飲酒考:日本と中国の違い(上)

文化

日馬富士事件

飲酒を巡る日本と中国の違いについてのコラムを書いていたら、相撲界で不可解な事件が起きた。ここでは、横綱の日馬富士が酒席で前頭八枚目の貴ノ岩を殴打したという事実だけを見て考えてみたい。ちなみに、酒と相撲の共通項は神事である。本稿の(下)で後述する通り、酒は神事と不可分の関係にあり、相撲も神事が起源である。酒については、古代の巫女(みこ)が神様の言葉を伝えるには恍惚(こうこつ)状態になる必要があったという。ただし、人を恍惚状態に導く酒は神様との仲介役であるが、乱暴狼藉(ろうぜき)を働いてよいわけではない。一方、相撲は本来神様に奉納する神事である。特に、横綱はその象徴的地位にあり、「注連縄(しめなわ)」を締めることが許されている。注連縄とは聖域と下界を区別する縄なので、横綱はご神木などと同じく神の依り代(よりしろ)と考えてよい。されば、下界の人のように醜態を演じたならば、聖域に立ち入ることはもはや許されない。遺憾ながら、横綱の地位は返上いただいた方がよいのではないだろうか。

総経理との忘れられぬ酒宴

「黎明前的黒暗」

さてこれは、約20年前、某中国企業の総経理(社長)がほほ笑みを浮かべて口にした言葉である。実は、この公司には不良債権を回収するために1年近く通い続けていたが、そろそろ本部の堪忍袋の緒も切れそうであった。まさにその時、総経理がこの言葉を発したのである。その意味を問うと、「夜明け前は一番暗いものだ」という。要するに、「今は(夜明け前のように)最も暗い困難な段階にあるが、(夜が明けるように)間もなく問題は解決されるであろう」という。では、朗報近し、と期待してよいのだろうか。

面談を終わると、午後5時を過ぎていた。そして、近くのレストランで宴会が始まった。この地では、仕事は仕事、宴会は宴会なのである。冒頭で総経理が真剣な表情で筆者にアルコール度数50度という強烈な白酒(ばいちゅう)の乾杯を求めてきた。「わしの酒を飲んでくれたら、お宅の債権を最優先で完済しよう」「本当ですか」「わしの言葉に二言はない」。宴会の席の話ながら、総経理の律義な人柄を承知していたので、謹んで杯を飲み干した。数カ月後、総経理は約束を果たしてくれた。今でも忘れられない宴会である。

中国側主賓が飲む「紹興酒」の正体

次に思い出すのは、これも約20年前、長江沿いの某公司との契約調印後に開かれためでたい宴会である。公司側の出席者は10人以上、こちらは支店長と現地行員と筆者のわずか3人であった。衆寡敵せず2人は瞬く間に撃沈され、残る筆者も時間の問題であった。ちなみに当時、日本側の乾杯要員は自虐的に「酒席代表(主席代表)は私です」と名乗ったものだ。

そこへ、先方の主賓が笑顔で近づいてきた。「私の酒杯と君の酒杯を交換して乾杯しよう」と仰せなので、筆者は交換した先方の酒杯を一気に飲み干した。「?」何と、これは紹興酒ではなく、ウーロン茶であった。どちらもカラメル色なので、見た限りでは区別はつかない。先方は「分かったかね?」と無言で悪戯(いたずら)っぽい表情を見せた。なるほど、先方が酔わないのは人数の多寡だけでなく、こういう仕掛けもあったのか。宴会の接待術を明かしてくれた主賓に改めて感謝申し上げたい。

なぜ中国人は泥酔しないのか

かくして、北京、香港、広東、上海などで経験した宴会は何百回にもなるが、不思議なことに泥酔した中国人を見たことがないのである。なぜか。思うに、中国では、飲酒(特に酩酊[めいてい])は歓迎されていないのではないか。歴史的な面から調べてみた。

中国には「儀狄之酒(ぎてきのさけ)/おいしい酒」という言葉がある。中国の酒の始祖は儀狄という。約四千年前の夏王朝時代、禹(う)王は儀狄の献上酒をおいしいと称(たた)えた。だが、このような美酒は人を迷わせ、国を滅ぼすことになると考え、残念なことに酒を禁じたという。このように、中国では過度の飲酒には亡国に導く影が伴うようだ。実際、夏王朝の桀王(けつおう)は酒の池に船を浮かべて「肉山脯林(にくざんほりん)/生肉の山と干し肉の林」と表現されたぜいたくな宴会に浸り続けた。殷(いん)王朝の紂王(ちゅうおう)も酒池肉林の宴に溺れた。そして、確かにいずれの国も滅んでしまったのである。

また、宴会の席は暗殺の場所に向いているらしい。例えば、項羽と劉邦の戦いで有名な「鴻門の会(こうもんのかい)」である。楚の項羽は、漢の劉邦が自分よりも先に秦都咸陽(かんよう)を陥落させたので、謀反の罪に問おうとした。そこで、項羽の側近范増(はんぞう)が劉邦殺害を試みたのはまさに宴会の席上である(幸い、劉邦は間一髪脱出に成功した)。宴会に出席するのは楽しいどころか、時には命懸けの覚悟が必要なのかもしれない。

さらに、宴会は人物鑑定の場でもあるという。古代の兵法書『六韜・三略(りくとう・さんりゃく)』によれば、太公望は周の武王から将軍としての人物鑑定法を問われ、その一つとして酒に酔わせてその態度を見ることを挙げている。確かに、泥酔してしまった人物に対し、中国側が「酒に飲まれるとはいかがなものか」と批判的に評する声を筆者も幾度となく耳にした。すなわち、古代から現在に至るまで、中国の宴会は人物査定の時間であることに変わりはないので、酩酊は禁物とされているのもうなずける。

ところで、中国の酒好きといえば、「酒中の仙」と自称するほどの唐の大詩人李白がいる。李白を持ち出せば、飲酒を好意的に描写する材料になりそうである。だが、李白も酔いすぎて船から転落し、溺死したという。やはり、「酒は素晴らしい」とはなかなか考えにくい。

泥酔回避術は限られている

そうであれば、中国の宴会で泥酔する事態は何とかして避けたいと思う。だが、遺憾ながらそのための対策は限られている。例えば、先方から乾杯を求められたら「随意(スイイー)/乾杯はご自由に」という対応だけで貫き通すか、宴会冒頭で「医師から禁酒を命じられている」と説明するか、あるいは社内の酒豪に「酒席代表」を引き受けてもらうぐらいしか手はないかもしれない。

以上の通り、中国では酒が美味であることは認めても、酒に飲まれて泥酔や酩酊の状態に陥ることを忌避する歴史的背景があるので、誰も泥酔するほど飲もうとしないのである。

<以下、(下)に続く>

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