、その額は台湾の外貨獲得高の実に3分の1を占めていた。

主産地の南投県集集や高雄県(現・高雄市)旗山では、当時の繁栄ぶりが今に至るまで語り草になっている。バナナの収穫で汁にまみれた作業着こそが金持ちの象徴で、ちまたに連なる酒場の女性たちは小ぎれいな身なりの客は相手にせず、汗と泥まみれの客を目にするや、先を争って接待したという。公務員の年収が約6000元だった60年代、バナナ農家の収入は年20万元に達することもあった。金色に光るバナナは、まさに黄金の果実だった。

台湾バナナの栄枯盛衰

このように戦後の台湾経済が成長した一翼を担ってきたバナナ産業の基礎が築かれたのは、1895~1945年に至る日本統治期だ。

台湾バナナの代表品種である「北焦」は、18世紀前半に福建地方の移民が持ち込んだもので、1910年代から集集を中心に初めて大量生産されるようになった。この時期には、「北焦」より病気に強い品種も発見され、「仙人蕉」と名付けられた。集集で集荷されたバナナは21年に開通した鉄道でヒノキなどと共に基隆港へ運ばれ、貨物船で日本へ送られていった。収穫期には深夜にも貨物列車の汽笛が鳴り響いていたという。

この鉄道は元々、水力発電所の建設資材を運ぶために敷設されたもので、今もなおローカル線「集集支線」として観光客や地元住民に愛用されている。

集集は台湾最大の河川、濁水溪の上流域にある美しい山あいの町だ。筆者が訪れた際に泊まった「農村老爺民宿」のオーナー・劉青松さんは郷土史家でもあり、日本統治期の写真を数多く収蔵している。学校の校庭ほどもある集荷場で、100人を優に超える編みがさをかぶった人々が、てんびん棒でバナナを運んで地面に山と積まれたバナナを点検している写真や、バナナを詰め込んだ無数の竹かごが列車に積み込まれるのを待っている写真などを見せていただいた。

日本統治時代の集集バナナ集荷場(提供:劉青松)

劉さんは言う。「集集のバナナは標高約280メートルの斜面で栽培していて、平地より気温が低いのと土壌の水気が少ないために、小ぶりだけれど甘みが詰まっています。天皇陛下に献上されたこともありますよ」

劉さんは今、集集のシンボルであるヒノキ造りの駅舎の斜向かいの古民家で「火車頭集集鉄道故事館」の開設に取り組んでいる。往年の写真を通じて集集の歴史を紹介するコーナーや地元食材を使った軽食の提供、木製絵はがきのDIY教室や木芸品の販売などが計画されていて、オープンすれば地域の新しい観光スポットになりそうだ。

一方、南部の旗山でも1909年に製糖工場が開設されたことから、サトウキビや砂糖の運搬のため「五分車」と呼ばれる軽便鉄道が高雄まで開通していた。バナナの栽培が本格化してからは、輸送にも用いられるようになった。今はもう列車が走っていないが、13年に建てられた和洋折衷のクラシックな駅舎は保存され、旗山老街と呼ばれる昭和初期に造られたバロック式建築の商店街と共に町のシンボルとなっている。

旗山で収穫されたバナナは高雄港経由で日本へ輸出された。埠頭(ふとう)では重さ48キロの竹かごを担いで運搬する苦力(クーリー)と呼ばれる労働者たちがあくせく働いていた。苦力はオランダ東インド会社が今日の台南に城と町を築いた17世紀初頭から20世紀に至るまで、台湾の発展を最も深いところから支えてきた存在だ。「香蕉碼頭」(バナナ埠頭)と名付けられた埠頭はMRT西子湾駅から徒歩5分ほどの所にある。

ここには「香蕉故事館」(バナナの物語館)というバナナ産業の歴史を伝える施設もある。ところが筆者が今回取材のため数年ぶりに訪れたところ、スペースのおよそ3分の2がテレサ・テン音楽館という名前に変わっていた。しかもテレサ・テン関連の資料は申し訳程度で、大部分が中国風のつぼやら置物やらアクセサリーやらの販売品で占められていた。歴史資料の展示だけでは収益に結び付かないのも想像できるが、ならばバナナを使ったお菓子なりバナナをモチーフにしたグッズなりをいくつも創作して、観光客を引きつける方向に努力すべきではないかと思う。

「バナナ王国」台湾のバナナ産業は1960年代まで飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、70年前後からフィリピン産バナナの台頭、黄葉病の流行、権力闘争などの悪要素が重なり急速に下火になっていった。それはまるで地面に落ちているバナナの皮に足を滑らせて転んでしまう、古い漫画のワンシーンのような「青天のへきれき」の出来事だった。今日、日本に流通しているバナナのうち台湾産はわずか1%に過ぎないが、品質はお墨付き。ねっとりとした濃厚な食感や香りの強さが特徴の台湾バナナを、もしスーパーなどで見かけたら、ぜひ味わってほしい。

バナー写真=台南のフルーツショップ「莉莉水果店」、台湾台南(撮影:大洞 敦史)

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