旅人・林亦峰の日本探索:日本の米食のふるさと・海の京都の神話と歴史の旅

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皆さんも、日本は米食文化の国であり、日本人はご飯が大好きであることをご存じのはずだ。ラーメンを食べるときにもご飯を添える。ステーキの時もご飯だ。関西人に至っては、お好み焼きを食べるときにも米飯を欲しがる人も珍しくない。しかし皆さん、日本の米食文化がどこから始まったかご存じだろうか。京都府北部の京都丹後市に「月の輪田」という目立たない田がある。ここで五穀豊穣(ほうじょう)の神である豊受大神(とようけのおおかみ)が稲を植え、日本の稲作文化を開いたといわれている。現在もここでは古代米である赤米を豊受大神に奉納する伝統が続いている。

この日本の米食のふるさとである丹後半島には、自然や観光資源が多い。京都府では2016年、府北部の5市2町(福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、京丹後市、伊根町、与謝野町)の広域観光組織「海の京都DMO」が発足した。今回は、伝統的な観光地だけでなく歴史と美食美酒をもテーマに、皆さんと一緒にさまざまな角度からこの地域を見てみよう。

月の輪田(撮影:林 亦峰)

赤米(撮影:林 亦峰)

女神と羽衣伝説

月の輪田の近くにある竹野川は、日本の古い伝説の一つである羽衣伝説の舞台だ。『丹後風土記』の記載によると、8人の天女がこの地にある真名井の池に降りてきて水浴びをしたが、一人は衣を隠されてしまい、地上にとどまざるを得なかったという物語だ。そして、地上にとどまることになった天女が、後の豊受大神だという。この一帯には豊受大神にまつわる神話が多く残っており、京丹後地域の豊受大神に対する信仰は深い。比沼麻奈為神社(ひぬまないじんじゃ)、奈具神社(なぐじんじゃ)、藤社神社(ふじこそじんじゃ)はいずれも豊受大神を主祭神としている。

神話が残っている竹野川(撮影:林 亦峰)

赤米と伊根

冒頭でもご紹介したが、「海の京都DMO」地域には、栽培されることの少ない古代米があるが、その中でも伊根町の向井酒造はこの古代米を使って「伊根満開」という紅米酒を造っている。向井酒造は伝統的な日本酒の酒蔵の一つで、260年の歴史がある。他の酒蔵と違うのは、杜氏(とうじ)が女性であること。看板商品の「伊根満開」は桜の花のような色合いだ。清く澄んだ赤い酒でワインのようなほのかな果実の香りもあり、口当たりは繊細。女性の間で特に人気が高い。

向井酒造(撮影:林 亦峰)

伊根満開(撮影:林 亦峰)

伊根町は海に面した小さな町で、最大の特色は「舟屋」、つまり船を停泊させられる家々だ。伊根の舟屋群は江戸時代に形成された。かつては舟小屋と呼ばれ、船や漁具を置いて乾燥させる場所だった。80年前に道路拡張工事が行われてから現在のような外観になり、その特殊な景観により国から「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。

伊根湾には約230棟の舟屋が残されている。漁師は少なくなってしまったが、舟屋の数はかつてと同じ数を維持している。現在は一部の舟屋が飲食店や民宿に改装しており、独特の雰囲気は旅行客らに好評だ。ここでは海を望む暮らしを体験できる。

伊根湾(撮影:林 亦峰)

舟屋(撮影:林 亦峰)

豊受大神と真名井神社

皆さんは、日本人のかつての心のふるさとが三重県伊勢市にある伊勢神宮だったことをご存じだろうか。伊勢神宮外宮(げくう)でまつられている豊受大神はもともと、丹後地区の重要な神だった。伊勢神宮に遷座したのは約1500年前。それまでは天橋立にある籠神社(このじんじゃ)の奥にある真名井神社でまつられていたという。真名井神社の境内には、古い祭祀(さいし)の場である磐座(いわくら)がいくつかある。ここはかつて豊受大神、天照大神、イザナギ、イザナミの四大神をまつる神社だった。天照大神と豊受大神が相次いで伊勢神宮に遷座した後に真名井神社も山のふもとに移り、現在の籠神社になった。歴史の古い籠神社の建築様式は、伊勢神宮と同社だけという神明造であり、本殿の欄干を飾る「五色の座玉(ごしきのすえたま)」も伊勢神宮と同社だけのものだという。

真名井神社内の磐座(撮影:林 亦峰)

元伊勢籠神社(撮影:林 亦峰)

日本三景の天橋立

籠神社の前にある天橋立も日本神話と密接な関係のある場所だ。『丹後風土記』には天橋立はもともと、イザナギノミコトが天から地上に降りる際に使ったはしごだったとの記載がある。そのはしごが倒れて現在の姿になったとされる。天橋立は約3.6キロメートルの砂州であり、約8000本の松が自生している。天橋立は広島の宮島、宮城の松島と並ぶ日本三景とされており、京都府北部で最も重要な景勝地だ。

天橋立の景観を眺めたいと思ったら、籠神社に近い傘松公園に行くのもよい。傘松公園は海抜130メートルの場所にある展望所だ。ここから海上に横たわる天橋立の姿を見ることができる。普通に眺める以外にここで流行しているのは、腰を曲げて自分の両脚の間から見ることだ。天橋立が天空の浮島を結ぶ天の橋のように見える。この「股のぞき」については研究対象にもなった。逆さに見ることで遠近感が変化するのでは、とのテーマだった。そしてこの研究は2016年、イグ・ノーベル賞の「知覚賞」を受賞した。

天橋立の松林(撮影:林 亦峰)

傘松公園からの天橋立を展望する(撮影:林 亦峰)

元伊勢三社

福知山市大江町にある皇大神社(こうたいじんしゃ)は籠神社と同様に、伊勢神宮への遷座の伝承がある。古い杉林に覆われた参道を抜けると、荘厳な雰囲気の元伊勢皇大神社の本殿を望むことができる。皇大神社の建築も、やはり他にはない神明様式だ。83社の末社が本殿を囲んでいることや本殿前の鳥居が黒い木で作られていることはかなり珍しい例だという。皇大神社の近くには五十鈴川、宮川、宇治橋、猿田彦神社など、伊勢と同じ地名や神社名がある。皇大神社奥宮の天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)も、他の神社とは異なっている。神社が山腹にあり、参拝する際には一端が崖にくぎ付けされている鎖を手繰りながら登っていくことになる。ここも独特の雰囲気の神社だ。

元伊勢皇大神社(撮影:林 亦峰)

天岩戸神社(撮影:林 亦峰)

大江山

大江山を語る上で、日本の三大妖怪の一つである酒呑童子(しゅてんどうじ)に触れないわけにはいかない。大江山は酒呑童子の根城だったが、平安時代の名武将である源頼光と四天王により退治された。頼光らは酒呑童子に薬を入れた酒を飲ませ、薬がまわって動けなくなった酒呑童子を討ち取ったという。酒呑童子を切ったとされる刀が「天下五剣」のうちの一振とされる「童子切安綱」だ。

鬼についての伝説が多いことから、地元では鬼を観光の目玉にした。京都タンゴ鉄道大江駅の前には日本各地の鬼瓦が展示されている。駅前の鬼瓦公園も展示のために造られた。町内には鬼をテーマにした「日本の鬼の交流博物館」もある。博物館の外にある大鬼瓦は高さが5メートルで重さは10トン。日本最大の鬼瓦で、とても迫力がある。博物館内には奈良時代から現代に至るまでの代表的な鬼瓦や伝統芸能が展示されている。また、日本と外国の妖怪の紹介もある。

建物とほぼ同じ高さの大鬼瓦(撮影:林 亦峰)

立岩

京丹後市で最大の川・立野川の河口にある巨大岩石の「立岩」も、鬼伝説と関係がある。高さ20メートルの柱状玄武岩で、市を代表する観光スポットの一つだ。

伝説によると、飛鳥時代には大江山に英胡(えいこ)、軽足(かるあし)、土熊(つちぐま)という3匹の悪鬼の頭領が住んでいた。用明天皇の第三皇子の麻呂子皇子(まろこのみこ、「当麻皇子=たいまのみこ」とも)は討伐の勅命を受け討伐した。その中で土熊は死を免れて逃げたが、皇子により立岩の中に封じ込められてしまった。現在でもこの地では、風が強く波の高い夜には、岩の中から鬼の叫び声が聞こえるとの伝説がある。

立岩の近くには日本海三大古墳の一つである神明山古墳(しんめいやまこふん)があり、この地がかつては丹後の政治の中心だったと想像するのは難しくない。これらの古墳からの出土品の一部は、京丹後市立丹後古代の里資料館に収蔵されている。日本の古代史に興味があれば、この資料館で日本最古の銅鏡である「青龍三年銘方格規矩四神鏡」や、古代の豪族の権力を象徴する鏡、勾玉(まがたま)、剣など貴重な文化財を見てみるのもよい。

立岩(撮影:林 亦峰)

古代の里資料館館內(撮影:林 亦峰)

多禰寺

舞鶴市にある多禰寺(たねじ)は、麻呂子皇子が大江山の悪鬼を鎮めるために創建した7つの寺のうちの一つだ。丹後では最も古い寺であり、本尊は薬師瑠璃光如来をまつっている。多禰寺は平安時代、権力者の保護の下で規模が拡大したが、その後の戦乱で徐々に衰えていった。

さまざまな伝説は別に、当時の麻呂子皇子が大江山を攻めた主な理由は、単純に鉱脈の獲得だったかもしれない。大江山一帯は金属鉱石の産地であり、朝廷が現地の豪族が持つ鉱脈とたたら製鉄の技術に注目したことが、戦いに発展したのだろう。いずれにせよ、当時は日常生活のためにも国家権力の拡張のためにも金属は必要だった。多禰寺の読み方にある「たね」も、砂鉄を指している。多禰寺が権力者の保護を受けるようになったのも、もしかしたら寺が古代の製鉄技術を持っていたのかもしれない。

多禰寺がある山のふもとの舞鶴自然文化園は関西地区で一番のアジサイとツバキの名所だ。初夏のアジサイは10万株、冬に満開になるツバキは3万本が植えられており、日本全国でも屈指の規模を誇る。山や谷を埋め尽くすアジサイやツバキを見たければ、舞鶴自然文化園に行くことをお勧めする。

多禰寺本堂(撮影:林 亦峰)

多禰寺から舞鶴港の全景が見られる(撮影:林 亦峰)

舞鶴自然文化園のアジサイ(撮影:林 亦峰)

歴史や神話の背景を知って観光地を訪ねれば、一味違った見方ができる。次に日本に行っておいしいご飯を食べるときには、日本の稲作の起源と「海の京都DMO」地域に豊富に伝わる神話や歴史を忘れないようにしたい。

最後に、天橋立府中観光会、海の京都DMO、京都府立丹後鄉土資料館に感謝を申し上げます。

バナー写真=天橋立(攝影:林亦峰)

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