台湾から日本に“輸出”される「環島」——新たな日台サイクル交流の誕生

政治・外交

スポーツと観光を兼ねた国民的なアクティビティとして台湾ですっかり定着している「環島」を、日本に対して「輸出」する動きが本格化している。四国一周や琵琶湖一周などのコース作りが各地で始まっており、日本と台湾の関係にサイクリングを通した新しい交流方法が生まれようとしている。

「環島」とは主に自転車で台湾を一周することだ。一周はおよそ900キロから1000キロ。その距離を1週間から10日をかけて走る。台湾では、世界最大の自転車メーカー、GIANTや財団法人「自転車新文化基金会」の主導の下、10年ほど前から環島のプロモーションが展開されてきた。外国人の関心も高まっており、年に1度開催される環島イベント「Formosa900」は参加者の6割が日本単独チームも含む外国人だった。

実は私も、この10月に生まれて初めての環島に参加している。8泊9日の日程でまずは台中から出発し、嘉義、高雄、屏東、台東、花連、宜蘭などに泊まりながら、サポートしてくれた旅行会社「ジャイアント・アドベンチャー」のおかげもあって、無事に完走することができた。

1日に走る距離はおよそ100キロ。向かい風の日は足に震えがくるほど疲れる。毎日毎日、ひたすら漕ぎ続けるのも辛い。しかし、大勢の仲間たちとチームで走っているので、なおさら脱落するわけにはいかない。「不要放棄(あきらめない)」と自分を励ましながらペダルをこぎ続けた。

台湾でサイクリングは国民的娯楽

サイクリングは、観光や健康、エコなど、日本の自治体にとっても複合的な目的を兼ね備える。市民からも喜ばれ、インバウンドの活性化にもつながる一石二鳥、一石三鳥の潜在力を秘めたプロジェクトになる。

サイクリングによる環島スタイルの観光振興は台湾ですでに10年ほど前から本格的に進められ、自転車道「環島1号線」など多くのインフラが整っており、年間数万人が楽しむ国民的な娯楽となっている。

環島出発地としてはこれまで台北市が主体だったが、GIANTなど自転車メーカーが数多く本社を置く台中市が環島の始発着点として名乗りを上げており、今回私が参加したチーム「追風騎士団」の環島出発式も台中で、式典会場には、林佳龍台中市長がわざわざ駆け付けた。

台湾の「環島」が日本に

この台湾の環島スタイルの自転車による地域活性化のノウハウを日本へ持ち込もうという動きは、実は2011年に始まっていた。

場所は、四国の愛媛・今治と広島・尾道を結ぶ70キロの「しまなみ海道」だ。

環島を引っ張ってきたGIANTの協力の下と、地元自治体も国に働き掛けて、高速道路を自転車が走るという、従来の日本の交通行政では想像できない離れ業を実現させた。瀬戸内の島々を見下ろしながら走るぜいたくな光景が売りで、世界10大サイクリングコースに選ばれるなど、海外からの観光客が多数押しかける日本屈指の人気コースにあっという間に成長した。

その成果を見て、次に動き出したのは、琵琶湖を抱える滋賀県と守山市など周辺市町村である。琵琶湖には、その周囲を一周する200キロに及ぶコースがあった。「琵琶湖一周」を略して「ビワイチ」と呼ばれていたが、実際の利用者は決して多くはなかった。

このビワイチの復活に、「環島」のノウハウを持ち込むことにしたのである。取り組みが始まってすでに2年が経過しているが、着実に成果を上げており、自転車乗りの間でも「ビワイチ」の名前は市民権を得つつある。

実際に私も「ビワイチ」を走ってみたが、真っ青な湖面と山々の緑がコントラストをなす景色の美しさ、フラットな路面による走りやすさ、京都の奥座敷として歴史を歩んできた文化遺産、琵琶湖の川魚料理や近江牛のグルメなど、多様、多彩な魅力を持っている。

琵琶湖のコース「ビワイチ」を走る前に記念撮影する台湾の追風騎士団(提供:野嶋 剛)

大阪や名古屋の国際空港からも近く、京都には1時間以内で移動でき、外国人に人気の飛騨高山などにも抜けられる。200キロのコースなので、1泊2日か2泊3日のコース設定が可能であり、観光と運動の両方を楽しみたい外国人向けのコースに成長していく潜在力は大きいと感じた。

自治体トップが旗振り役になることを重視

次に動き出したのは、しまなみ街道を抱える愛媛県を含めた四国4県だ。四国全体を合わせると、1周の距離はおよそ1000キロで台湾とほとんど変わらない。その四国一周を、台湾に環島にならって「環四国」と名付けるプロジェクトが今年から立ち上がった。先頭に立っているのは愛媛県で県庁内に自転車新文化推進室を立ち上げ、推奨ルート作りに取り組んでいる。

GIANTや自転車新文化基金会が重視するのは、実際に自治体のトップが自転車に乗って、知事や市長自らが旗振り役になってくれるかどうか、である。

台中市内で環島仲間と自転車で走る筆者(撮影:野嶋 剛)

日本の行政は、部門ごとの縦割り意識が強く、トップダウンで強いリーダーシップ抜きには、道路の看板をかけること一つにしても容易には実現しないからだ。

その点、愛媛県の中村時広知事、滋賀県の三日月大造知事、守山市の宮本和宏市長ら、台湾からの「環島輸入」に熱心な関係自治体には、ずらりとサイクリストがそろっている。もともとマラソン愛好家の中村知事や、東京大学自転車部の宮本市長はすでに台湾環島を完成させており、「首長自らが自転車に乗る」という暗黙の条件をクリアし、自治体全体で取り組みに一層ドライブがかかった形になっている。

そのトップが自転車に乗るというスタイルも台湾流だ。台湾の「環島1号線」の整備を進めたのは馬英九前総統で、自身もスポーツ好きで自転車に乗っていた。柯文哲・台北市長も、1日で台湾の最北端から最南端までの500キロを一気に走り抜く「偉業」を達成し、台湾社会から拍手喝采を浴びている。社会の拍手が、行政をさらに動きやすくさせる。トップの人気も高まる。そんな好循環が、サイクルツーリズムには生まれやすい。

サイクリストのためのインフラ整備が必要

しかし、環島の日本普及への障害は、なお少なくない。一つは縦割り行政の中で、コースの整備が遅々として進まないところだ。この10月、台湾からチームが訪れ、琵琶湖一周を走ったのだが、日本自転車新文化基金会の会長で、GIANTの前CEOのトニー・ロー氏が、車道と歩道のすき間に乗り上げて転倒し、右膝を十数針縫う大けがを負った。

これは、サイクリングロードの整備がまだまだ不足していることを如実に示したケースとなった。日本においては、車道と歩道と自転車道の関係があいまいで、道路と歩道を隔てるコンクリートなどの路側帯の存在も、サイクリストにとっては安全走行の障害となる。

また、四国一周「環四国」についても、一般道の併用が中心だが、ブルーラインが引かれているところがまだまだ少なく、途中のサイクリスト支援の施設もこれから。4県の足並みが十分にそろっていない部分もある。

台中市から出発する追風騎士団(撮影:野嶋 剛)

台湾を走ってみるとはっきりするのだが、台湾では数百メートルごとに「環島1号線」の看板があり、旅行グループに参加しなくても、台湾を1周しやすいようになっている。しかし、日本では、琵琶湖でも四国でも、1周ルートの掲示はまだ十分に行われていない。

休憩して、飲料水や軽食、エア入れなどを提供する「補給所」も一定の距離をおいて設置されることが望ましい。台湾の場合、その役割を果たしているのが、24時間オープンが原則のサイクリスト用補給・休憩スポット「鐵馬驛站」だ。台湾では自転車のことを「鉄馬」とも呼ぶ。台湾では、環島1号線沿いにおよそ20キロごとに「鐵馬驛站」が設置されている。警察署の場合もあれば、使われていない駅舎の場合もある。コンビニエンスストアが使われる場合もある。そこには、水と空気入れ、トイレがあり、休憩もできる。宿泊施設となっている場合もある。サイクリストからすれば大変ありがたい施設だ。

「環島」輸出の成否は地元地域との一体化が不可欠

環島は、パッケージでサイクリストを支援するインフラと心が伴っていないと成功しない。内外から訪れるサイクリストの存在は、経済的にも精神的にも、地域のプラスになるという社会全体の認識が不可欠だ。

追風騎士団の環島中に、アイスクリームを食べる参加者たち(撮影:野嶋 剛)

例えば、日本で車道を走っている自転車に対して、クラクションを鳴らすなどして敵対的なマナーを見せる自動車がまだまだ目立つが、「車道は自動車だけのものではない」という常識が日本社会でまだ普及していない表れである。

台湾の環島スタイルが日本で定着するかどうか、環島のノウハウを日本に伝える先頭に立っている前出のトニー・ロー氏は、こう話す。

「日本には素晴らしいコースがたくさんある。台湾のサイクリングファンが安心して気軽に日本で自転車を楽しめる環境が整備されれば、台湾人の日本観光の中で有力な選択肢になります。基金会もGIANTも協力を惜しみません。日本には自転車人口が多いが、スポーツとして楽しむ人は少ない。環島は自転車の魅力を知るためには格好のチャンスとなるはずです」

台湾の「環島」の日本輸出の成否は、いかに地元地域が一体となって「環島」とは何かを研究し、その実現のために取り組めるかどうかにかかっている。

その先には、四季折々に日本のあちこちのサイクリングロードで、自転車にまたがった日本人と台湾人がお互いに「頑張れ!」「加油!」と声を掛け合いながら走っている日台サイクル交流の未来が見えてくるはずだ。

バナー写真撮影=野嶋 剛

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