仏映画『マリリンヌ』:抗うことばをもたぬ女性たちへ

文化 Cinema

ハリウッドの大物プロデューサーによるセクハラ騒動を機に、ハッシュタグ「#MeToo(フランスでは#BalanceTonPorc)」を合言葉に各国の女優やアーティスト、有名無名を問わぬ大勢の女性がSNSで性的被害の告白を始めてひと月余りが経ち、その勢いはいまだ衰えていない。「#MeTooMen」として男性側からの声も上がっている。

フランスではレア・セドゥ、メラニー・ロランら人気女優が性的被害を告白し支持を集める一方、73歳のカトリーヌ・ドヌーヴは個人的な体験や苦しみの告白は「何の問題の解決にもならない 」との考えを表明し、SNS上での動きを「ずいぶん品のない騒ぎ 」とコメントするなど、騒動をめぐる議論は各所で過熱している。

なお、日本ではいまのところ著名人による同様のSNS投稿は報じられておらず、まだ小さな裏のムーヴメントにとどまっているように見える。10月、レイプ被害を告発した『Black Box』(文藝春秋)を上梓したジャーナリストの伊藤詩織さんは、日本の司法、社会のシステムは性犯罪被害者のために機能していないと記者会見で述べた。恥を恐れる日本人の心理としては、SNSで発信しても、覗き見趣味の人々を喜ばせるだけか、被害者に非があると口汚く罵られるだけだと思って、消極的になってしまうのだろうか。

そんな折に第30回東京国際映画祭(2017年10月25日~11月3日)で見た1本のフランス映画が心に残った。若い女優が主人公の物語で、性的被害がテーマというわけではないが、女性が受ける数々の試練がリアルに描かれ、主演女優の存在感がひときわ輝きを放っていた。ギヨーム・ガリエンヌ監督によるフランス映画『マリリンヌ』である。果たして主役のアデリーヌ・デルミーは最優秀主演女優賞を獲得した。

闇から光へと導かれた女優の物語

小さな村でアルコール中毒の母親と暴力的な父親のもとに育ったマリリンヌは20歳。言葉少なで繊細、人見知りながら演技に情熱を燃やす彼女は、女優になることを決意してパリへと発つ。なんとか大作に出演する機会を得るも、予想外の出来事と屈辱的な扱いにすっかり打ちのめされて逃げ出してしまう。その後何年も演技の道を離れてアルコールに溺れ、工場の書類仕分け係として働くマリリンヌに、再びチャンスが巡ってくる。撮影の日、スタッフから無能扱いされた彼女はいつかのように動揺し自分を見失いかけるが、ベテラン女優ジャンヌが思いがけない言葉をかけて……。

本作は、ガリエンヌ監督が15年前に聞いたある女性の体験をベースにしている。監督は「寡黙な人々に心を打たれる」と、自身を守るためのことばをもたない女性を主人公にした理由を語る。ことばによる自己主張がむずかしい人の激情の表れ、そういう人を理解しようとしない人々の暴力的になりがちな言動、そして、そういう人に温かな目を向けた人々のほんの小さな働きかけが、「シンデレラの魔法使いのように」人生を闇から光へと導く力を持っていることが本作には描かれている。

演じることで輝きを増し、人とのつながりを築くヒロインの姿を映すスクリーンの背後からは、俳優としても活躍するガリエンヌ監督の「だから役者はやめられない」(と言ったかは知らないが)という声が聞こえてきそうである。役者稼業をめぐって、ベテラン女優ジャンヌがマリリンヌに投げかることばの数々も含蓄が深い。台詞を言えることがすべてではなく、生まれながらに備えたミステリアスな「陰と無意識」も女優の才能であること。また、「女優であることは女であることと同じで逃れられない」ということばには、役者として生きることへの覚悟が感じられる。

女性への優しい眼差し

女の子のように育った思春期の自身を主人公にした前作『不機嫌なママにメルシィ!』で、母親への敬意と憧れを描いたガリエンヌ監督だが、本作でも女性に対する眼差しの優しさと確かさが随所に見て取れる。

マリリンヌは、本番直前に突然訪れた生理を隠し懸命に平静を装ったり(装い切れず挙動不審になっているのだが)、工場の仕事で失敗をすれば「女優気取り」となじられ、若く魅力的なことを尻軽女と扱われ悔しい思いをしたりする。一方でジャンヌは、社会的に成功を収めながらも「自由で自立」しているがゆえに恋愛は思い通りにいかないと自嘲気味につぶやく。いずれも「よくあること」ながら、女性だからこそ直面する出来事や悩みを丁寧にすくいあげ繊細に描写している。

その一方で、男性たちの描き方は(復帰したマリリンヌを支える監督と演出家を除いて)辛らつである。実家のカフェで年配の男性客が「すっかり大人の女の体になって」とマリリンヌの体に視線を這わせる場面、そして、萎縮して演技ができない彼女を鼓舞するつもりなのか大物監督が「愛してるよ」などと耳元でささやき首筋に唇をつける場面には、これまで幾度となく女友だちから見聞きし、筆者自身もまた直面してきた同種の体験を思い出し、やるせなさを覚えた。

傷ついても立ち上がるために

「顔見知りによる親しさの表現」、「監督と役者は一蓮托生の関係」……そんなふうに「よくあること」として流されそうな言動がいかに女性の心を傷つけるのかを、反撃することばをもたないマリリンヌの態度によってガリエンヌ監督は示してみせた。フェミニズムは本作の中心テーマではないが、女性を取り巻く状況の描写は、心は女の子として育ち、周囲の女性たちを注意深く観察していた過去をもつ監督ならではのもので、見どころの一つと言っていいのではないかと思う。

マリリンヌのような対話下手はフランス人としては少数派であろうが、声を上げるより黙ってしまいがちな日本人の一人して筆者は彼女に共感するところが大きかったとも付け加えておこう。

ギヨーム・ガリエンヌ監督は1972年生まれ。フランス国立劇団コメディ・フランセーズの正座員であり、俳優、脚本家、演出家として、舞台のみならず映画、テレビ、ラジオで幅広く活躍している。上映中のダニエル・トンプソン監督『セザンヌと過ごした時間』では画家を熱演。監督としては本作が長編2作目にあたり、1作目の『不機嫌なママにメルシィ!』は2014年に日本で公開された。

主演のアデリーヌ・デルミーもまたコメディ・フランセーズの正座員である。2010年に入団し、数々の舞台で主要な役を演じるのと並行して、テレビ、映画にも出演。映画で主演を務めたのは本作が初である。1987年生まれ。

アデリーヌ・デルミー(手前)演じるマリリンヌに救いの手を差し伸べるベテラン女優ジャンヌ役のヴァネッサ・パラディ(写真:Thierry Valletoux © Gaumont Distribution)

マリリンヌを再び演技の世界に引き戻す監督をグザヴィエ・ボーヴォワ、転機となることばを投げかけるベテラン女優をヴァネッサ・パラディが演じる。なお、パラディはエンディング曲としてレオ・フェレの『傷』(Cette blessure)のカバーを提供。どんなに傷ついても希望の光が消え失せはしないことを歌った同曲は本作のヒロインの生きざまにふさわしい。

『マリリンヌ』は、2017年11月15日からフランス本国で劇場公開予定。日本公開は未定である。

バナー写真=仏映画『マリリンヌ』、主演のアデリーヌ・デルミー(画像提供:TIFF)

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